第二章 幽閉

第九節 虜たちの思惑

とう、しっかりしなさい」

 頬を打たれる冷たさに目覚めていく。

 薄目を開くと美貌が瞰下みおろしていた。

 左頬にはひんやりしたてのひら。後ろ頭には太腿の柔らかさ。


小夜さよ? 私、倒れてたの?」

「ええ。無理もないけれどね」

「生首──祭壇におう様のかしらがあったの。あれは」

「そんなものはないわ。あったのは、これ」

 小夜の両手がなにかを持ち上げた。

「ひ、うぁ!」

 喉から痙攣した声が出る。


 幼い女の子の生首だ。


「人形のかしらよ。雰囲気作りか知らないけれど、無粋なことをしたものね」

「そんなものが」

 迦陵かりょう様が人形なら、分解・複製されていてもおかしくない。

 ──このかしらを記憶の中の生首と重ね合わせてしまったの?

「祝宴はどうなったの?」

 小夜はかしらを床に置く。

「残念ながら楽しい乱交パーティーとはいかなくなったわ」

 ──いかなくなった?


 上半身を起こす。

「ん、あっ」

 めまいと頭痛にひたいを押さえた。

 ──あたた。二日酔いってこんな感じなのかなぁ?

 正座している小夜に背中をさすられた。

「あれ、随分優しいんだね」

「まあ、そんな貴女あなたを見ていたらね。今だけ特別」

「ふ~ん」

 ──なんやかんやいって情が深いの知ってるんだけどな、クーデレさん。


 介助はありがたく、しばらく身を委ねていると頭痛も遠のいていく。

 ──ここはどこなんだろう?

 横向いた先は祭壇の側面。灯の裸身には真紅のマントが掛けられている。小夜も裸マント姿のままだから、それほど時は経っていないのだろう。

 ──ほかの子たちはどこに?

 めぐらせた視線は、礼拝堂入り口の両開き扉の前に三人のマント姿を捉える。そのうちのひとりが把手を持って揺すっているけれど、扉が開く気配はない。


「えっと、あれ、なにしてるの?」

 小夜は肩をすくめる。

「なんとびっくり、私たち閉じ込められてしまったわ」

「え?」


「やっほ~、あかいたよ~。ブレーカー、がっつり落ちてたみたーい」

 パイプオルガン側の列柱かられきの声が響く。火屋ほや付き燭台を持った礫と真理亜まりあが歩いてきた。

「ひょっとして停電してた?」

 小夜は頷く。

「あっ、灯ちゃん、目が覚めた?」

 そばまで来たふたりは祭壇に燭台を置く。


 ひざまずいたように抱きしめられた。

「真理亜様」

「よかった。具合の悪いところはないですか。わたくしがあんなことをしたから。本当は離れたくなかったんです」

「ブレーカーの場所知ってるの真理亜様だけだったんだよね~。無理やり連れてっちゃった」

「ええと、あれからどうなったんですか」

「祝宴が始まると灯ちゃんが倒れて、停電してしまったの」

「そんなに電力使ってたんだ」

「設備が古くて。漏電もあったのかもしれません。礫ちゃんがすぐブレーカーのことに気づいて、一緒にスイッチを入れに行っていたんです」

「へえ、気がまわってすごいね」

「えへへ、これでも施設じゃお姉さんだったんだからね」

「うん」


 礫の出身は児童養護施設。

 面倒見が良く、すぐ人と打ち解けられる長所は、施設の過酷な環境に適応するためにつちかわれたものなのかもしれない。良い経験ではないだろう当時のことを尋ねるのは気が引けて、詳しく訊いてはいなかったけれど。

