第2話 お兄様と対面

 咲きほこる花々の中央に、シリルお兄様はいた。


 十二歳にしては大人びた顔立ちで、椅子に腰掛けて長い足を組んでいる。その膝には一冊の本。


 なんか絵画のような美しさである。

 細い銀髪は、太陽の下できらきらと輝いている。美しい動作でティーカップに手を伸ばしたお兄様であったが、ぽかんと立ち尽くすぼくに気がついたらしく、ぼくと同じ色の碧眼がスッと細められた。


 若干、周囲の気温が下がった気がする。


「あ、あの。お兄様」


 迫力に負けて、声が少しだけ震えてしまう。

 それでもお兄様に向かって一歩踏み出せば、お兄様が綺麗なお顔を歪めた。そのまま荒々しい動作で本を閉じると、飲みかけのお茶をそのままに立ち去ろうとしてしまう。


「お兄様!」


 このままでは置いていかれる。慌てて駆け寄れば、シリルお兄様は立ち止まってぼくを見下ろす。


「なに」


 感情のこもらない声に、一瞬だけ怯んでしまう。だがぼくは前世を思い出した賢い五歳児。相手は所詮十二歳のお子様である。ビビる必要なんてない。


「お兄様。今日はぼくと遊んでください!」


 とりあえず元気いっぱいにお願いしてみる。大丈夫。ぼくは五歳。無邪気にお願いしても許されるお年頃。


 それにお兄様は表情が動かないだけで、別にぼくに意地悪というわけでもない。ちょっぴり馬鹿にされているような気はするけど。


「……僕、忙しいから。君と違って」


 なんか嫌味言われた?

 まぁいいや。


 お構いなしにお兄様の手を掴もうとするが、直前で避けられてしまう。


「お兄様。たまにはぼくと遊んでください」

「ネッドがいるだろう」


 ぼくの背後に控えるネッドに視線を送って、お兄様は歩き出してしまう。まだお話は終わっていないぞ。小走りに後を追いかければ、ちらりと肩越しに振り返ったお兄様が眉を寄せた。


「だから。君と遊んでいる暇はないんだけど」

「お構いなく。ぼくはひとりでお兄様と遊びます」

「意味のわからないこと言わないでくれる?」


 そう言ったきり、お兄様は早足に屋敷へ引っ込んでしまった。慌てて追いかけるぼくは、もはや全力疾走である。


「ネッド。お兄様を捕まえて!」

「捕まえるのはちょっと」


 無理ですと困ったように眉尻を下げるネッド。そりゃそうだ。侍従の彼がそんなことをすれば、きっとシリルお兄様は怒ってしまう。


 ここは自力で頑張るしかない。

 そう思い屋敷に入って、シリルお兄様の部屋を目指す。


「お兄様! 今日ぼくはお兄様と一緒にいます」

「……」


 お兄様に続いて、しれっと部屋に入ってしまえばこちらの勝ちである。もはや無反応を決め込むお兄様は、ぼくに構うことなく読書の続きを始めてしまう。


「お兄様。なに読んでますか? ぼく、最近文字読めます。すごく読めます」

「……」

「あとお名前書けます。ちょっとだけお名前書けます!」

「……」


 ぼくを完全に無視するお兄様は、本に夢中である。きっとすごく面白い本なのだろう。だったら仕方がない。


 昨日までのぼくは、あんまり文字を書くのが上手じゃなかった。でも前世の記憶を思い出して賢くなった今であれば綺麗に書ける気がする。だって頭がとてもスッキリしているのだ。文字だってすらすら読めるに違いない。


「ネッド! 紙! 紙ちょうだい!」

「かしこまりました」


 シリルお兄様の部屋を勝手にあさるわけにはいかない。ネッドに紙を持ってきてとお願いすれば、彼はすぐに動いてくれた。


 ソファのひとつを占領して読書するお兄様。その向かいのソファに座って、お行儀よく静かにしておく。


 シリルお兄様にも侍従がついているが、今はその姿が見えない。何か野暮用でも片付けに行ったのだろうか。


 お兄様と部屋にふたりきり。非常に珍しいシチュエーションである。


 しんと静まり返ったお部屋に、時折お兄様がページを捲る音だけが響く。


 シリルお兄様はぼくのことを少々馬鹿にしているけど、完全に嫌われているというわけじゃないと思う。嫌いだったらぼくを部屋に入れたりしないだろう。


 嫌そうな顔をしつつも追い出さないのは、それなりに信頼されているからだと思うことにする。


 お兄様は真面目なところがある。跡継ぎとして頑張っている。そのため両親とはちょっぴりギクシャクしている。


 説明が難しいのだが、別に嫌われているわけではなくて。両親はシリルお兄様にはしっかり者であってほしいと考えている。そのためお兄様の教育に熱心で、厳しい態度をとったりする。すべてはシリルお兄様が立派な跡継ぎになれるようにという想いからだ。


 シリルお兄様ひとりだったら、多分それでよかったんだと思う。問題なのは、ぼくの存在だ。


 両親に厳しく育てられているシリルお兄様に対して、ぼくはなんだか甘やかされている。お兄様はそれが気に食わないのだろう。


 兄弟のあるあるだよね。


 長男はダメだと言われたことが、なぜか次男だとあっさりOKされちゃったりする。両親に悪気はないんだろうけど、長男のお兄様からすれば「は?」という感じである。


 例えば、お兄様は小さい頃から勉強を欠かさなかった。遊びたい盛りなのに、家庭教師をつけられて勉強させられていた。貴族の跡継ぎとしては別に珍しいことではない。周囲の友達も似たような環境なので、お兄様もそこまで疑問を抱かなかったはず。


 しかしぼくが誕生してから、ちょっぴりおかしなことになった。


 お兄様はあれだけ勉強しろと言われていたのに、弟であるぼくはそんなこと言われないのだ。お兄様としては「は?」と思っても無理はない。


 それでもお兄様、根は優しいのでぼくに対して文句や不満をぶつけることはない。


 そんなこんなで、ぼくとお兄様はちょっぴりギクシャクしているのだ。

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