第二十六節 大森林は意志を持つ

 スチール扉が重く閉じられて施錠された。

 小部屋の壁一面は無数の監視用モニター。その前の長机に乃羽のわが着いて、後ろにるなが立っている。四人の女教師も画面を見つめていた。

 月がこちらを向いて、

柏木かしわぎ、ご苦労様」

「理事長様、みんなは」

「ここに集まったのが全員。あとはご覧の有様ね」

 月の視線を追ってモニターを見る。


 エントランス、廊下、研究室──分室の至るところに裸の少女たちがなだれ込んで破壊の限りを尽くしていた。逃げ遅れた職員たちは車輪に引かれるように踏みつけられていく。朱にまみれた肉体は物のように動かない。


「この子たち、うちの生徒なの!?」

 しゃ女学院の生徒数百人が一堂に会したようだった。

 ──こんなの、常軌を逸してる!

「ママ、どういうこと。みんなになにをしたの!」

 詰め寄るあきらに変らぬ鉄仮面が向き合う。

童女どうじょじゅにしてやられたというところね。午前中、電波混信装置が故障して、あの樹は束の間自由を取り戻した。その際仕込まれた罠はストラグルボディだけではなかったということ」


 乃羽がこちらを向いて、

「原生林の木々は、繋がりあった根と菌根を介して、養分や化学物質や電気信号を送りあっています。害虫に襲われた樹が、葉から分泌する芳香物質や地中の菌根網を使って危機信号を送ると、隣接する木々は、害虫の到来に先んじて天敵の昆虫を招く化学物質を放出できるんです」

「森をインターネットになぞらえ、ウッド・ワイド・ウェブという人もいるみたいね」

 乃羽は小夜さよに頷いて、

「童女果樹は私たち栽培者さいばいしゃを不要と判断したのでしょう。生徒たちを洗脳・操作する化学物質を放出するよう森の木々に指令を送り、皆を操ったのです」


「そんなことが!」

「その操作は電波を介していないわね」

 乃羽は小夜を見つめて、

「現在、電波混信装置は正常に動作しています。疑似餌ぎじえたちの操作も私たちの支配下です。森が分泌した霧状化学物質は、童女果樹への帰巣欲と栽培者への攻撃欲を生徒たちの心に喚起させて、間接操作を行っているのでしょう」


「まるで童女果樹が心を持っているみたい」


 腕を組んだ月がこちらを見つめて、

「童女果樹は、跋識山ばつしきざんはんする原生林の根と菌根の網が作り出す指向性の結節点ノードにすぎません。本体は地中に広がるネットワークのほうなのです」

「それじゃ、っていうんですか」

 瞳がこちらを射抜いて、

「地中の網が意識を持つか定かではありません。しかし記憶と指向性があることは確実です」

「その総体は人間を利用することを目指している」

 小夜が補完する。


「どうしてそんな危険なものを存続させておくんですか。こんなことになるなら燃やしてしまったほうがいいのに!」

 ──理事長様たちが迦陵かりょう様の化学物質で意志を操作されてるなら、こんなもの言いは通じないんだよね。

 それでも叫ばずにはいられなかった。

 月は昂然こうぜんと、

「あの樹は私たちを餌食とする反面、大きな可能性も与えてくれた。オキシトシン吸引や経頭蓋けいとうがい磁気じきげきでも完治できなかった自閉スペクトラム症者の脳に社会性を付与するのみならず、肉体と精神の可能性を押し広げて、不老不死や天才にすることを可能にしようとしているのです。私たちは食い物にはならない。私たちこそがこの森を支配するのです!」

 月の瞳に妖しい光が宿って声が激した。

 ──野望? それとも怨恨なの?

 その意志は童女果樹の支配から脱しているように思えた。


 小夜が前に踏み出して、

「しかし、その結果がこの惨状です。開眼カイゲンの恩恵を受けた身で言えることではありませんが、童女果樹は私たちには過ぎた玩具おもちゃだった。そうでしょう」

「いいえ、私たちは勝つわ。松浦まつうら、やりなさい」

「はい」

 指先がキーボードを叩く。

「乃羽」

 優愛ゆあの声がふるえる。

 悲痛を宿した瞳が見つめて、

「優愛、貴女あなたは嫌がるだろうけれど、私たちが生き延びるためには、こうするしかないの」

「だめよ、やめさせて!」


 走り寄った優愛がキーボードに触れる寸前、月が手首をつかんでひねり上げる。

「あっ!」

 背後に回り込んだ月に両手を持たれて優愛は動きを封じられる。

「柏木、貴女の甘さは承知しているけれど、今は静かにしていなさい。その目に焼きつけることね、私たちの成果を!」

 ──なにが起こるっていうの。

 膨れ上がる悪い予感は目前のモニターの中ではじける。


 廊下を群れ歩く裸の少女たちの一角が吹き飛ばされた。


 ──なに!?

