第十九節 救出者は白衣の悪魔

 れき小夜さよを見て、

「この引き戸、硬そうだし、防げるかな?」

「期待しないほうがいい」

 小夜は首棚くびだなのあいだの両開き扉に向かう。とうたちも続いた。

 ──棚を開きっぱなしでよかった。

「あ、そこの番号は5005よ~」

 優愛ゆあがさらりと言う。

 ──読めなくなってたエレベーターの番号!

「優愛ちゃん、すごい!」

「すごいってぇ~、私ぃ、監督官なのよぉ~」

 さすがに不服そうな声が返った。


 小夜がボタンを押す。電子音が鳴って扉が左右に開いていく。

 背後からいびつな音が響いた。見やるとステンレス戸が盛り上がっている。

 ──うそっ、拳で破るつもりなの!?

 二撃目の衝撃で戸が折り曲った。

 ──次ではずされる!

「ええ~、なにここ、行き止まり!?」

「違うわ。エレベーター!」

 開いた扉の先の部屋に礫と小夜が入っていた。灯も優愛の手を引いて入室する。

 幅は大人ふたりが腕を真横に伸ばして並べるほど。奥行きは車載用ストレッチャーが収容できるほどはある。


 吹き飛んだステンレス戸が回転しながら床をすべり、棚の一角に激突した。


 穴をくぐって巨女が冷凍室に入り込んでくる。

 小夜が壁を二度叩いた。到達目前の巨体は閉じていく扉にさえぎられる。

 拍子外れの微動と共に部屋が下降しだした。破壊音はなく、静かな浮遊感を覚えるだけ──。


 壁に背をもたせた小夜が息をついて力を抜く。

「もう襲ってこない、よね」

 小夜はこちらを横目にして、

「外扉を破って飛び降りてこなければね。あの巨体だもの、そんなことをしたら、ただじゃ済まないはず」

「スリルいっぱいだけどさ。このエレベーターどこに向かってるんだろ? ちょっと下り方長くない?」

 礫のいぶかしげな視線が両開き扉を刺す。

 ちいさな振動が下降の停止を伝えた。

 扉が左右に開いていく。


 外を一望して、

「ここって──洞窟の中?」

「そのようね。跋識山ばつしきざんには鍾乳洞があるそうだけれど、来るのは初めてだわ」

「おお~、先生たちから入っちゃいけないって言われてたとこだね。繋がってたんだ」


 岩の円蓋えんがいが覆う大空間だ。


 高い天井には氷柱つららいし、広い地面には石筍せきじゅんが延びている。石柱せきちゅうになって聳えるものもあった。分枝する舗装路には灯りが並んでいる。明暗が景色を人影のように見せて、どきりとする。


 灯と手を繋いだままの優愛が、

「あのぉ~、みんなぁ~。私ねぇ、ここにじっとしてると危険だと思うの~」

 ヤスリで物を削るような音が頭上から落ちる。響きは土砂崩れめいて大きくなっていった。

「いけない!」

 小夜が灯の左手を取って外へ駈け出す。

「あ」

「やあん」

「急いで!」

 一緒に引っぱられた優愛が礫の手を取って、ひと繋ぎになった四人は鍾乳洞へ走り出た。

 背後の轟音が耳を打つ。

 ──あのひと、ホントに飛び降りてきたの!?

 少し離れて立ち止まって振り向き見つめた。

 

 部屋に満ちる破片と土煙に大影おおかげが揺らめく。


「優愛ちゃん、どうするの? どこへ逃げれば」

「ええとぉ、ここからだとぉ、出口は」

 優愛は取り乱しながら周囲を確認しだす。

 大影の頭が下がって巨女の裸身が現れた。

さがしてる暇はない、奥へ!」

 手を離した小夜が舗装路を駈け出していく。

「うん!」

 灯も手を離して走り出す。優愛と礫もついてきた。

 道はならされて、つまずく心配はない。

 ――待って、速すぎ!

 狂気をはらむ気配に追い抜かれる。

 立ち塞がる巨体に皆が立ち止まると、

乃羽のわ~、ここ、ここぉ、やっちゃってぇ~」

 手を振る優愛が場違いな声を上げた。

「うわっ!」

 痙攣した巨体が倒れ込んできて、皆は退しりぞく。


 ひらけた地面にうつぶした巨女はぶつのごとく動かなくなった。


「優愛、先走りすぎよ。準備が整うまで待っていてと言ったのに」

 ──松浦まつうら先生!? ほかにもたくさん!

 ミモレ丈ワンピースに白衣を羽織ったひと──養護教諭の松浦乃羽が舗装路の奥から歩んでくる。その後ろから、白衣を羽織った十人ほどのひとたちが三台の車載用ストレッチャーを押してきた。

 しゃ女学院の女教師たちだ。

 ──どうして、みんなお医者さんみたいな恰好なの?


 見知った人々に礫が気を許して、

「乃羽ちゃんどうしたの。ハロウィンにはずいぶん早いよ。でも、すっごいね。このでっかい女の人を気絶させたの、そのブザーでしょ」

 乃羽は右手のブザーを白衣のポケットにしまい、

疑似餌ぎじえ童女どうじょじゅの発信する電波で操られています。混信させれば無力化できますから」

「どーじょかじゅって?」

 礫が首を傾げた。


 乃羽は訴えるように優愛を見つめる。

「優愛」

「わ、分かってるわよぉ、やるわよぉ。私が日和ひよるなんて思わないでぇ」

 ──優愛ちゃん?

「すべてははず通り。抜かりはなしといったところね」

 妙に突き放した声のほうを見ると、小夜が苦い顔をしていた。

 似つかわしくもない敗北宣言に思えて、

 ──小夜、誰に負けたっていうの。怖い女の人は倒されて、先生たちも助けに来てくれたのに。


 背中に気配を感じる。

「ん!? んぐ」

 口元をハンカチで塞がれた。

 横目に見た襲撃者の姿は──。

 ──優愛ちゃん!? なにをするの!?

 鼻腔の甘酸っぱさに意識が酩酊する。

 過度な幸福感が夢心地に引き込んでいった。

 なにもかもが弛緩して、ふくにだらしない熱さを覚える。

 ──ああ、これって、迦陵かりょうの祝宴のときかれてたお香の匂いだ。

 

 気づいたときには意識が闇に沈んでいた。

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