【小説】水彩絵の具のような恋をして

Kojiro

第1話 全編

 1枚の水彩画を大事に持っている。


 高校時代の僕は電車で高校に通っていた。


 ある時期より、長い髪の女の子が途中から乗ってくるのに気が付いた。長い髪を両側にしばってリボンをつけている。時にはポニーテールで一つにまとめる時もある。


 同じ高校の制服を着ているので、同じ高校らしい。だけど、僕はよく知らない。多分、年下のクラスだろうと思う

 

 ある時、保健衛生係の会合でばったり彼女に会った。

「こんにちは」と声を掛けたものの、会話は途切れて、言葉が教室に漂っていく。

 ぎこちない会話。彼女には聞こえなかったらしい。


 その日、僕は画用紙に彼女の姿を鉛筆で描いた。デッサン画である。


 その頃の僕は生きている価値が無いと思っていた。コンプレツクスのかたまり。自分の何がダメなのかをノートに書き綴っていたら36個を越えた。


 運動が全くダメ、鉄棒が出来ない。体育の授業は、苦痛以外の何ものでもない。

 野球やバレーボールはもっと辛かった。僕が失敗をするとみんなが笑い、そしてあいつのせいで負けたと陰でなじられた。


 特に運動会の前日は死にたくなった。

 小学校以来ずっとそうである。死ななかったのは全くの偶然である。意気地がなかった為であろうと思う。


 音楽の時間も苦痛であった。先生がピアノを弾いても音が取れない。みんなのようには歌えない。そのうち恥ずかしくて、声が出なくなる。


 そして、人前では話が出来なくなった。なぜみんなのように出来ないのか?


 一度その原因を探ろうと思った。しかし次第に余計にみじめになっていった。そしてそれを克服しようとも思わなかったし、克服できるとは考えもしなかった。


 病気になりそうだった。今ならば完全に心の病気だろうと思う。


 そんな僕が毎朝彼女のことを見ているだけで、なぜかとても幸せな気持ちになっていることがわかった。不思議な面持ちであった。


 ある時彼女が、友人達と楽しそうに話をしているのを見つけた。その数人の輪の中にテニスをする真っ黒になった男子高校生が居た。そいつはとても彼女にお似合いだった。


 その時なぜか、とても悲しくなった。


 自分の感情をコントロールすることが出来ない。気持ちを抑えられなくなっていた。


 さらにまた、ダメがひとつ加わっていくのを感じた。


 そんな折に、書物の中でラルフ・ウォルド・エマーソンの次の言葉を見つけた。


「友を得る唯一の方法は、自ら人の友となることです」


 あの人が、私の友だちになってくれないかと待っていても友だちは出来ない。友だちになるには、自分の方から友だちになっていくことが大事だと彼は教えている。


 それにはまず、自分の心の垣根を取りはらい、自然に話し掛けなさいと説く。あまり緊張をしたり、恥ずかしがったりしてはいけません。あなたがまず、友人にとって価値のある人間になることが大切ですと彼は言う。


 無価値な僕にとっては、とてもハードルが高く難しいことである。しかしその時から僕は呪文のようにその言葉を唱え、価値のある人間になろうと努めた。


 人に親切にしようと思い、電車では努めて席を譲った。校内でも明るく元気に振る舞うように努めた。まずは人を幸せにさせる存在になろうと決心したのだ。


 そんな姿を周りの人達がどう思ったかはわからないが、少しずつ薄く張られた自分の殻が溶けていくように感じられた。それはとても新鮮で不思議な感覚であった。


 そんなある時、市内の図書館の前で、偶然彼女と鉢合わせになってしまった。


 僕は唐突なことにとても驚いた。しかし僕は勇気を出して、声を掛けることにした。今までそんなことをしたことが無い。心臓が早鐘のように鳴り響いた。


「あのー」

「えっ?」


 とっさに口ごもってしまった。

 喉がからからになって、何を話して良いのかわからない。

「北里図書館は、どこでしょうか?」


 言った瞬間にしまったと思った。北里図書館は僕たちの真ん前にある。

「北里図書館はここですけど。でもっ‥‥‥?」


 今度は、彼女の方が口ごもってしまった。僕はさらに勇気を振り絞って言葉を続けた。


「それでは少し歩きませんか」

 彼女は、ちょっとうつむき加減に「えぇ」と答えてくれた。制服姿が清潔で凛としている。


 彼女の真剣な表情がとても美しく、瞳が輝いている。

 

 僕の心は素直に新しい展開に驚いた。

 

 その日からあのデッサン画は、少しずつ色をつけ始めたのである。




                                    了



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