第二十四節 共同研究は未確定
扉を横に引いた
左右に長い部屋だ。
中央に会議用とおぼしきロングテーブルセット。右奥の壁にプロジェクタースクリーン。左奥は全面の窓。その窓を背にして置かれた重厚な机に着いて、デスクトップPCのキーボードをタイプしている
玲が扉を閉める。
手を止めた月がモニターから視線を上げた。
「ひとり多いようだけれど、なんのご用」
「お願いしたいことがあって来たわ」
改まった雰囲気で歩んでいく玲を追った。
月を見たのは入学式以来。そのときは遠くからだったので細部まで確認できなかった。
──本当、そっくりだ。
顔パーツのひとつひとつが玲と近似している。ショートヘアを七三分けにしてワイシャツに白衣を羽織っていることを除けば、一卵性双生児そのものだ。
視線が玲を射抜いて、
「なに? 言ってごらんなさい」
「
「懲りない子ね。変更はできないと言ったはずよ」
月は眉を寄せる。
「生徒の肥料化は
「事実を知って、私がなにもしないと思っているの」
「どうするのかしら」
「通報するわ、警察に。適切な処罰を求めるだけよ」
「やめておきなさい。白銀の保護をなくして
「それは」
クローン体の維持には医療的処置が必要なのかもしれない。そのための機器や薬を提供できるのが白銀のみだとしたら、
──玲は理事長様に命を握られているに等しいんだ。
月の視線が
「小夜さん、
──小夜も!
──適合例である小夜も完治はさせられなかったんだ。
「白銀を告発すれば、私と玲も破滅しますね。確かに私たちは一蓮托生です」
小夜は細めた目で月を見つめて、
「では、灯が
「可能性がないとは言いませんが、極めて低確率です。いいですか、
「通常ならばそうですね。証拠隠滅の難度から、犠牲者は施設出身者に厳選されていた」
──書庫で聴いた話が確かなら、そういうことになるんだよね。
「そうだよ小夜。私の記憶さえ消してもらえれば関係なくなるの。だから無理をしなくても」
小夜は月を見つめたまま、
「あまり詭弁を弄さぬことです。その記憶消去は短期的なものですね。当日の記憶は消去できても、三日まえの記憶は消せないような」
月の鉄仮面は動じない。
「だとするなら、どのみち灯は迦陵様との一体化を強要されるはずです」
──三日まえ、冷蔵庫で
「小夜、だから私を」
月は息をついて、
「まったく、
緊張が高まる。
──
美桜の切断死体を目撃したことが意図的なものだと知れたら、どうなるのだろう。
「血液検査は好きにするといいわ。適合可能な場合は同類となり、変革の理念に賛同するようになるでしょう。そうでなければ
卓上の受話器を取った月はボタンを押し、検査を依頼した。
「処置室は二階よ。玲さん、案内してあげて」
三人は廊下に出る。玲が扉を閉じると一気に緊張が解けていった。
小夜、玲と並び歩きながら、灯は自らを抱く。
「ああ、怖かった。玲とおんなじ顔なのに、なんであんなに」
「
「童女果樹が栽培者を間接操作するための
「でも、よく分かったね。
皆でエレベーター扉の前に立ち止まる。
くだりボタンを押した小夜が横目でこちらを見て、
「
「え」
「でも、分かったからいいじゃない。どちらかというと悪いほうに転んだけれど」
──この子、そこまで考えたから私を助けにきたんだ。
扉が
2Fのボタンを押した玲がこちらを見て、
「柏木先生が灯を目撃者にしなければ、巻き込まれずに済んだのにね」
「うん──でも、もう知っちゃったから」
事態が把握できるにつれて自らの窮地が染み入ってくる。
「ねえ小夜、私が生き残る方法って栽培者にされることしかないの?」
二階に着いて扉が
「学院から脱出して警察に保護を求めることは、あまりよくないわね」
「どうして? それが最善じゃない」
「普通ならね。でも、今回の事件は白銀が企んだこと」
「ママはあらゆるルートを使って訴えを握り潰すでしょうね。挙句の果てには、でっち上げられた罪状で、こちらが裁かれることになるかもしれない」
「そんな!」
小夜は動じずに、
「白銀にはそれだけの力があるということ。今回の件には政治家や軍需産業の思惑もあるようだから、なおさらね」
「どういうこと。超人を作ることは理事長様個人の野望でしょ」
「そうかしら。超人なんてものを作り出したら、商売をしたがるのが実業家の思考でしょう。兵士や諜報員に転用したら莫大な利益を生むでしょうね」
話のスケールに二の句が告げなくなる。
「多分それも短期的な目標だと思う。ママの本心は──」
言葉を止めた玲が扉の前に立ち止まる。灯と小夜もあとに倣った。
玲が扉をノックすると、
「はい、どうぞ、あいていますよ」
よく知る声が耳に入った。
玲が
柔和な瞳が眼鏡越しにこちらを見つめる。
「月から話は聞いています。採血と膣洗浄だけさせてくださいね。検査結果は一時間ほどで出ますから」
入室した灯は、乃羽と対面する丸椅子に腰を下ろす。
机に並ぶ透明な円筒に目を奪われた。
「これって」
満たされた液体に浮かぶのは童女の体の部分。
──手、足、眼球、脳まで。
「こちらに肘を乗せて」
注射台に左腕を乗せると、指先に肌をなぞられる。血管を探り当てられ、
トレイから取ったホルダーと針を組み合わせた乃羽は視線で円筒を示して、
「疑似餌の組織片です。これから榊さんの血液と疑似餌の細胞を混ぜ合わせて感受性を調べます。それによって肥料となるか栽培者となるかが分かるんです」
消毒綿で肌が拭かれて針先が血管にもぐり込む。ホルダーに挿し込まれた真空採血管に赤黒い液体が充ちていった。二本分の血を採られると駆血帯がはずされた。針が抜かれて傷口に絆創膏が貼られる。
「はい、押さえて」
触れると、
「二、三分そのままでいてください。落ち着いたら一緒にトイレに行きましょう。そのあと休憩室に行くといいわ。瀬戸さんたちが横になっているから」
乃羽の顔を見つめて、
「松浦先生。先生も迦陵様に溶かされたあと再生したんですよね」
「ええ。もう二十年も前のことですけれど。禁を破って原生林に入って、あの木の許にたどり着いたの。月と優愛と、ほかにも五人のクラスメイトが一緒だった。私たち以外はみんな肥料にされたわ」
少女同然の美貌に影が射す。それもすぐ穏やかに戻って、
「月がいなかったら私たちはとっくの昔に狂っていたでしょうね。あの混乱のなか、彼女だけが事実を的確に分析して、未来へ進む道を
──それが私たちを実験体にして殺害することなの?
問いを声に出すことはできなかった。
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