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 閻魔王宮――地獄の最上階の中心に位置する、巨大な宮殿。ありとあらゆる種族、文化が入り混じり、時代と国が重なり合う、「和洋折衷、万国折衷」の場所。

 火亜と戦がこの間まで働いていたのは、正門から一番近い位置にある、閻魔庁と呼ばれる建物だ。

 そして、鬼門きもん――古来より鬼の出入り口とされる北東の方角に、今日から二人が勤務することになる火樹銀花宮かじゅぎんかきゅうはある。宮とはいっても、閻魔庁とは違いそれほど大きな建物ではない。閻魔王宮の中で最も小さい宮とも呼ばれているここは、ひら獄卒や庶民の家とそう変わらない広さの二階建てだ。一階が泰山府君としての仕事場になる。

 泰山府君の就任式から一晩明けた翌朝、戦と火亜はその仕事場に足を踏み入れた。しばらくここは空席だったのだが、管理がきちんとされていたのか、それとも今回の就任にあたって整理されたのか、埃一つなく綺麗な部屋だ。火亜がさっと室内に視線を走らせている少し後ろで、戦は戸惑ったようにきょろきょろと部屋を見回した。

「――あ」

「うん?」

 思わず声を漏らした戦に、火亜が振り向く。

「あ、いえ、えっと」

「なに? 気になることがあるなら、何でも言って」

 優しい声と眼差しに、戦は気まずそうに口ごもりながら視線を逸らす。ほとんどなんでも即断即決即答できる戦にしては珍しい。それでも最近の戦は今まで知らなかった感覚や感情を少しずつ知って、そのたびに混乱して戸惑って、迷っていた。きっと今回もそのひとつなのだろう。

 なら、聞きたい、と火亜は思う。

「……た、大したことでも、気になることもなくて。本当に何でもないのですが……」

「それでも聞きたい」

「う……あの、その。……司命しみょう様と司禄しろく様は、ここにはいないんだな、と……」

「――ああ、そうか」

 気まずさと恥ずかしさが滲む戦の態度に、納得がいった。閻魔庁にいたころは司命を務める叡俊えいしゅんと司禄を任された夾竹桃きょうちくとうの二人も一緒に働いていて、いつも火亜と戦より早く閻魔庁についていたのだ。戦の中で、仕事場に行けばそこに二人がいること、いつものようにふざけ合って、戦たちが入ってきたら振り向いて声をかけてくれることが、自分でも気づかないうちに当たり前になっていたのだろう。

 火亜が泰山府君となって仕事場が変わった今では、もうそれはない。叡俊と夾竹桃は今頃閻魔庁で、閻魔大王とともに職務についているはずだ。そのことを知ってはいても、あまりに馴染みすぎた日常に、姿が見当たらない二人を思わず探してしまったらしい。

「……すみません。情けないことを」

「どうして? 全然情けなくなんかない。それどころか、それは本当に、すごく嬉しいことだよ」

 火亜は体ごと振り返って戦に振り返り、ゆったりとあたたかい声で紡ぐ。

「それは戦に友達ができて、友達のいる毎日が当たり前になって、その友達を好きになって、会いたいと思ったしるしだ。いいじゃないか。こんなに素敵な気持ちが、戦の中にあったんだ」

 ふわりと戦の瞳が瞬いた。その瞳の中に泡のような光が揺らめいて、小さく開いて何かを言おうとした唇を引き結ぶ。

「……そうですね」

「うん。二人とは、もう二度と会えないわけでもない。同じ王宮の中にいるんだし、またすぐに顔を合わせると思うよ。……いや、やっぱり後で会いに行こうか」

「え、ですが」

「仕事が終わるころに、ちょっと閻魔庁のほうまで行ってみよう。戦はあの二人に会いたいんだろう?」

 火亜は身を翻して話しながら、奥に据え付けられた広いテーブルに近寄り、椅子をひとつ引いた。

 優雅に洗練された動作で腰かけると、戦に向かって悪戯っぽく笑む。

「僕もだ。――それにきっと、叡俊も、夾竹桃もね」

 戦が大きく目を見開いた。それから、ますます唇をきゅっと結んで、右の手のひらで左手を包む。

「……っはい」

 火亜は優しく瞳を細めて静かに微笑むと、隣の椅子を引く。

「じゃあ、戦。座って」

「……えっ?」

「え、って。泰山府君は相手を知り、自分を知ってもらう仕事だし、相手と気兼ねなく、上下の立場なく話せることが重要だよ。だから机も閻魔庁のときとは違って、何人かでテーブルを囲める形になっているだろう? 戦も座らなきゃ。一人だけ後ろに控えさせるわけにもいかない」

「ですが私は護衛であって、立っていたほうが有事の際に対応しやすくなります。座ったままでも戦えることには戦えますが、やはり万が一のことを考えると動きやすく護りやすいのは……」

「……座ったままでも戦えるのか……」

 戦の反論よりその戦闘能力に、火亜が目を瞬かせた。戦はきょとんとして首を傾げる。

「それは、必ず立ったまま戦闘に持ち込めるとは限りませんので。寝ているところや転んだところを襲撃されたり、天井が低い場所でかがんだまま戦闘しなければならなかったり、敵と場合によっては椅子や柱に縛り付けられることも考えられます。ですので、ありとあらゆる態勢で戦えるように訓練はしてありますし、戦闘を任される者としてその程度は当然かと」

「へえ、凄いですね」

――ちりん。

「じゃあたとえば、跪踞ききょ蹲踞そんきょの姿勢でも戦えるんですか?」

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