モノクロ

星宮遥飛

モノクロ

 私は将来何になっているんだろう。そんな漠然とした不安がいつも私を包み込んでいる。あなたの夢はなんですか、と聞かれるのを恐れている。




 ある日の公共の授業。法律の歴史についての話が終わり、授業が終わるまで十分ほど余裕があった。そこで、先生は昔なりたかったという職業の話をし始めた。

 私は先生の話を聞き流していた。授業は実質終わっているし、聞かなくても別にいいか、と思って片付けをしながらまともに聞いていなかった。

 なによりも、将来に関する話は耳が痛い。まだ何になるか決めることができずにいるのに、周りはどんどん急かしてくる。やれ次年度の教科選択をしろだの、志望校を決めろだの、高二になったばかりなのに全てを決めろと言ってくる。あと一ヶ月ちょっとで将来を決めなければいけない。

 沈む気持ちに追い討ちをかけるように、不意にその質問は飛んできた。


 「今日は18日なので、出席番号18番の坂田恵さかためぐみさん。あなたの夢はなんですか?」


 心臓がきゅっとなった。今まで私が恐れていた、逃げ続けてきた質問。自己紹介のときとかなら心と答え方の準備ができるけど、まさか授業内で聞かれるとは思ってもいなかった。思わず私は目を背けた。




 コンプレックスだった。みんなは当たり前のように夢を語れるのに、私だけずっと何も持てないままだった。いつかきっと見つかるだろうと、時間が解決するとたかを括っていたのも間違いだった。気づけばもう高校生になっていて、やっと焦り始めたときにはもう手遅れなんじゃないかという考えが頭をかすめた。時間はただただ過ぎていくだけで、待ってはくれない。




 「坂田さん?」


 クラス中の視線が一斉に私に集まる。適当に就職してのんびり暮らすとでも答えればいいのに、うまく口が動かない。私は無意識のうちに手のひらに爪を食い込ませていた。結局、何か言おうとして言葉にならなくて、口を魚のようにぱくぱくさせることしかできなかった。


 「ちょっと難しいかな?じゃあ、みなさん隣の人と自分の夢について語ってみましょう」


 気まずい沈黙も、みんなが喋り始めたことで終わった。もしあと少しでも沈黙が長かったら涙が溢れていたかもしれない。

 込み上げてくる感情をなんとか抑えて、私は隣を見た。


 「よろしく」


 彼女は飄々と言った。まるで何も考えてないような、マイペースな態度が私は苦手だった。


 「夢って言われても、難しくない?」


 わかりきったような口調も苦手だ。ただ淡々と言葉を並べる彼女にどこか恐ろしさを感じていたのかもしれない。感情を表に出さない態度が捉えどころがなくて、まるで全てを見通しているかのように感じるせいだろうか。


 「そうだね」


 私はそう曖昧な返事しか返せなかった。


 「私、小説家になりたいんだ」


 突然、彼女は熱く語るわけでもなく、そう書かれた文章を読み上げるかのように言った。だから私は、彼女の言うことが本心なのか冗談なのかわからなかった。


「どうして?」


 他に話題も思いつかなかったから、とりあえずそう聞いてみることにする。


 「ある本の一節が好きで、私も誰かの心に残るような小説を書きたいと思ったから」


 彼女は平然と続ける。


 「白か黒かなら、私は黒になる。黒は、白のように何色で塗られようと揺らぐことはない。そんな純粋でまっすぐな黒になれたなら、私はきっと前を向ける」


 どんな小説かはわからないけど、不思議だ。と思った。なんとなく、可能性がたくさんある白の方がいいと私は思うから。



−−私だったら、何色になりたいだろうか。



 「それがその一節?」


 「そう」


 「川上かわかみさんはそれが好きなんだ」 

 

 「彩羽いろはでいいよ」

 

 やっぱり、彼女と話すのは苦手だ。キッパリと言い切られると、なんとなく申し訳ない気持ちになる。話しているといつの間にか、私は彼女のペースに取り込まれていた。

 

 「どうして、黒がいいの?」

 

 私は浮かんだ疑問をそのままにぶつけてみた。

 

 「私は、いろいろと気にしすぎる性格だったんだ。自分の選択や行動が間違っていないかとか、それが他人にどう思われるんだろうとか。別に気にしなくてもいいことまで気にしてしまう。揺らいで、たった一歩も踏み出せないような白い自分が嫌だった」

 

 彼女の声に、少し感情が込もった気がした。

 

 「そんなとき、あの小説に出会った。それで思ったんだ。揺らいでしまう、自信が持てない白でいるくらいならいっそのこと、どんなに矛盾していようとも前を向き続けられる黒になろうって。だって、過ぎたこと気にしたって何も生まれないじゃない?だったら私は前を向き続けていたい。人生一度きりって言うならなおさら、大げさに自分勝手に生きてもいいと私は思う。自己中だのなんだの周りが言おうと、私は私だから。わがままなところも、後先考えないバカなところも含めて私。どんな私であっても、そんな私を私は大切にしたい」

  

 そう語る彼女の瞳はまっすぐにどこかを見つめていた。たぶん、黒の世界。闇のような黒じゃなくて、輝いている黒の世界を。

 いつしか私の中にあった苦手意識も消えていて、彼女の話を一心に聞いていた。 


 「黒であろうと、ようやく見つけられた私の、私だけの色を私は見失いたくないから」

 

 私はハッとしたと同時に、謝りたくなった。 

 今まで私は、彼女のことを自己中心的な人間だと思っていた。周りなんて気にも留めない、空っぽな人だと。でも、それは違った。

 彼女は、良くも悪くも自分をしっかりと持っているんだ。それは簡単なことじゃない。いろんな迷いや葛藤が付きまとう、茨の道を通らないと手に入らないものだから。

 自分の思いをありのままに話す彼女の表情は晴々としていた。つられるように、私の心の中に渦巻いていた嫌な感情もどこかへと去ってしまった。

  

 「私ね、さっきの恵が答えられないとこ見て思ったんだ。もしかしたら、恵は私と同じかもしれないって」

 

 そこで私はやっと気づいた。自分でも、驚くほどに鈍感だったと思う。夢という、私の苦手な話題でも彼女の話を聞けたのは、確かに彼女の話に興味があったのもそう。だけど一番の理由は、昔の彩羽と今の私が同じだと思ったから−−

 

 「ねぇ、どうやったら私の、私だけの色を見つけられるの?」

 

 私も、たった一歩だけでもいいから踏み出したい。その強い私の願いとは対照的に、彩羽の答えは簡単なもので、私はあっけらかんとした。

  

 「もう、見つかってるんじゃない?」

 

 「へ?」

 

 「いろいろ揺らいだり迷ったりするのもまた、恵の“色”だと思う。大事なのは、自分の色を認めて大切に磨き上げることだから」



 揺らいだり迷ったりするのもまた、私の色−−



授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。挨拶を終えると、学食へ向かうため一斉にみんなの姿が教室のドアから消えていった。彩羽もまた、友達に手を振って一緒に学食へ向かっていった。

 

 少しの間、私は呆気に取られていた。いつまでも晴れることがないと思っていた不安の闇が、染み付いていた、吸い込まれるような黒が消える日が来るなんて思わなかったから。

 揺らいだり、迷ったりしている今の私は、彩羽の言葉を借りるならたぶん白色なのだろう。

 



 白くなった私は、何色に染まっていくのだろうか。

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