短編小説実験劇場

沼下 百敗

おかえりなさい

 俺が大学に通っていた頃の話だ。その日はサークルの飲み会が遅くまで続いて、終電でギリギリ帰宅することになった。駅からアパートまでは徒歩で十五分ほど。深夜一時を過ぎていたが、酔いもあって気分は悪くなかった。

 アパートの前に着くと、何か違和感があった。俺の部屋、二階の窓にうっすらと明かりがついている。

「あれ? 電気消し忘れたっけな……?」

 そう思いながらも特に気にせず玄関を開けて中に入った。すると、廊下の奥から「おかえりなさい」と女の声が聞こえた。

 ……俺、ひとり暮らしなんだけど。

 一気に酔いが醒めた。動けずにいると、奥の部屋のドアがゆっくり開き、誰かが立っていた。暗くてよく見えなかったけど、白い服を着た長髪の女のようだった。

「ごはん、あっためるね」

 そう言って、スッとキッチンに消えていった。恐怖でどうしていいか分からず、俺は靴も脱がずにそのまま外へ飛び出し、近くの友人の家に転がり込んだ。翌日、警察と一緒にアパートに戻ると、部屋には誰もいなかった。何も盗まれた様子も荒らされた形跡もない。

 テーブルの上には、一膳だけ箸が添えられた味噌汁が置かれていた。冷めきっていたが、湯気の跡があった。以来、誰かと住んでいるような物音がときおり聞こえる。けど、誰かが言っていた。

「そういうのって、自分から話しかけちゃダメなんだよ。家族になるから」

 俺は、それ以来、絶対に返事をしない。ただ、「おかえりなさい」と言われるのが、だんだんと嬉しく感じてきたのが、怖い。

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