第3話「毒を、愛と呼んでくれたなら」
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朝の市場に、香ばしいパンの匂いが漂っていた。
焼きたてのメロンパンを片手に、こころは鼻をひくひくさせながら歩く。
「ん〜、このあたり、いつもよりお花の香りが濃い気がする……?」
曲がり角を抜けた瞬間。
目の前に広がる花壇が、異様な光景に変わっていた。
──すべての花が、枯れている。
にもかかわらず、空気は甘く、妖艶な匂いで満ちていた。
「……これは、“毒”の香りだね」
こころはバスケットをそっと地面に置くと、スカートの裾を持ち上げて跪く。
ひとつだけ、まだ咲いていた黒紫の花を指でなぞった。
「おかしいな……この子、悲しそうな顔してる」
そのとき、ふわりと風が吹く。
屋根の上。黒いロリィタドレスの少女が、片足を組んでこちらを見下ろしていた。
艶やかな髪。リップグロスがきらめく唇。
肩から伸びるのは、まるで生き物のような毒蔦。
──羅喉(らごう)ベノム。
「ふふっ……お花に話しかけるなんて、変わった子ね」
「羅喉ちゃん……どうして、こんなことを?」
「こんな花、誰も欲しがらないでしょう? きれいでも、毒があるから」
彼女の笑みは優しげなのに、ひどく自嘲的だった。
「誰にも近づかれないなら……最初から、腐らせたほうが楽じゃない?」
「そんなこと、ないよ!」
こころは立ち上がり、マントを風になびかせた。
「毒があるからって、きれいじゃないなんて、誰が決めたの?」
「──あたしが、決めたの」
羅喉が指を鳴らすと、蔦が地面から湧き上がった。
枯れた花壇がうねり、黒い茨が通りを包み込む。
「誰にも触られたくないの。ねえ、あんた──
わたしに触れたら、どうなると思う?」
「それでも──」
こころは胸に手を当てると、強く前を見つめた。
「プリズムに、キスする時──!」
スカートが光に包まれ、フリルが花のように咲きひらく。
髪飾りがキラリと光を放ち、胸のプリズムが眩しく煌めく。
「プリズム・リュミエール、変身っ!」
白いドレスをまとったこころが、黒い蔦の中に降り立つ。
「毒のなかにだって、やさしさはある。──わたしの光で、見つけてみせる!」
「ほんと、物好き……」
羅喉は、ふふっと微笑んだ。
「いいわ。だったら、触れてみなさいよ。
わたしの“汚れ”に──」
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【CMアイキャッチ】
黒ロリィタドレスをまとい、蔦のブランコに座る羅喉ベノム。
唇に指を当て、笑いながらこちらを見つめている。
《羅喉ベノム》
――「可愛い顔して近づいて……本当は、軽蔑するんでしょう?」
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──夜の部屋。鏡の前。
黒いレースの下着。ぴったりと肌に貼りついたドレス。
誰のためでもない。誰にも見せたくなかった。
それでも、羅喉は自分を「飾る」ことをやめられなかった。
──“汚れてる”と思っていた。
触れられた日も。そう言われた日も。
何をしても、自分は綺麗になれないと思っていた。
鏡の中の自分に笑ってみせても、心の中ではずっと叫んでいた。
「……ほんとは、誰かに撫でられたかっただけなのに」
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今、黒い蔦が空間を埋め尽くしていた。
鋭い棘。毒の滴る花。
甘い匂いが、空気を濁らせる。
「“可愛い”なんて言葉、簡単に口にしないで……」
羅喉の声は震えていた。
「その言葉、何回、毒になったと思ってるの……!」
「羅喉ちゃん……」
こころは、そっと手を差し出す。
「言うよ。何回でも。“かわいい”って」
その瞬間、蔦が暴れ出した。
叫ぶように、空を引き裂いて。
「だったら、壊してよ! この毒ごと、あたしを──!」
──バチン!
