第十三節 虜たちの密談

 長い廊下が延びていた。


 左壁にはランセット窓が並び、右壁には閉じられた扉が四枚。真理亜まりあと探索した左の裏袖廊そでろうとは左右逆の造りだった。

 ──やっぱり、右の裏袖廊なんだ。


 ひとない廊下の奥で身廊しんろうが黒い口を開いている。

 

 ──小夜さよあきらは四室のどれかにいるの?

 探索と脱出に手間取ったから祭壇に戻っているかもしれない。

 ──どうしよう。

 考えをまとめると、足元の絨毯を探って突起を踏み込む。隠し扉が壁になった。

 四つの扉をわずかに開き、すきしていくことにしたのだ。すぐにも助けを呼びたいけれど、迦陵かりょう様に見つかることはさけたかった。

 

 一番左側の扉を少し開く。細長い部屋が見えた。手前には洗面台が二台、奥には扉が開かれた個室が三つ。人の気配はない。

 レストルームの扉を閉じ、右隣の扉の前に立つ。ノブを回して静かに押した。だいだいの光を縦一筋に受け、隙間を覗き込む。


「小夜、貴女あなたなんでしょ。ママが言ってた成功した被験者って」

 押し殺した声が聞こえてくる。


 壁は天井までの書架。革装本かわそうぼんの金文字が光沢を放っている。

 奥の机の前で小夜と玲が向き合っていた。自然体で立つ小夜に対して、腕を組んでお尻を天板てんばんにもたせる玲には焦慮がある。


 小夜は右耳に掛かる黒髪を払い、

「よくご存じですね。確かに私は希少例レアケースでした」

「まあね。ママのカルテを見させてもらったのよ。貴女、なにか聞いてない?」

「なにか、というと?」

「ママは変よ。隠し事をしてるの。学院に法外な生徒会制度を作って、いかがわしい儀式に協力しろって言うんだもの」


 ふたりの緊張が伝わり、とうも動けなくなっていた。


 小夜はなだめるように玲を見る。

「と言われましても。私は白銀しろがね先生の治療を受けてはいますけれど、ただの患者ですからね。先生がこの学院でなにかの計画を実行していたとしても、知るよしもありません」

 玲がママと呼ぶのだから、理事長──白銀るなのことだろう。

 ──でも、治療を受けるって? 理事長様は医者を兼務しているの?


 お尻を机から離した玲は右腕を開き下ろす。

「嘘よ! 貴女は特別な患者だもの。ママがここでやろうとしていることと関連を持ってる。だから入学もさせたんだわ」

「色々と買い被られていますね」

 小夜は困り眉をつくる。

「玲様。私は白銀先生の研究チームが開発した薬──開眼カイゲンで社会性を得た一被験者にすぎません。五年前のことです。確かに、開眼カイゲンは私にしか効果がなかった開発途上の薬です」

 声に悲痛が混ざる。

「あの施設には重篤な自閉スペクトラム症ASDを負った者が何人も収容されています。研究チームが開眼カイゲンを完全なものにするため努力していることは確かでしょう。ですが、私はその計画の全容を知らされていないのです」

 怒りが押し殺されていた。


 ──それはそうだよね。

 勝手に病歴を閲覧され、あずかり知らぬ嫌疑まで掛けられたのだから。

 灯は自閉スペクトラム症については詳しくない。

 ――でも確か、初めて話したとき、小夜はその関連の書籍を借りていったはず。

 小夜が特効薬の成功例であることも知らなかった。

 親しくなったとはいえ、関係はここ二か月ほど。灯も小夜に病歴をつまびらかにしたことはない。そんなことをしなくても交流に支障はなかったのだから。


 気圧けおされた玲は語勢を落とす。

「病歴を盗み見たことは謝るわ。でも私、喧嘩を売りたいんじゃない。逆よ。助けてほしいの」

 小夜は少し緊張をく。

「白銀先生がしていることで、なにか」

 玲は視線を伏せる。

「一学期平均五人。なんのことか分かる?」

隷者れいしゃの退学人数ですか」

「そうよ。隷者制度はおかしいわ。素行も良くて経済的にも優遇されている子が次々退学させられていくの」

「消耗品と揶揄されるゆえんですね。しかし、それだけではなんとも。外からは分からない事情もあるでしょうし」


 玲は視線を上げる。

「それだけじゃないわ。ママの机から貴女のカルテを探し出したとき、給付奨学金受給者の名簿も見つけたの」

「児童養護施設出身の生徒の名簿ですね。私もそのひとりです」

「ええ。私たちの中だと、貴女と貝塚かいづか先輩、あやれきの四人ね。灰島はいじま先輩と隷者のひかもそうだったわ」

 ──そんなにたくさん!?


「退学した隷者は、すべて施設出身の子たちだったのよ」


「ほう」

「もう分かるでしょ」

「学院が施設出身者を拉致し、退学と発表して隠蔽している。家族と疎遠な者ならば行方不明手配されることもない、と」

「そう考えざるを得ないのよ。だとしたら主犯はママになっちゃうじゃない」

「まあ、ぼうしょうですね。因果関係で結びつけるには早すぎます」

「それはそうだけど」

 小夜は息をつく。


「私が白銀先生と結託して、ひとさらいをしているとお考えですね。人体実験の被験者とするために」


 玲は図星を突かれたように黙り込んだ。

「甘い! アメリカ製のお菓子のように甘いわ、玲ちゃん!」

「な、なによ、急に」

 玲は膝折れさせられたような顔をする。

「施設の出身者は孤立してはいません。里親に引き取られた子もいれば、籍を置いたまま寮に入っている子もいます。保護児童が失踪すれば里親や児童指導員は捜索願そうさくねがいを出します。ホームレスとは保護度合いが異なるのです。学院ぐるみで拉致監禁を行なったとしても、必ず捜査機関に捕捉され、罪に問われることでしょう」

 ──おお、すごい。


「そんなの白銀うちがお金をつかませてたらどうとでもなるわ。一族には代議士や知事や、県警本部長だっているのよ」

「そこまで身内を悪し様に言わなくともよいと思いますけれど」

「言いたくなる理由があるのよ」

 玲は仕切り直すように腕を組む。

「でも、いいわ。今のお話で貴女のことが少し分かった。ねえ小夜、手を組みましょう。ここから出るまででもいいから、協力するの。私には貴女の力が必要よ」

 小夜は右こぶしを口元に当てる。

「よいでしょう。私にも、ひとりでも多くの味方が必要です。でも、条件があります」


 いたずらっぽい瞳が玲を見つめる。

「犬になってください」

「は?」

「協力するからには玲ちゃん、貴女は私の犬です。鳴けと言ったらワンと鳴く、取ってこいと言ったら取ってくる、お手と言ったらお手しなさい。お分かり?」

 玲はおこるよりあきれて、

「なによそれ、本気で言ってるの?」

「もちろんですとも」

「やあよ、そんなの。でも主従関係を破棄するのなら乗るわ。私たちは対等、命令し合ったりしない。どう?」

 小夜は柔らかく微笑む。

「いいでしょう、玲」

 最初からそうしたかったような口調だ。


 ──まったく、素直じゃない奴! 私にだけじゃなく玲様にもそんななんてさぁ。

 気が緩むと、予期しない打撃音が足元で鳴る。

 異音を上げて扉が開いていった。

 ──えっ、なに、やばっ!

 棒立ちだった右脚が扉を蹴飛ばしたのだ。


「誰!」

 理解したときには玲のすいが飛んでいた。

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