第十五節 虜たちの戦慄

 六人は隠し階段の下に合流する。


 れきに事情を尋ねると、

「う~ん、それがさ、二階にもあかない扉があってね。なんか暗証番号を入れるとこがあったから、まゆ様が適当に押してたの。そしたらボクの足もと沈んでっちゃって。隠し階段とは思わなかったな~」

「ううう、よかった。繭のせいでアンタが死んじゃったら、寝覚め悪くてしかたないわ」

 繭は礫に抱きつきっぱなしだ。

 永遠とわが瞳を伏せ、

「ここまで大仕掛けがあると不用意な入力は危険。だけど、扉が開かなければ進展もない」

「やっぱり、二階にも色々あったんだね」

「ん? ってことは、とうちゃんたちもなにか見つけたんだね」


 こちらの経緯をかいつまんで伝えると、

「へえ~、ボクちょっと見てみたいなぁ、その地下に繋がる穴」

「はぁ、そんなとこにもぐらなければ脱出できないなんて、嫌ねぇ」

 正反対な感想を返す礫と繭を見て、

「もうみんなで行けば少しは怖くなくなるかも」


 少し考え込んでいた永遠が、

「それは迦陵かりょう様のねぐらに通じる穴」 


「えっ、なによ、なんか知ってるの」

「迦陵様はそうせいを持っている。その穴は禁域の奥の群生地に繋がっているんだと思う。迷わなければ森の中に出られるかも」

 あきらが右脚に重心を掛け、

「難易度の高そうな話ね」

 小夜さよが階段を見上げる。

「二階にある入力装置も気になるところだけれど」


 脳裏になにかを思い出す。

「あれ? 私、その暗証番号、知ってるかも」

 全員の視線が灯に向いた。




「そういうことは、もっと早く言っておいてほしかったわ」

 話を聞いた小夜は拗ねたように唇をゆがめる。

「ごめんごめん、番号を見てたの忘れちゃってて」

 キーボックスの中に暗証番号が彫り込まれていたことを思い出したのだ。

 ほかにも大変なことがたくさんあったから、忘れていたのは仕方がない。


 小夜は礫、繭、玲を見て、

「お三方は、まさにそのキーボックスで鍵をさがしたのでは?」

「あはは、ぜんぜん気づかなかったよ」

「あのときは、そうよ、鍵を捜すので手いっぱいだったの!」

「不覚だったわ。気づかなかった」

 ──凡ミスだけど、取り乱してたときは仕方ないよね。

 礫が両手を腰に当て、

「じゃあ、番号を確認しに保管室まで行く?」

「大丈夫だよ。憶えてるから」

「あ、そっか、灯ちゃん記憶力よかったっけ」

「うん、まあ、ほかに取柄ないから」


 ものを憶えるのは得意だった。

 正確には映像で記憶するのだ。

 キーボックスの中を脳裏に再生すれば暗号が映っているので、見ながら押せばよい。数字そのものを憶えているわけではないので、物覚えが良いとはいえないのかもしれない。それでも暗記科目の得点稼ぎには使えるし、スマホを所持していなくてもカメラを携帯しているようにできる。

 ──でも、そのおかげでおう様の切断死体も新鮮なままなわけだしなぁ。


「それじゃあ二階に行きましょうか。風穴ふうけつを探索するまえに扉を開いてしまいましょう」


 六人は隠し階段をのぼり、二階へ向かう。


 木製の階段は仕掛けで下りてきたとは思えないほどしっかりしていた。手摺てすりがないことは不安だけれど、軋むことなく皆の重さを支えている。

 のぼりきると、広い廊下が直角に曲るあたり。目前の壁に入り口が穿うがたれている。覗き込むと、身廊しんろうの右側に並ぶ列柱の上に狭い廊下が延びていた。左奥にはバルコニーへ通じる扉が見える。

 後ろを向くと、広い廊下は前と左に延びていた。緋色の絨毯、ランセット窓、木製リブヴォールトの天井は一階と同じ。左側は緩くカーブを描いて周歩廊しゅうほろうの上に向かっている。

 ──そのあたりに普通の階段があるのかな?


