第十二節 虜たちの消失

 叫ぶこともできず、うずくまっていた。


 退路は断たれた。真理亜まりあの安否も分からない。

 ──迦陵かりょう様が生徒をさらっていたなんて。

 永遠とわの言うとおり最初の犠牲者があやだったのかもしれない。

 ──小夜さよなら、こんなときでも解決策を考え出したのかもな。

 頼もしい姿を思い描けても、

 ──ああ、今、私はひとりだ。

 もう隠し扉のことを知る人はいない。壁の裏に誰かが来ても仕掛けを発見できるかどうか。防音が完璧だったらとうも人が来たことに気づけないかもしれない。

 とどまっていては不利になるだけ。

 

 ──行くしかないんだよね。

 意を決し、立ち上がる。照明が点いていたのは幸い。窓のない廊下に暗いまま閉じ込められていたら──そう考えると身がふるえた。突き当たりまで進み、くだり階段に立ち止まる。

 セントイノセント礼拝堂の平面図は‡(ダブルダガー)型。身廊しんろうの中程から真横に二本の袖廊そでろうが通されている。祭壇側の表袖廊と入口側の裏袖廊は部屋を挟んで隣り合っていた。今いるのは裏袖廊の左側先端。

 右壁を見つめる。表袖廊には左右突き当たりの更衣室しかなかった。

 ──この裏がクローゼットの中あたりか。

 

 右下にくだる無骨な石ブロック階段を覗き込む。眼下は明るんでいた。


 ──よかった、って言っていいのかな。

 心を強くし、下りていこうとしたとき、

「っ、わっ!?」

 足元でうなるざわめきがマントやプリーツミニスカートをはためかせだす。

「ちょっ、や」

 スカートや舞い散らされるロングボブヘアを押さえていると、生暖かい風の流れはすぐに静まり、体の自由が戻ってくる。

 湿り気には森の匂いが混じっていた。壁が崩れて外に通じた場所があるのかもしれない。

 ──行ってみよう!


 狭く古めかしい石階段を右下に下り進む。突き当たると無骨な廊下が右に延びていた。表袖廊の真下にもう一本袖廊が通されている案配だ。

 すいが浸透したのか、筒状の天井や象牙色の石壁はこけし変色している。壁に並ぶ照明も一部は暗いまま。瀟洒な一階と比べると廃墟のようだ。


 荒廃の中をゆっくり進んでいく。

 足元に水音が跳ねる。鋪石しきいしの隙間に水が流れていた。

 今にも崩れそうな石壁に穴や分岐路は見あたらない。けれど――。

 ──なにかの入り口!?

 廊下なかばの左壁にひさしめいた装飾が張り出している。大烏おおがらすくちばしが獲物を呑み込もうとしているようだ。

 ──怖ろしくたって脱出の手掛かりなんだ。

 蛮勇を奮って歩み寄り、覗き込む。黒い鉄格子の両開き扉がめ込まれていた。棒の隙間からくだり階段が覗いている。


 咆哮が噴き上がり、強風に包み込まれた。

「っ、あっ!」

 ──風はここから!?

 流れが治まり、岩肌が露出した狭い開口部を凝視する。崩れ果てた石の急階段が闇に没していた。装飾と相まって樋嘴ガーゴイルの体内にもぐり込んでいくよう。

 ──無理だよ。これは無理。

 勇気がしぼみ、腰が引けた。

 ──でもさ、こういうときはひらかないよね。

 棒を持ち、緩く押すと、

 ──嘘でしょ、動かないでよ!


 耳ざわりな軋みを立てて鉄格子が動いていく。


 ──鍵なんてついてなかった? それとも誰かが出入りしてる? なんの目的で。

 考えるほど危機感が触発され、

 ──なに!?

 風穴ふうけつの暗闇になにかがうごめく。

 

 自らを抱いて一歩後退あとずさる。

 地の底から足音がのぼってきた。

 ──いやっ!

 恐怖にはじかれ、廊下を奥へけた。

 水溜まりを跳ね散らかして進むと、

 ──行き止まり!? ううん、階段!


 突き当たりの右壁に右上に向う石階段があった。


 視界は揺れ、息はつまり、観察する余裕はない。

 無我夢中で這いのぼると、空気が乾いていった。

 ──だめ、もう動けない。

 早鐘のように打つ心臓を抱えて呼吸を繰り返していた。


 うずくまったまま周りを見る。少し先が突き当たりになった短い廊下だ。

 ──戻ってきちゃったの?

 錯覚しそうだったけれど、下りたのとは反対側に地下廊下を走り抜けたはず。

 息が整うにつれ、冷静さが戻ってくる。

 ──逆側にも同じ隠し廊下があった?

 もしそうなら、ここは右の裏袖廊突き当たりの壁の裏。

 こちらにも灯りがともっていたのは幸い。でも、行き止まりはどうにもできない。


 ──追ってきてる?

 立ち上がり、後ろを向く。階段を覗き込んで耳を澄ませた。何十秒か身を固くしていても迫る気配はない。

 ──気のせいだった。

 力が抜け、体がよろめく。

「あっ、とと」

 壁にしなだれ、息をついた。

 支えを求め、壁から延びるランプロッドをつかむ。

 掛けた重みで棒が九十度回転した。

「うわっ!?」

 体勢を崩してぶら下がる。

 ガチッと音が響き、背後に空気が流れた。

 ──えええ! 嘘でしょ! こっちだったの!?


 振り向くと、突き当たりの壁の一部が開いてくる。


 ──やっぱり!

 床の突起で隠し扉がひらいたことで先入観に囚われていたのだ。隠し廊下から扉を開くには壁の照明を回すのが正解だった。そう考えて見ると、壁に並ぶランプは妙に低い位置に取りつけられている。

 ──ああもう、私の莫迦ばか

 解放の喜びに身を浸し、外へ出る。

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