鋭く伸びた蔦が、こころの腕に巻きついた。
レースの袖が裂け、白い肌に血がにじむ。
けれど、こころは顔をしかめなかった。
むしろ、やさしく微笑んだ。
「ぜんぶ、受け止めるよ。汚れてても、毒があっても──大丈夫」
「なんでそんなこと……!」
羅喉の声は泣き声に変わっていた。
「わたし、きっと汚いよ……こんな服着て、こんな匂いして……!」
「……それでも、可愛いよ」
こころは傷だらけの腕で、蔦ごと抱きしめるように近づいた。
「あなたの毒は、誰かを守るための棘だったんだよね」
羅喉の瞳が、大きく揺れる。
「……やめて、見ないで……」
「見てるよ。ちゃんと、あなたを見てる」
その言葉に、羅喉の目から、一粒の涙がこぼれた。
「……わたし、ほんとは……可愛いって、言われたかったんだよ……」
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その涙が地に落ちたとき、
光がふわりと、こころを包み込んだ。
──イケ女子モード。
ドレスのシルエットが引き締まり、金糸のラインが浮かび上がる。
マントは長く広がり、動くたびに光の粒が舞う。
髪は後ろで結ばれ、瞳は静かな光を宿す。
まるで、誓いのために現れた“白の王子様”。
「羅喉ちゃん。わたし、誓うよ」
その言葉とともに、幻のチャペルが広がる。
鐘の音が遠く、やわらかく響く。
蔦がほどけてゆき、毒草が白い光に変わる。
羅喉のドレスがほどけ、粒子のように舞い上がる。
現れたのは──
濃紫から白にグラデーションするウエディングドレス。
肩から流れる黒レース。腰には小さなバラのコサージュ。
毒を宿しながらも、美しい花嫁の姿。
こころは、そっとその手を取る。
「ね、誓ってくれる? もう、自分を傷つけないって」
「……そんなの、できないよ。怖いもん」
「怖くても、いいよ。手をつないでたら、ね?」
こころはもう片方の手で、羅喉の頬に触れる。
指先が、涙をぬぐう。
「あなたの毒は、やさしかった。だから──誓いのキスをしよう」
羅喉の瞳が揺れる。
でも、逃げなかった。
「……ほんとに、キスするの? わたし、毒あるよ?」
「うん。だからこそ──ちゃんと、目を見てするね」
──顎に手を添え、そっと引き寄せる。
目と目が、真っ直ぐに重なって。
ふたりの世界に、音が消える。
そして──キス。
深く、静かに、
“汚れた”と信じていた心が、やさしくほどけていくように。
羅喉は、頬を染めながら、ゆっくり目を閉じた。
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【CMアイキャッチ】
チャペルの光の中。
白と紫の花嫁姿の羅喉を、こころがそっと抱き寄せる。
ふたりの唇が、静かに重なっている。
《羅喉ベノム:光の花嫁ver.》
――「毒でもいいって、言ってくれたの……はじめてだった……」
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花の香りが変わっていた。
甘くて濃密だった香りは、いつのまにか、春の風のような優しい匂いになっていた。
白と紫のウエディングドレスをまとった羅喉は、光のチャペルのなかでぽつんと立ち尽くしていた。
「……ほんとに、キスしちゃったんだね……」
「うんっ! すっごくきれいだったよ!」
こころは屈託のない笑顔で彼女の手を取った。
その手はまだ少し震えていて、けれど、毒はもう感じなかった。
「……わたし、ずっと信じてたの。“毒があるから”って、誰にも近づいちゃいけないって」
「ちがうよ」
こころはまっすぐに彼女の目を見て言った。
「“毒があるから”こそ、守れることもあるんだよ。
大丈夫。これからは、あったかいものも、ちゃんと触っていけるから」
羅喉は少しだけ目を伏せて、それから、ふっと笑った。
「ねえ……わたし、可愛い?」
「もちろん! めっちゃ可愛い!」
「……ちょっと言いすぎ。っていうか、顔が近い」
「えっ? そう?」
こころは、無邪気にのぞき込んでくる。
羅喉は少しだけ目をそらして、照れたように息をついた。
「でも……ありがと。“キス”って、毒が消えるくらい、すごいんだね」
「ふふ、それは“魔法のキス”だから!」
そう言って、こころはくるりと回り、マントをふわりと揺らす。
「さあ、帰ろっか! お昼にしよう! お弁当、ちょっと花の匂いついちゃったかもだけど……」
「……花の香りのごはん、悪くないかもね」
ふたりの足元に、小さな白い花が咲いていた。
かつて毒だった場所に、やさしい命が芽吹いている。
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同時刻、郊外の古い教会。
ステンドグラスを背にして、黒いナイトキャップをかぶった少女が眠っていた。
重そうなまぶた。ゆっくりと上下する胸。
その枕元に、白羽の小鳥が一羽──囁くように、静かにさえずる。
「起きたら、誰もいなかったら……怖いから……」
少女は寝言のように呟き、深く息を吐いた。
「夢なら……ずっとこのままで、いいのに……」
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画面がぱっと切り替わる。
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【次回予告】
誰にも起こしてもらえない“夢の姫”。
本当は、目を開けるのが怖かった──
「ねえ……キスで起こしてくれるの? ほんとに……“わたし”を見てくれるの……?」
──次回、第4話「あなたが起こしてくれるなら」
「目を閉じたままでも、届いたよ。あなたの声──あったかかった……」
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