4 雲の上を目指すために 中編

 テーブルから離れた場所で話を聞いていたセイは、アンヘル達の言葉に口元を抑えた。

 そうでもしないと叫んでしまいそうだったからだ。


 一昨日、自社で高速移動装置を制作するのは可能なのかとリオーナに訊ねた際、

「今実現させるのは不可能」

と言われたことを思い出す。現実をよく見ているリオーナがそう言ったのだ。それはつまり本当に「不可能」なのだろうとセイは諦めていた。

 が、その経営者達が、遠方に住まう公認会計士のラダを呼んでまでして、制作の計画をしている。

 あれほど高価だと言われた高速移動装置の制作を、夢だと思われたその装置を、本気で作ろうとしている。

 そんなの、聞いたら、歓喜で叫びたくなるに決まっている……!


 だが、そうなるべきだと思われた三人目の魔導工学者、タジャニ・ルーファンは、座ったままの姿勢で身動きせずに黙り込んでいた。

 彼の頭の中は混乱していた。

 それこそ先日破格の待遇で再雇用を元居た会社から提案された時以上に、思考が追い付かない。


 何を言っているんだ、この経営者達は?

 高速移動装置を作る?

 この会社で?

 この小さな会社でか?


 目の前でなされた、これからの計画に必要な手順。それの具体的な内容を聞いていたとしても、タジャには現実味が湧いてこない。どれもこれも夢物語にしか聞こえなかった。

「……どうした、タジャニ君?」

「驚いて、声も出ないのか?」

 経営者二人が立て続けにそう聞いてくるので、タジャは一度思考を断ち切って大きく深呼吸する。合わせた手のひらから深く息を吐くと、若干だが頭がクリアになった。

「……計画は分かりました。が、現実的に不可能でしょう?」

 こちらの反応を待っている経営者二人に対して、淡々とタジャは告げた。

 その言葉に、アンヘルは眉をしかめ、リオーナは無表情になる。横で聞いていたラダだけが「何故そのようにおっしゃるの?」と、落ち着いた口調で聞いた。

 その質問に、タジャはファイルのページを目で追いながら答える。


「今のだと、あくまで計画通りに事が進み、最良の結果が出た時だけ可能な話であり、現実味がありません。まず、カーロン教との契約をどう取るのか。魔術師として最大規模の教会に対して、コネのない会社が話をするのはそもそも不可能です」

 前の会社においても、カーロン教との契約を何かしら取ろうとした部署はあったが、門前払いを喰らっていた。魔導製品を作る会社が増えている以上、それらの中から真に実力のある会社を見極めなければならない時に参考にするのは、まず会社の規模だ。

 更にタジャは追い打ちをかける。

「実力があったとしても、無名の会社では話も聞いてもらえない。聞いてもらう為には、それだけの製品を提示しないといけませんが、魔術師と知り合いでもなければ彼らが求めるような制御装置を作り出すのは不可能だ」

 単なる魔力制御では、意味がない。

 数値だけを見て制御したと判断しても、それは魔術師達の力を抑えている証明にはならないのだ。製品として提示するには、確実に魔力を制御出来たと分かるような被験者がいなければならないが、そんな相手をすぐ探すこと自体困難なのである。

「被験者もいない状態では、魔力制御装置を作る段階でこの話は不可能だ」


 だが、その時、それまで黙って聞いていたセイが「あの」と手を挙げた。

 横合いからの声に、神妙な顔で座っていた面々が彼女の顔を見る。

 セイは、真剣な表情のまま言った。

「その被験者、私、なります」

 言って、セイはテーブルに歩み寄った。

「魔力制御の被験者、私だったらなれますよね? 私の魔力を、ちゃんと制御出来ていることが分かったら、その製品をカーロン教会に売り出したらいいんですよ」

「あのな、セイ。そんなことしたら……」

 アンヘルが困った顔をする。それにラダが頷いた。

「いけないわセイちゃん。そんなことをしたら、貴女のことが世間に知れてしまうでしょ?」

 その物言いに、ラダもまた、セイの秘密を知っているのかとタジャは気が付いた。

「そうなったら、貴女の身に危険が及ぶこと、ちゃんと分かっているでしょう?」

 諭すような口調でラダに言われても、セイは首を横に振る。

「でも、実際私の魔力が抑えられたら、これ以上の証明はないですよね? 被験者の特定が出来ないように結果報告をすれば、少なくとも最初の段階で目に留まることは出来ます」

 真剣なまなざしで一歩も引かないセイに、タジャは苛つく。


「被験者の特定は必ずされるものだ。相手側が情報の開示を求めてきたら、こちらもそれに応じなければならない」

 吐き捨てるようにそう言うと、セイは明らかにムッとした様子になった。

「そんなこと言われなくても分かってます。完全に開示しない段階で、相手の興味を引かせるだけでもいいんです。良い製品は、一度気づいてもらえたら、それで手に取ってもらえたら必ず分かってもらえるものです!」

