番外編 ifストーリーその12

 日曜日。夕食を終え、キッチンの片付けを済ませた透子は、少しだけソワソワしながら配信部屋へと向かった。部屋からは、すでに柚月がマイクテストをしているらしい声が聞こえてくる。


「あーあーーーあーーーー」


 扉の前に立つと、透子の心臓がドクン、ドクン、と大きく鳴った。まさか自分が、推しの記念配信に出演することになるなんて。夢にも思わなかった未来だ。


「透子さん、そろそろ時間ですよ」


 柚月の声に促され、透子は意を決して部屋に入る。部屋の中は、先日掃除したばかりで、まだ清々しい空気が漂っている。三枚のモニターが眩しく輝き、PCからはかすかな冷却ファンの音が聞こえる。


「はい、お邪魔します」


 透子が部屋に入ると、柚月はいつもの配信で座っているゲーミングチェアに座り、透子のために用意してくれたらしいもう一つの椅子を指差した。


「そこの椅子に座っててださい。呼ぶまでは私の配信見ててくださいね」


「わ、わかりました」


 透子は言われた通り、柚月のすぐ隣に座った。柚月の横顔がすぐそこにある。普段、プライベートで話している時の柚月と、今、目の前で「朝比奈柚葉」として存在している柚月。そのギャップに、透子の胸は高鳴りっぱなしだ。


 そして、時計の針が午後8時を指した。


「こんばんわーこんばんわー。朝比奈柚葉です」


 いつもの、少しけだるげな声。けれど、今日の柚月の声には、いつにも増して喜びと自信が満ちている。配信が始まった瞬間、コメント欄が『柚葉ちゃんおめでとう!』『10万人突破おめでとう!』『待ってたー!』という祝福の言葉で嵐のように流れていく。


(うわぁ……すごい……!)


 透子は、画面のコメントの速さに圧倒される。これが、十万人を突破したVtuberの記念配信なのだ。その隣に、自分は今、座っている。こんな贅沢なことがあっていいのだろうか。透子は、幸せな気分でいっぱいになった。


 柚月は、コメントを拾いながら、にこやかにリスナーに感謝を伝えている。透子の登場は中盤と打ち合わせてあったので、透子は横でただひたすら、推しが輝いている姿を見守っていた。


 柚月は、たまに透子の方に視線を向け、にこりと微笑みかけてくれる。その表情は、普段の柚月が透子に見せる笑顔そのものだ。だが、マイクに向き合っている時は、完全に「朝比奈柚葉」として、一人で配信をしているかのように見えた。そのプロ意識に、透子は改めて感動を覚える。


 配信は、これまでの活動の振り返りや、ちょっとした思い出話などをしているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。コメント欄には、最初から時折流れていた「家政婦さんは?」「家政婦さんまだ?」といったコメントが、徐々にその数を増やし始めた。柚月は、それらのコメントをチラッと見ているようだったが、まだ触れようとはしない。


(みんな、期待しているんだな……)


 透子もまた、リスナーの期待を肌で感じていた。自分が、この大勢のリスナーの前で、柚葉の隣に座って、声を出すのだ。緊張で、手のひらに汗が滲む。


「……さてと、皆さん。だいぶコメント欄も盛り上がってますが……」


 柚月が、いよいよその話題に触れる気配を見せた。透子の心臓が、ドクン、と大きく鳴った。


「まあ、みんなも期待しているようですし、私も早く紹介したいので……」


 柚月は、大きく息を吸い込み、マイクに向かって、そして透子の方に視線を向けて、満面の笑顔で声を上げた。


「というわけで、スペシャルゲスト! 我が家の家政婦さん、どうぞ!」


 柚月の明るい声が、部屋に響き渡る。透子は、一瞬、頭が真っ白になった。


「は、はいっ! よろしくおねがいしますっ!」


 なんとか、それだけが精一杯だった。声は、少し上ずっていたかもしれない。だが、そんなことお構いなしに、コメント欄は完全に爆発した。


『うおおおおおおお!!』『マジかよ!』『最強最強!』『神回確定!』『俺の推し!』『家政婦さんきたあああああ!』『尊い!』


 画面を埋め尽くすコメントの洪水に、柚月も思わず目を丸くする。


「えっ……? ちょっと待って。え? おめでとうの時よりコメントきてない? マジで? え、これ私の配信だよね?」


 柚月は、自分のチャンネルなのに、家政婦の登場の方が盛り上がっていることに困惑し、マイクを握りながら首を傾げた。その素の反応に、透子は思わず吹き出しそうになる。


「まあ、いいか。特別ゲストの登場だし、私は大人だから許してあげますよ。ふふん」


 柚月は、わざとらしく腕を組み、得意げに笑った。その仕草が、リスナーの心をさらに掴んでいるようだ。


「じゃあ、みんな! 家政婦さんに聞きたいことありますか?」


 柚月がそう問いかけると、コメント欄は再び活発になる。


『どうやったら来てもらえますか!?』『結婚してください!』『うちにも来てほしい!』『家政婦さん、好きな食べ物は!?』『柚葉ちゃんの生活を支えてくれてありがとうございます!』


 喜びと、少しだけ無責任なコメントが入り混じる。


「ちょ、ちょっと待って! 家政婦さん、モテモテですね。プロポーズまでされてますよ!」


 柚月が笑いながら言うと、透子は慌てて否定した。


「み、皆さん、揶揄いすぎですよ! 私は、ただの家事代行スタッフですから!」


 透子は、必死にプロの顔を取り繕う。しかし、柚月は、そんな透子の反応を見て、さらに楽しそうに笑い、マイクに向かって宣言した。


「でも、残念。この家政婦さんは、私のなので。誰にもあげませんから」


 その言葉に、コメント欄は再び狂乱の渦と化した。


『てぇてぇ!』『はい、てぇてぇ!』『公式からの供給!』『もう結婚しろ!』『最&高!』


 透子の顔は、もう真っ赤だった。推しに「私のもの」と言われるなんて。しかも、不特定多数のリスナーの前で。恥ずかしいけれど、心の中は、とてつもない幸福感で満たされていた。


(推し活最高すぎる!)


 透子は、目の前で楽しそうに笑っている柚月を見て、改めてそう思った。この関係が、これからもずっと続いてほしい。透子の心は、これからの二人の共同作業、そして「推し活」への期待で、高鳴り続けていた。







 お読みいただきありがとうございます。

 この12話の中の配信シーンを12.5話としてサポーター限定にアップしてあります。

 よろしければぜひ応援よろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る