転写域

サカモト

1話 眠る器、目覚める意思《前編》

眩しい朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

枕元のスマホが微かに振動して、画面には見慣れた時間。

眠気を引きずりながら、布団の中で身じろぎすると、ドアの向こうから母親の声が聞こえた。


「悠翔ー、朝だよ。起きなさい」


声の調子でわかる。機嫌は、普通。

小さくため息を吐き、重たいまぶたを開ける。天井には、見慣れた染み。

ここは、悠翔の部屋。昨日と同じ、何も変わらない世界。


「悠翔、いつまで寝てんのよ。夏休み終わるってのに」


階段を降りかけたところで、母親の声が軽く響いた。


「……はいはい、今行く」


悠翔は気だるさを引きずりながら階段を降りた。

廊下を抜けると、いつもの朝の風景。

テーブルには目玉焼きとトースト、インスタントの味噌汁。

テレビの音が部屋の空気に溶け込んでいた。


「続いてのニュースです。先月もまた、全国で行方不明者の届け出が相次ぎ、今月に入っての総数はすでに三桁を超えています。いまだ有力な手がかりはなく、調査中の特別機関が原因の究明を急いでいます。」


「ったく、また国の機関は何もできてないのねぇ……。悠翔も変なとこ行かないでよ」


母親がトーストを手にしながら、テレビに目をやって呟いた。


「……ふーん」


特に興味もわかず、悠翔は適当に相づちを打って椅子に座った。

トーストをかじりながら、さっきのニュースの声が頭の隅に引っかかる。


何も変わらないはずの朝。

けど、胸の奥にうっすらとしたざわつきが残っていた。


「そうだ、悠翔。今日ね、おじいちゃんから電話あって。あんたにちょっと家まで来いって」


母親がふと思い出したように言う。


「……ん。なんで?」


「さぁねぇ。あの人の考えは昔からよくわかんないのよ。まぁ夏休みも終わるし、一度顔出しときなさいってことじゃない?」


悠翔はパンをかじりながら曖昧に頷いた。

母親はテレビのニュースに目をやり、口を開く。


「最近、物騒な事件も多いしさ。変な噂もあるんだから、寄り道とかしないで真っ直ぐ行くのよ?」


「わかってるって」


悠翔は朝食を終えると、空になった食器を流しに運び、階段を駆け上がった。適当に髪を整え、財布とスマホをポケットに突っ込み、玄関でスニーカーの紐を結ぶ。


「いってきまーす」


母親の返事を背中に、悠翔は扉を開けた。夏の終わりを告げる生温い風が、家の前の小さな坂道を吹き抜ける。蝉の鳴き声は、朝の陽射しに少しだけ陰りを帯びた音色に変わっていた。


人気のない住宅街を歩きながら、悠翔はポケットの中でスマホを弄る。画面にはニュースアプリの通知が表示され、また行方不明者の記事が増えていた。


(……またかよ)


呆れ半分、不気味さ半分で画面を閉じる。すぐそこにあるはずの日常が、じわじわと不気味な何かに侵食されているような気がした。


祖父の家までは歩いて15分ほど。その道のりを、悠翔は軽く息をつきながら進んでいくのだった。


蝉の声が、耳にまとわりつく。

照り返すアスファルトの匂いが鼻を突いて、悠翔は少しだけ顔をしかめた。


祖父の家までの道は何度も通ったはずなのに、今日はやけに足取りが重い。


「……何年、経ったっけ」


ふと、心の中で呟いた。

父さんがいなくなってから。捜索願を出したあの日のことなんて、もう曖昧で、記憶の輪郭もぼやけてきてる。


周りの大人はみんな『事故に巻き込まれたんだろう』って口を揃え、最後には『死亡扱い』って、形式的に済まされた。

けど――本当に、そうだろうか。


ここ数年、行方不明者の数は妙に増えている。テレビのニュースじゃ、事件性はないって濁してばかり。

それでも、悠翔にはどうしても気になることがあった。

父さんの失踪と、この多発する行方不明者。何かが繋がっているような、そんな気がしてならない。


知らない方がいいことも、この世にはあるのかもしれない。

でも、それを知る権利くらい、自分にもあるはずだ。


悠翔は、握った拳にじんわりと汗が滲んでいるのを感じながら、黙って歩を進めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