「ストラグルボディね」

 小夜の冷静さが事態を明かす。

 裸身の巨女が剛腕を振るうたび、少女たちは強風に舞う木の葉のように散らされていく。

「だめ、あんなことされたら、みんなが!」

 打撲や骨折で済めばまだ良い。命の危険すらありそうだった。

 ――モニターだと位置関係が分からないけど。

 この警備室へ侵入する者を阻むために配置されたのだろう。

 ──でも、一体だけじゃ。

 二百人以上の暴徒は皆筋力を増強されていた。

 ──ストラグルボディでも押しきられそう。


 小夜は優愛越しに月の瞳を見据えて、

「童女果樹は白銀しろがね先生たちを殺害して電波混信装置も破壊したのち、私たち生徒と迦陵様を混ぜ合わせて新たな栽培者とするつもりでしょう。この窮地をどうくぐり抜けるおつもりなのですか」

「すべては想定済みです。松浦」

「はい」

 ふたたびキーボードをタイプした乃羽は柔和な瞳でこちらを見る。

「森は、童女果樹が発した危機信号にこたえて化学物質を放散しています。童女果樹に繋がれた装置を介して危機信号の発信を停止させました。森が化学物質の放散を止めれば暴動は鎮まることでしょう」

 玲が眉をしかめて、

「このまま籠城してればいいってこと? そんなに上手くいくのかしら」


 小夜が右親指を顎に当て、

「それが叶うのならば、この原生林の生態系を人が操作できることになりますね。けれど、少し変な話です。ウッド・ワイド・ウェブは、様々な樹木の根を様々な菌種が繋ぐ脱中心的複合体です。多くの繋がりを持つ樹もあれば、少ない繋がりしか持たない樹もあります。森全体に化学物質の放散を促せる単独の樹は」

 月が冷然と、

「あるとしたら?」


「童女果樹がすべての結節点ノードだと?」


「その通りです。あの木の根元には膨大な量の菌根が繋がれています。森の意識の根源であるかのように」

「まるで原生林のシステムをハックしたようですね。白銀先生、ご存じなのではありませんか。あれは本当に樹木ですか。それとも未知の生物なのですか」

 返答を打撃音が打ち消す。


 振り向くと、スチール扉が揺すぶられていた。

「なぜ!? 危機信号が停止されていない! 装置が故障したの!?」

 乃羽の動揺が教師たちにも波及していく。

 モニターでは押し寄せる生徒たちにストラグルボディが呑み込まれていた。

 ──肉体の波で動きを封じられてるんだ。

 別モニターでは生徒たちがスチール扉に体をぶつけだしている。


 玲が扉から距離を取って、

「破られるわ!」

「みんな奥へ」

 小夜の声に押されて皆は壁際に退しりぞいていく。

 優愛の手を離した月も続いた。

「優愛ちゃん?」


 グラマラスな体はスチール扉を背にして動かない。


 悲しみを宿した童顔がこちらを見つめて、

さかきさん、影山かげやまさん、白銀さん。ごめんなさい、守ってあげられなくて」

「柏木、貴女、装置に手を入れたの!?」

 優愛は月に頷く。

「理事長様──ううん、月ちゃん。私たちは間違っていたわ。どれだけ存在を変えられたのが悔しくても、人類を進化させる可能性があっても、この子たちを犠牲にし続けて達成する栄光に価値なんてない」

「世迷い事を! 私たちが意志を失わず生き延びるには、あの木を利用するしかない!」

 優愛は首を横に振って、

「意志を持っているからこそ、支配にあらがってあの木を滅ぼせるの。そうでしょう」

「優愛ちゃん、自殺するつもりなの!?」


 栽培者は童女果樹に逆らえない。

 ──だから理事長様は、繁栄に協力しながら成果をかすめ取る道を選んだんだ。

 そのことに反対する優愛が、童女果樹の外敵駆除反応を促すことで、分室そのものをなくしてしまえると考えたのなら。


 はずされた扉が優愛の背後に倒れる。

 白い裸身がなだれ込んできた。

 無数の肉体が恐怖と化して押し迫る。

 たおやかな肌に全身を圧迫された。

 息がつまって意識が遠退く。

 ──小夜!

 無数の肉にさえぎられて、伸ばした手は届かなかった。

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