普段は気づかないけれど…

@J2130

第1話

「雨でもヨットに乗るのですか…? 」

 えんじ色の傘の下からアヤミさんが訊いてきた。


「海の上ではもともと濡れるのですよね…」

 傘を傾け、

 首も少しかしげてこちらを見上げている。

 少しはにかんだ笑顔。


 僕も自分の青い傘を少し上げて彼女を見た。


 小降りの雨の向こうにアヤミさんがいる。

 純粋な日本人だが、ハーフと言われればひょっとして…と思われる整った顔立ち。

 フリルの服が好きなのだろうとすぐにわかるかわいいワンピース。

 そんな彼女が僕を見上げている。



 大学時代にヨット部で今でもOB同志で乗っていますというとたまにこの質問をされることがある。


 大概は

「すごい! お金持ち! 」

 という感想を言われる。


 いろいろと詮索させるので事前に

「クルーザーじゃないですから、オリンピック競技にもあるクラスでディンギーっていうヨットの種類で豪華でも優雅でもなく、汗まみれ潮まみれの競技ヨットです」

 と、お話している。


 ヨットのイメージってあるから。



「うん…乗るというかなんというか…」



 僕は目線を上げ道行く傘の群れを見つめた。

 いくつものいくつもの色とりどりの布地がそれぞれの方向に進んでいた。


 映画を観てこれから夕食に向う道すがら。

 映画館の外は前日の天気予報そのままに昼から雨が降り始めた。


 ちゃんとイタリアンレストランの予約は入れておいてある。

 事前に場所の下見もした。

 ネット上での評判もチェックした。

 

 我ながら…

 なんというか…

 けなげだ…

 がんばっている


 ある人からの紹介で彼女に会ったのはゴールデンウィークの少し前だった。

 お見合いといっても間違いではない。

 今日は3回目のデート。

 

 僕は男子高校に通い、大学時代はヨット部にいたが彼女ができないさびしい学生だった。

 サラリーマンになってからもそれは変わらない。


 自分でも

「いい人」

 で終わる典型的なタイプだと思う。

 過去に何度言われたか…

「いい人だよね」

 ええ悪い人ではないと自分では思っている。

 でもそこまでの人。

 


 男友達からは…

「そこがいいところなんだよ…」

 と、これも何度言われたか…


 背も小さいしね。

 そんなことにコンプレックスもあった。



 だけどこんな僕を彼女はなぜか気に入ってくれて…

 間に入った人からも応援してもらっている。

 

 不思議な感じ…

 ほとんどなかったから…こんなこと。

 

 毎回デートプランをしっかりとたてた。

 あまりきっちりというのは嫌われるし、でもいきあたりばったりでレストランも満席、行くところもない…それもかっこ悪い。


 こうゆうことに慣れていない…

 というのは大変だ…


 気を遣う、緊張する。

 自分でもわかる、コチコチだ。


 僕らは雨の中別々の傘をさして歩いていた。


「こんな日でもヨットには乗れるのですけれど…」

 お互いの傘が重なる距離まで近づいて僕は彼女に言った。

 雨音で聞き取りずらいので。


「乗れるけれど…多分乗らないです…」


 そう、おそらく乗らない…

 乗れるけれど乗らない。


 彼女の大きい目が丸くなり “なぜ? ” と問うている。


「うん…普段は気づかないけれど…」

 僕は自分の傘を少しだけ前後に振った。


「傘…さしていますよね…ここでは…」


「はい!」

 元気よく応えるアヤミさん。


「傘…させますね…」

「はい!」


 彼女も自分のえんじ色の傘を前後に振ってみせた。

 そしてこちらを笑いながら見上げている。


「傘がさせるということは…」


「ということは…?」

 彼女が言葉を真似る。



「ヨットはあまり走らないのです…」



 またもアヤミさんの目が丸くなり “なぜ? ”と問うている。

 そうですよね、そう思います、誰もが。


「ヨットの動力は風なのです…」

「そうですね…」


「風がないと…ヨットは寂しい…」

「走らないですからね…」


「そう…走らない…動力がないですから…」



 風のない雨粒が落ちる凪いだ海で進むも引くもできす、セイルとハル(船体)を濡らしながらただじっとしているヨットの姿が目に浮かんだ。

 きっと船上には同じく濡れたヨットマンがなすすべもなく雨に打たれている。


「雨の日は動力の風がないのですか…」

 

 街の前後には傘をさした人々がそれぞれの距離をおいて歩いている。

 女性は色とりどりの傘をさしている。

 

 僕もじゃまになるとはいえ、まだ3回目のデートでビニール傘とかはさすがにまずいだろう…そう思いちょっとおしゃれなものを用意した。


「傘がさせるっていうことは、傘がさせるくらい風がないということなんです…」


 しみじみとえんじ色の傘を見上げるアヤミさん。


「普段はほとんど気づかないけれど…


 雨の日って…」


「雨の日って…? 」


「台風でもないかぎりは…」

「台風じゃないと…?」


「風……

 あまり吹かないのです…」


 青い傘の内側を見上げながら僕は続けた。

「こうやって傘をさせるくらいに…」


「確かにそうですね! 」

 そうなんです、同じ質問は何度か経験しています。


 雨だろうがなんだろうが…

 風のない日のヨットマンは寂しい。

 きっと波のない日のサーファーと同じくらいに寂しいと思う。



「傘って風がないからさせるのですね…」


「そう…普段は意外と気づかないことですが…」


 ちょっと道が狭くなって人が密集してきた。

 お店はもうすぐだ、少しくらい濡れたってかまわない。

 二人で傘の距離を保ちながら歩くのは多少難しくなってきていた。


 僕は自分の傘をたたんだ。

「予約を入れているお店、そこですから…傘、ぶつかっちゃうし…」


 何の前触れもなく、アヤミさんの傘が僕の頭の上に移動してきた。

「でも濡れちゃいますよ…」

「大丈夫…ご想像どおり…いつもヨットで濡れているから…」

 濡れているのです、海では常に。


「大丈夫です…」

 僕はおおいに慌てながら恐縮しながら言った。


 でも傘はそのままで。


 計画的ではまったくないのだけれど…

 一つの傘に二人おさまってしまった。

 おそらく若い女性と二人で傘に入るなんて…

 人生初じゃないか…

 緊張する…


 こうゆうことに慣れていない…

 というのは大変だ…


「ここは海でもないし、傘もさせる風もない街です…」

 彼女の声が身近に響いてきた。


「そうですね…」


 大丈夫か…?

 僕の声は震えていなかったか…


 あ…

 こういった場合…

 僕が傘を…

 持つべきだよな…

 きっと…

 経験がないって…

 困る…本当に困る…


「ありがとう、僕が持ちます」

 傘の柄をつかむ、

 ちょっと手が触れた。


「ありがとうございます」

 彼女が以前にも増した笑顔で応えてくれた。


 自然にお互いの肩がふれあった。

 いいのかな…こんな僕でいいのかな…

 いいのですか…アヤミさん


 ヨットの時でも街中でもあまり雨は好きじゃなかったけれど…

 寄り添うこともできるんだ…傘って…


 普段はほとんど気づかないけれど…

 雨の日って…

 こうゆうこともあるんだ。


     了


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