悠翔は、祖父の家の前に立っていた。

昔ながらの木造の一軒家。夏の日差しに照らされ、古びた瓦屋根が鈍く光っている。庭の植木もどこか手入れが行き届いておらず、夏草が伸び放題だ。


「……相変わらずだな」


ぼそりと呟き、悠翔は玄関の引き戸を開けた。鍵はかかっていない。昔から、この家の扉は開けっ放しが当たり前だった。


「おーい、じいちゃん。来たよ」


靴を脱ぎながら声をかけるが、返事はない。

奥の方からは、かすかにテレビの音だけが聞こえてくる。


「......じいちゃん?」


軽く声をかけながら襖を開けると、そこには畳の上に胡坐をかき、缶ビール片手にテレビを眺める陽気な老人の姿があった。髪は白くなっても、その目だけは妙に鋭さを残していて、ふざけた口調とは裏腹に、どこか底知れないものを感じさせる。


「おう、やっと来たか。さては、また寝坊でもしてたんだろ、このぐうたら野郎」


にやりと笑って、じいちゃんは缶ビールを片手に悠翔を指さした。


「うっせーよ。ちゃんと来ただろ」


悠翔も負けじと笑い返し、畳の上に腰を下ろす。じいちゃんのこういう軽口にはもう慣れていた。


「まあまあ、そうツッコむな。こっちは楽しみにしてたんだぜ。ほら、例の話だよ」


じいちゃんは缶ビールを机に置くと、ふと真剣な表情を見せた。その目が悠翔の方をじっと射抜くように見つめる。


「……お前さんに、見せてやらなきゃならんもんがあってな」


悠翔はその言葉の意味がわからず、眉をひそめた。じいちゃんの表情からは何か隠しているような気配を感じるが、今はそれを問いただす勇気はなかった。


ほんの一瞬、部屋の空気が変わったような気がした。


「ついてこい。」


そうだけ告げると、祖父は畳の上からゆっくりと立ち上がり、悠翔に背を向けて歩き出す。相変わらず、何を考えているのかわからない。けれど、ただならぬ空気を纏った祖父の背中に、悠翔は無意識に足を動かしていた。


和室を抜け、古びた廊下を進むと、突き当たりに一枚の木製の戸。その向こうには、コンクリート打ちっぱなしの階段室。冷えた空気が、地下へと続く闇から這い上がってくる。


「こっちだ。」


祖父は淡々と告げ、コツコツとコンクリートの階段を降りていく。薄暗い電灯が壁際に並び、湿った空気と古ぼけた埃の匂いが鼻をついた。足音だけが響き、悠翔の胸の奥に、得体の知れない不安がじわじわと満ちていく。


階段を降りきった先、無骨な金属扉がひとつ。その向こう側から、わずかに青白い光が漏れていた。


祖父は迷いなく取っ手を掴むと、重そうな扉をギィと押し開ける。


中はコンクリートの広い空間。その中央に鎮座していたのは、蒼白い光を淡く放つ、カプセル型の装置。無数のコードが絡まり、まるで呼吸するかのように内部が脈動している。


そのすぐ隣には、大型のモニターと長いキーボードが備え付けられた操作台。ディスプレイにはいくつもの数値と波形が並び、何かを監視しているかのようだった。


悠翔は、言葉を失い、その異様な光景をまじまじと見つめる。


「……ここ、なんだよ。」


息を呑んで呟いた声が、静寂の地下室に溶けていく。


「言ったろ。例の話だ。」


祖父は、不敵に口の端を上げ、装置の前へと進んだ。


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