 しゃ女学院は児童養護施設出身者を厚遇している。出身者を対象にした給付奨学金制度を利用して在学している子は、礫のほかにもたくさんいるそうだ。


 礫が両開き扉のほうを見て、

「あっち、なにやってるの? なんか剣呑だね」

「どうやら、扉がひらかなくなったみたいなの」

「え、マジ?」

「まあ、誰かが鍵を掛けたのですか」

 ──ふたりが初耳はつみみってことは、扉の件は灯りが点いてから発覚したのか。

「私も向こうの会話を聴いていただけだから、詳しくは分からないけれど。灯も起きたことだし、行ってみましょうか」

「あ、うん」


 ──ちゃんと歩けるかな。

 立ち上がり、裸足で床を踏みしめると、くらまず歩けそう。

 換気されたのか、もやと青臭さはなく、呼吸に酩酊も伴わない。

 パイプオルガンの音色と歌声も止まっていた。演奏用と祭壇裏──どちらの椅子にも迦陵様の姿はない。

 ──あの子のこと、真理亜様に尋ねないと。

 そう思いつつ両開き扉のほうに向っていく。


「もう、なんであかないのよ! 誰が鍵を掛けたの!」

 ふたつの把手を揺すぶっていたのはまゆだ。

 他人事のように見つめていたあきらが、

貝塚かいづか先輩、叫んでも扉はあきません。合鍵をさがしたほうが早いわ」

「分かってるわよ!」

 繭は玲をにらむ。

 理が明晰な分、情が慰撫されないのだろう。


 永遠とわが諦念をめて、

「合鍵は保管室に」

「ホント! じゃ、さっさと取りに行きましょ。こんなとこ、早く出たいわ」

 扉の前にいるのは繭、玲、永遠だけ。

「あれ、あやさんはどこにいったの?」


 繭がこちらを見る。

「ふん、アンタ、目を覚ましたの。紗綾ならいないわ。灯りが点いたらいなくなってたのよ。考えられることはひとつね。停電のとき、扉に鍵を掛けてどこかに行ったのよ。なんなの、繭たちになんの恨みがあって」

 ──まあ、繭様、色々恨みは買ってそうだしなぁ。

「その、もうひとり──振袖姿の女の子がいたはずです。その子は」

 繭が片眉を跳ね上げる。

「なに言ってるの、あれは人形よ! ただのカラクリ!」

「ホントに?」


 永遠が繭を抑えるように前に立つ。

「カラクリというのが適切か分からないけれど、あれはそういう存在もの。チューリップが温度差に反応して花を開くように、歩き、き、歌う、不思議な存在もの

 内省的ないせいてきな瞳に見つめられ、混乱する。

 ──おふたりともなにを言っているの。

 そんな人型の機械や植物があるのだろうか。

「儀式が中断されて、迦陵様はねぐらに帰った。紗綾を連れ去って」

「そんな話でたらめでしょ。あれは人の形をしたカラクリよ」


「どっちでもいいけど。私、合鍵を取りに保管室に行きたいわ。場所は左の裏袖廊そでろうでしょ」

 玲が不毛を断ち切る。

「それは賛成ね。礫、繭たちと来て」

「は~い。じゃ、ちょっと行ってくるね~」

 お気楽に手を振った礫は繭、玲と左側に歩いていく。


 列柱のあいだに横に向う袖廊があった。祭壇前で左右に別れる表袖廊に併走して、もう一本の裏袖廊が左右に延びているのだ。

 ──ということは堂内の造りは†(ダガー)じゃなくて‡(ダブルダガー)なのか。

 更衣室があったのは表袖廊の左右突き当たり。先ほど礫と真理亜が出てきたのは右の裏袖廊だ。


 さわがしさが左の裏袖廊の奥に遠退き、ほっとする。


 抜け目なく扉を確認していた小夜が、

「確かに施錠されているようね。内側にも鍵穴があるなんて、変な作りだけれど」

 灯も隣に立って観察する。

「あ、ホントだ。普通、つまみを回してあけられるのにね」


 左把手の下にあるのは鍵穴。開錠用のつまみは見当たらなかった。つかんで押し引きしても重厚な木製両開き扉はびくともしない。


 小夜は顎に親指を当てる。

「鍵が見つからなかったらものがいるようね」

「せめてスマホがあったら助けが呼べるのになぁ。なんで没収されちゃってるんだろ」

 見守っていた真理亜が、

「灯ちゃん、出口がここだけと思うのは早計です。袖廊には窓がありますし、二階にはバルコニーもあったはずですよ」

「それは無理」

「どうして? 永遠ちゃん」

「窓の外側には鉄格子がまっている。今朝けさ堂内を見てまわったとき、バルコニーの扉に鍵が掛けられているのも見つけた」

「ひえ、まずいなぁ、それ」

 背筋に怖気おぞけが走る。

「念入りなこと。鍵の構造といい、人を閉じ込めることを前提にしているようね」

「もう、怖いこと言わないでよ」

「まあ、じたばたしても始まらないし、玲様たちが帰ってくるのを待ちましょうか」


 皆異存はなく、四人は長椅子に坐ることになった。

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