「その良い製品とやらを誰が作るんだ?」

 理想論ばかり話すセイに、タジャの語気も荒くなる。

「制御装置の何たるかも知らないで勝手なことを言うな。その調整の難しさに、今だにカーロン教は手をこまねいているんだろう? 理想ばかり言うのは、せめて自分で何かしてからにしろ」

「おい、タジャニ」

 その言い方に、さすがにリオーナが非難の声を上げた。

 言われたセイは、何かに耐えるように下を向く。傷ついたのだろう。

 だがタジャはあやまる気も無い。セイの方は見ずに、ファイルばかり睨みつける。


 どいつもこいつも理想ばかりだ。

 高速移動装置を作る? そのために、まず制御装置の特許を取る?

 馬鹿げている。現実味がない。そんな話をして何になる。

 そもそも、そこに、自分が、何故、関わらないといけない?

 どいつもこいつもおめでたいやつらばかりだ。

 こんな場所から一分一秒でも早く出ていきたい。


 冷たい感情がタジャの腹の中から湧き上がる。

 何もかも信じられない。何もかも必要としない、そんな冷たさ。

 子供の時からずっと感じていたその冷たさは、やがてタジャのすべてを支配することだろう。これまでも、そしてこれからも。


 その時、言われて俯いていたセイの肩が細かに震えた。

 泣いているのか? 皆がそう思った次の瞬間。

 バッとセイが顔を上げた。

 その目は怒りに燃えている。

「この……」

 地の底から響くような声で皆がギョッとするよりも先に、セイは怒鳴った。


「この、すかし眼鏡!」


「す、すかし……?」

 眼鏡をかけているアンヘルが思わず自分の眼鏡を触ったが、無論彼のことではない。

 セイは、もう一人の眼鏡、タジャに向かってグッと詰め寄ると、更に怒鳴りつける。

「さっきから聞いてたら、出来ない、現実的でない、不可能ばっかり! あなたにはやる気ってもんがないんですか!?」

「なにっ?」

 どうにかそう言い返したタジャだったが、セイの変貌ぶりに正直戸惑いを隠しきれない。

「せ、セイちゃん?」

 見たことも無いセイの怒りにラダが困惑した声を出す。セイはそんなラダをキッと睨んだ。突然、矛先を向けられて、会計士の肩がビクッと震えたが、セイは気にせず叫ぶ。

「ラダさん! 特許を取るためには、それを専門にする人に頼まなきゃいけないんですよね?!」

「え、ええ、ええ、そうね。その場合は弁理士さんにお願いしないと駄目ね」

「費用がかかりますよねっ?!」

「そ、それはそうね。まあ、安くはないわね……」

「なら、私、その弁理士になりますっ」


 セイの突然の宣言に、その場にいた全員が「は?」と声を合わせる。だがセイの目は本気だった。

「特許申請のために必要なお金も、私が弁理士になれば全部浮くでしょ?! 今、この場で一番法律に詳しいのは私っ。学校に通っているのも私っ。なら私が弁理士になって、今後のライアン商会に貢献したら、どれくらい費用が浮きますか?!」

 興奮冷めやらぬ態度で言われて困惑した表情を浮かべながら、ラダはすぐさま己の計算機を取り出し、ファイルの中の数字を見比べて、たたき出す。

 出た計算値を、同じ卓を囲む魔導工学者達に提示した。


「あくまで……あくまで、大まかな数字ですけど」

 だが提示された数字を見て、経営者二人は思わず「……おお」と驚きの声を上げる。その様子に、セイは大きく頷くと、タジャの方を睨みつけた。

「私はこうやって自分で出来る最良の方法を目指します。タジャさ……いいえ。すかし眼鏡は! すかし眼鏡には何か出来ることがあるんですか?!」

 

 すかし眼鏡と。


 二度も言った。


 だが、その地味に嫌な呼び名に対して、タジャは無視することに決める。こんな馬鹿らしい言い分にいちいち目くじらを立てている場合ではない。こちらをわざと怒らせて、製品制作に加担させようと言う腹なのだろう。そんな手に乗ってたまるか。

 だが、そんなタジャの様子に、セイはリオーナのように鼻を鳴らしてみせた。

「あ、そうですか。作る自信がないから、なんだかんだ言って逃げるんですね?」

「……おい、セイ。そこいら辺にしておきなさい」

 あんまりな言い方に、アンヘルが横から注意する。だが、セイは敢えてそれを聞かずに、更にタジャに向かって言葉を投げかけた。

「もっともらしい言葉を選んで、結局怖いから逃げるんですね? 辞めるとか言ってみたり、南に行くとか言ってみたり、結局同じ場所にいることが怖いから。はぁあ、どれだけ自分が特別と思っているんだか。そういうのは詐欺ですよ、辞める辞める詐欺って言うんです!」

