第二十三節 共生は野望と共に

 あきら生脚なまあしを交差させて、

「ママはそうは思ってなかったわ。童女どうじょじゅの力を利用して人類を進化させようとしているの。迦陵かりょう様と混じって変容した肉体は老化しないだけじゃなく、身体能力や認知能力をいちじるしく向上させるそうだわ。それを人工的に再現できたら、種としての人類をさらなる高みに引き上げられるかもしれない。そんな野望にとらわれているのよ」

 小夜さよが腰に両手を当て、

白銀しろがね先生が自閉スペクトラム症の治療にこだわったのも、そのための橋頭保きょうとうほ自閉スペクトラム症ASD者に顕著な幼形成熟ネオテニーの形質が、超人への変容に奏効そうこうしたためよ」

「ママは童女果樹を利用しているつもりなんでしょうけど、そう思い込まされて奉仕させられているだけかもしれないわ。超人になれたって、ああまで人の心を忘れて、なにが進化なのかしら」


「でも、理事長様には娘をだいにしたいって気持ちはあるんだよね。だから玲を助けたんだし」

 玲は気まずそうに視線をはずし、

「ママが私を大切にしてるのは、娘だからじゃないわ」

 意を決した瞳に見つめられた。


「私がママのクローンだから。実験の貴重な成果だから大切にされてるだけ」


 腕を組んだ玲は顔を伏せる。

「勝手なものよ。男を愛せないからって、自分の複製体を娘にして、だから大切だなんて」

 ──理事長様は人のクローンを造り出したの? それも自分の!


 技術的には可能なのだろう。

 哺乳類の体細胞クローンは、一九九六年にドリーという羊で実現されてから、様々な大型哺乳類で行われている。クローン個体も繁殖能力を持つけれど、テロメアの短縮など遺伝子異常が起こりやすいことや、倫理上の問題から、人への技術適応は禁止されていたはずだ。

 ──玲の生きることになげやりな態度が、母親のクローンとして造られたことにっていたのなら。


「ねえ、玲。こんなこと言うと怒らせちゃうかもしれないけど、そんなに気にすることないと思うな」

「どうして?」

 よく分からないわ、という顔をされた。

「だって、理事長様のクローンでも、玲は玲だよ。遺伝子を共有してたって、育った環境もつちかった心も別物でしょ」

「それはそうなんだけど。貴女あなた知らないでしょ、この技術は未完成なの。子供をつくれるかどうか、寿命がどれだけあるかもわからないのよ」


「うん。でもさ、それって私も一緒だよ」

「はあ?」

「私もいつ死ぬかわからない。いきなり病気や怪我で死んじゃうかもしれない。だからって、より良く生きることをあきらめるのは悔しいから。綺麗事だと思ってくれていいけど、私、玲といっぱい楽しいことしたいよ」

 玲は深く息をついて、

「同情なんてやめてほしいんだけどな。べんで慰められても気が晴れないわ。でも、貴女がいい意味で倫理に囚われない人だってことは分かったわ」

 こちらを見つめる顔は和らいでいた。


 両脚を開いた小夜が腰に両手を当て、

「さて、倫理知らず三人で、不倫理の女帝と談判しに行きましょうか」

 優愛ゆあが歩み出て、

影山かげやまさん、なにをするつもりなの」

とうの記憶と身柄の安全を保障してもらいにいきます」

「無理よぉ。理事長様の邪魔になるなら、記憶を消されるしかないわ」

「私と玲の記憶は消されませんでしたね」

「それは、ふたりは有用な被験体だし、将来は共同研究する立場にもなってもらえるから」

「灯もその立場に立てるとしたら?」

「可能性は低いわ」


「とはいえ、ここからのがれて犯罪を訴えようにも、私たちは証拠を押さえていません。死体の写真一枚も提示できないのでは告発力不足ですね。私たちに資料を提出することができるのですか」

 優愛は首を横に振って、

「やってみることは否定しないけれどぉ、甘い目論見もくろみをいだかないほうがよいわ」

「ご忠告は痛み入ります」


 玲が壁から離れて、

「ママは三階の所長室よ。職員に見つかると厄介だから、行くなら慎重にね」

「手回しをありがとう。玲がいなければ閉じ込められたままだったわ」

「いーわよ別に。私もママには言いたいことがあったから」

 ──小夜の脱出を手引きしたのって玲なんだ。

 理事長兼所長の娘だから監視も手薄だったのかもしれない。


 かたわらの扉を少し開いた玲は、顔を出して左右を窺う。誰もいなかったのか、扉が大きく開かれ、こちらが手招きされた。

「いいわ、来て」

 優愛に一礼して廊下に出る。

 天井のダウンライトが飾り気ない白さを照らしていた。壁に並ぶ扉はすべて閉められ、ひともない。

 玲を先頭に左に進んでいく。

 十字路手前の右壁にエレベーターの扉が見えた。皆が立ち止まると、玲が昇りボタンを押す。

 3Fの光が1Fに向かってきた。


「こっち」

 玲に左袖を引かれる。見やると、小夜が十字路の角に隠れたところ。

 ──誰かが乗ってくるかもしれないんだ。

 一緒に角に入り込む。

 自動扉が開く音。

 誰も降りてこない。

 歩み寄った玲が中を覗いて、

「大丈夫よ」

 皆が籠に乗り込むと、3Fのボタンが押された。扉が閉まって上昇していく。二階で止まらずに三階に着いた。

 扉がひらいた先にも人の姿はない。廊下を進んで白い扉の前に立ち止まる。


 所長室と書かれたプレートがつけられていた。


 いいかしら? と視線で問われて、灯と小夜は無言で頷く。

 深呼吸した玲は扉をノックする。

「ママ、私よ。入ってもいい?」

「どうぞ」

 おちついたひとの声が答えた。

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