 前へ向かう廊下の右脇はけいの穴。


「ここが下りてきたんだ」

 礫が隣に並び、

「そうだよ。ここだけ絨毯がなかったから、あからさまに怪しかったの。なにかないかなってしゃがんでたら」

「繭が仕掛けを作動させました、はい」

 両人差し指の先を触れ合わせてうつむく繭を見て、

 ──繭様、無意識では暗証番号を憶えてて、勘で押したつもりで当てちゃったんじゃないかな。


「あそこが問題の扉」

 永遠が正面を指差す。

 廊下は大きな両開き扉で行き止まっていた。

 皆で前まで行くと右横の壁に入力装置がある。

 0から9までと決定・削除のボタン。液晶画面に鍵穴。

「これが問題の装置とゆーわけ。それじゃ灯、押してくれる」

「はい」

 入力装置の前に立って目を閉じる。

 キーボックスの中が脳裏に映じた。

 ──該当しそうな番号は、手術室の1009、冷蔵室の3003。

 目を開き、ボタンを押していく。

 液晶パネルに1009と表示されると決定ボタンを押す。

 

 明るい電子音が鳴り、金属音も重く響いた。


「あいた、わね」

 繭が声をふるわせる。

「と思います。開いてもいい、ですよね」

 全員が緊張していた。

「ええ、お願い」

 玲が代表するように答える。

 ──悪いものがありませんように。

 ふたつの把手をつかみ、引き開いた。

 塩素の匂いが鼻を突く。腐敗臭も隠れていた。

 ──ダメだ。見てはいけない!

 理性と感情が共に命じるけれど、もう遅い。

 

 中に入った小夜が壁際のスイッチを押す。


 天井灯が室内を白く照らし出した。

 広い床は青い合成樹脂。青シーツの手術台が中央に置かれている。横のステンレス台でメスやかんの類いが剣呑な光を帯びていた。白クロス張りの壁際には電源の落ちた医療機器や薬品棚が密集している。大きな換気口のある天井から延びた二本のアームの先には二台のえいとう。上のほうに渡された棒には肉用フックがいくつもぶら下げられている。


 床、壁、天井にまで黒い血痕が染みついていた。


 血の気が引く。

 ──ここで美桜様が解体されたっていうの。

「小夜」

 泣きそうになりながら顔を向ける。

 強い意志を乗せた瞳に見つめ返された。

「大丈夫よ。見たところ誰もいないようだから。アレをやった奴はここにはいない」

「うん」

 有無を言わせないのに心が落ち着いていく。


「灯ちゃん、小夜ちゃん、ここなんなの。あれ血痕なのかな」

 礫もさすがに元気をなくす。

 踏み込んだ玲が室内を見まわし、

「やっぱりね。なにかやってるって思ってたわ」

 真摯な瞳がこちらを見つめる。

「灯、小夜、なにか知ってるわね。さっきそれを言おうとしてたでしょ」




 ふたりの話を聴き終えた玲は恐怖とを混ぜ合わせ、

灰島はいじま先輩が殺されてた」

「なによそれ。あたしたち、そんなのかけらも知らないんだけど」

「美桜は執行部が特権を持つことを疑問視していた。理事長様に特権制廃止を嘆願して退学処分にされたの。それは殺されるようなことじゃない」

 永遠の抑えた声にも怒りと不安がもる。

「ね、ねえ、これってもう、繭たちが学院と掛け合ってどーこーできることじゃないでしょ。けーさつに連絡しないと。けーさつ!」


 小夜は動じず、

「正論ですね。それには礼拝堂ここから脱出しなければなりません」

「そーね。じゃあ、すぐにでも地下の穴を調べに行くのよ。もうそこしか出口はないでしょ」

「二階に出口はありませんでしたか」

「なかったわ。バルコニーに出る扉は、どっちも鍵が掛けられてたの。廊下の窓の外は全部鉄飾りだし。ほかの部屋も、そもそも窓がないのよ」

 ──確かに。

 一階も窓は袖廊そでろうに集中して、部屋の中にはなかった。


「灯、案内してよ。アンタしか床のスイッチの場所知らないんだから」

 迫る繭を両手で制して、

「ちょっと待ってください、まだ気になることがあって」

「なによ」

「暗証番号って全部で四つあったんです。階段と手術室のほかにも、冷蔵室と、番号は読めなかったけどエレベーターっていうのがあって」

「あれね」

 小夜の視線をたどる。


 手術室の奥にステンレス製の引き戸があった。


 小夜はこちらを向き、

「さて、開いてみたほうがいいと思います?」

「興味はあるけどさ。あんまいいものは出てこない気がするよ」

「グロテスクな証拠品が詰まっているでしょうね。誰も見たくないような」

「でも、ママを告発するときの武器になるわ」

「今はそんなことしてる場合じゃないでしょ! 逃げないと!」

風穴ふうけつを上手く抜けられるか、まだ分からない」

「もう、アンタはなんでそー」

「脱出の可能性は少しでも高めておく必要があります。あの引き戸の奥を探索してから風穴に行きましょう」

 入り乱れた意見を小夜が取りまとめた。利を感じたのか、繭はすくめられたように黙る。ほかの者からも反論はない。


 灯は冷蔵室の暗証番号を押すことになったのだ。

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