「こら、ちょっと言い過ぎだぞセイ」

 そう言って注意するリオーナだが、あまり真剣な物言いではない。様子を眺めているラダでさえ、なんだか面白そうに眼をキョロキョロさせている。

 まだ黙り込むタジャに向かって、セイは盛大に鼻で笑い飛ばして言い放つ。

「作れないならそう言えばいいのに!」

 その一言に、さすがにタジャはカチンときた。

「……誰が作れないといった?」

 唸るようにして思わず言い返したところで、セイが更に笑う。

「作れないんでしょ? だからライアン商会からも逃げているんですよね? お二人に優秀って思っておいて欲しいから」

「俺は現実味のない話には加担したくないと言っているんだ」

「現実味がないっていうのは、作れないから現実味がないってこと? 作れる人なら、対象がいないとかコネがないとかそんなの関係ないですもんね?」

 ははーん、と腹の立つ物言いでセイは追い打ちをかけるように言う。

「やっぱり作れないんじゃないですか」

「作ればいいんだろう、制御装置を」

 言って、タジャは立ちあがる。長身のタジャが立ちあがり、自然見下ろされる体制になったセイだったが、怯むことなく彼を見上げる。

 そして、再度鼻で笑ってみせた。

「高速移動装置も? 作れるんですか? この、小さな会社の中で?」

 その小馬鹿にした態度にタジャの苛立ちは最高潮を迎える。

 何故セイにここまで言われなければならない。

 何より、己の魔導工学者のプライドが、作れないとは言わせなかった。

「ああ、作ってやる」

未だにニヤニヤしているセイに、タジャは自分でも思いもよらないくらい大声で答える。

「ここで、作ってやる。俺が、高速移動装置もだっ」

「はい、言質とった」

 

 そのタジャの言葉を聞くなり、セイはハッキリとそう言うと、背後で唖然としている経営者二人の顔を見た。

「ツナさん、契約書の用意を。今、タジャさんがライアン商会の入社を決めました。ちゃっちゃと署名してもらいましょう」

「え、え、ああ」

 言われて、アンヘルは慌てて後ろにある本棚に行き書類を出してくる。

「マルさん、電話貸してください」

 セイはそう言って、まだ状況が読めていないリオーナから彼女の携帯電話を借り受けると、慣れた様子でどこかに電話した。

「あ、コダマさんですか? セイです。今日の夕方六時、五名で予約とれますか? ええ、新入社員の歓迎会をしたいので。はい、それじゃあ、お願いします。ありがとうございます」

 そう言ってから電話を切り、リオーナに返したセイは、自分の目の前で固まっているタジャに向かってニッコリ笑いかけた。

 天使のような、純粋無垢な笑顔である。

「改めまして、ライアン商会へようこそ、タジャさん」

 鈴のような声で歓迎されるも、その場にいる誰も、何も言えなかった。

 急激に熱が冷めていくタジャの脳裏に浮かぶのは、ただ一言だけ。

 

 ……しまった。


 あっという間にセイに乗せられ、うっかり言ってしまった。


 そして、うっかり入社してしまうこととなった。


「あ、今更無かったなんてなしですよ? あれだけ啖呵きったんだから、ちゃんと働いてくださいね」

 今のは無しで、とタジャが言うよりも早く、セイが駄目押しをする。

「それじゃとりあえず私、お仕事場の二階を片付けてきますね。タジャさん、今日もあそこに泊まるでしょ? タオルも変えておきます」

 言うなり、セイは軽やかな足取りでキッチンへの扉を潜り抜けて行った。


 誰もが呆然とする状態の中で、雇用契約書を握ったアンヘルがどうにか話し出す

「ああ、うん、まあ、とりあえず……こちらに署名してもらおうかな?」

 出された書類には言う通りに「雇用契約書」と書いてあった。

 本当か?

 本当に雇用されることになるのか?

 あまりにも急な展開に固まったままのタジャを見て、横に座るラダが堪えきれず吹き出す。非難する目をそちらへ向けると「あら、ごめんなさい」と口元を抑えながら、ラダは笑った。

「すっかり、やられちゃいましたわね。ゴールデンチャイルドに」

 その呼び名まで知っているラダに少なからず驚きつつも、タジャは何も言えなかった。

 強気のリオーナさえもセイには弱い理由が何となく分かった気がした。

 この展開がセイの持つ力だとすれば。

 今後もタジャは、セイに勝てる気がしなかった。


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