第七節 童女のヒトガタに神は宿る

 腕を組んで正面に立つ少女──白銀しろがねあきらが物憂げな顔を向ける。


「遅かったですね、瀬戸せと先輩。待ちくたびれました」

 なげやりな声だ。

「ごめんなさい。お寝坊しちゃって、とうちゃんをお迎えに行くのが遅れてしまったの」

「別にいいですけれど。こんなよく分からない儀式、早く終わらせたいの。おふたりとも祭壇に燭台を置いてください」

「はぁい」

「あ、はい」


 真理亜まりあと奥に進みながら見渡す。長椅子に坐る小夜さよやアーチの下に立つれきと視線が交差した。

 段を上がり、はくが掛かる直方体の前に立つ。

 聖櫃せいひつを赤く照らす聖体ランプの横には火屋ほや付き燭台が六つ。クリスタルのはなの中で灯火ともしびが揺らめいている。

 燭台を置き、気づく。


 壁の十字架の下に置かれた椅子に十歳ほどの童女が坐っていた。


 鹿しぼりのたんが染まる水色生地の振袖を着て、銀色の帯を締めている。シニヨンに結わえた黒髪には白い造花が挿されて、長い睫毛は伏せられていた。

 フードをはずし、

「この子は」

「この子が迦陵かりょう様です」

「でも、この子は生きて」

 真理亜もフードをはずす。

「すごいでしょう。女の子のように見えますけど、人ではないんです」

「そんなこと」

 人形だとしたら誇張と省略がなさすぎる。

 ──産毛まで生えているみたい。

 今にも目を開いて「驚いた?」と微笑むはず。


 歩み寄ってしゃがみ込み、ちいさな口元にてのひらかざした。

「息をしてない」

 微動もしない体には気配がない。

 幼い頃にしか現れない愛らしいかんばせ、触れたら柔く反発しそうな肌──えんに胸が妖しくざわめく。

 可憐な唇を奪いたくて、頬に手を伸ばすと、


「ほら、いつまでこのまゆ様を待たせる気! とっとと儀式をやるわよ、儀式!」


 甘ったるいかんしゃくに背を打たれた。

 立ち上がり後ろを向くと、腰に両手を当てた少女が祭壇の前に立っていた。

 長い黒髪をツインテールに結わえ、童顔を得意げにさせている。中学生みたいに小柄だから、羽織ったマントもだぶついていた。


 生徒会執行部書記──二年生の貝塚かいづか繭だ。


「すいません。迦陵様が良くできすぎていて、つい」

「ふん、アンタも永遠とわのような人形愛者ピグマリオニストなワケ? 言っとくけど儀式は人間相手よ。ラブドールなんて使わないんだからね!」

「まあ、まあ、まあ、まあ、繭ちゃん」

「なによっ! ひゃあん!」

 真後ろに立った真理亜が繭の両乳房をつかみ込んでいた。

「そんなにイライラしちゃだーめ。繭ちゃんのおっぱいはこんなに大きいんだから、心も大きく持たなきゃね」


 ──ああ、そこ揉んじゃうんだ。うらやま。

 繭は小柄な童顔に反してⅠカップはある爆乳ばくにゅう持ちなのだ。でも驕慢きょうまんな権力者に「おっぱい揉ませて」とは言えない。

 小夜のささやかな胸を触らせてもらったときも、衣服の上から乳首を探り当てただけで「貴女あなたの触り方はいやらしすぎるわ!」と拒まれていたし。


 ──うわっ、すごすぎ。

 美爆乳を揉みしだく真理亜は、繭の耳朶みみたぶを唇に挟み込んでいた。

「あぅん! 変なとこ噛むなぁ、ばかぁ!」

 ──あの繭様をよく手玉に取れるなぁ。

「もう、真理亜、やめてったらぁ! ちょっと礫、アンタもあたしの隷者れいしゃだったら、このヘンタイをなんとかしなさい!」

 ──ん? ひょっとして感じてる?


 軽やかにやってきた礫が繭を見つめる。

「う~ん、ホントに助けてい~の?」

「な、なによ、ど~いうことよ、あたしが助けて欲しくないってゆ~の!」

「うん。だってボクとふたりのとき、早くりたいって言ってたじゃない。真理亜なんてあたしの性技テクでひーひー言わせてあげる、見てなさい! って」

「ば、ばかぁ。確かに繭はそー言ったけど、見れば分かるでしょ。劣勢なの、負けそうなの、絶頂イかされそうなの。早く加勢しなさいよぅ」


「もう茶番はやめてもらえる?」

 玲の声を受け、真理亜は繭を放す。

「ごめんなさい。繭ちゃんがあんまりにも灯ちゃんに突っかかるから、つい。ふふふ」 

 呪うようなウィスパーボイスに繭は「ひっ」っと身をふるわせる。

 ──あれ、ちょっと危険な感じ?


 段差の下まで来た玲が組んだ腕で下乳したちちを持ち上げる。

「これから気絶するくらいちちうんだから、焦ることないでしょ。儀式が始まったらればいいこと」

 玲は気怠げに真理亜を見つめる。

灰島はいじま先輩とひかが退学したから、今月の参加者は揃ったわ。瀬戸先輩、進行をお願いします」

「はぁい。刻限も迫っていますし、頃合いですね。皆さん集まってください」

 真理亜の声は晴れやかさを取り戻していた。


 八人は八つの灯火ともしびが揺らめく祭壇を取巻いた。


 真理亜、小夜、玲、礫、繭──左手側にめぐらせていった視線を繭の隣──唯一の知らない子の前で止める。

 綺麗な顔と体に気弱さをにじませ、ふたつ結びにした三つ編みを大きな胸の前に下ろしていた。灯の右手側に立つ生徒会執行部庶務──形代かたしろ永遠の隷者の子だ。

 ──でも、永遠様に似ているかも。

 右隣を横目にする。


 前髪の下で愁いを湛える瞳が見えた。

 三年生の永遠は人形を思わせる美少女だ。お嬢様然としていても真理亜とは正反対に影がある。口数も少なく、考えを推し量れない人だった。美術部に所属して、生徒をモデルにした人物画を描いているそうだから、隷者の子もそれで見初みそめたのだろう。


 輪になった一同を真理亜が見渡す。

「本日はよくお集まりいただきました。今月の迦陵の祝宴は、おうちゃんと光莉ちゃんが欠席したため、八人で執り行います。わたくしに続いて、お祈りを唱えてくださいね」

 ──お祈りって?


跋識山ばつしきざんましま迦陵かりょうの神」

 

 真理亜は讃美歌のように詠じだす。

 六人も復唱しだしたから、あわてて倣った。


永遠とわの繁栄、喜びたまえる恵みの神」


 真理亜の声に皆が続ける。

 どうにか唱えられても、おぼつかない。

 ──こんなの、小夜や礫は上手うまくやれてるの?

 見やると、得意げな礫や、ウインクをよこす小夜と目が合った。

 ──あわててるの私だけ?


霊山れいざんつどう、清き乙女の交わるしとねに」

 吹き抜けに朗唱と復唱が反響する。

たましい安らぐ冥府の神香しんこうたまわりたく」

 ──あれ? この意味ってマズいんじゃ。

「我が身、みだらに整え捧げる」

 音色の心地よさにうたい上げてしまう。


 ──私の体、淫らに整ってなんかないのにな。

 眠りに落ちそうな気分を青い匂いがくすぐる。

 柑橘類めいていても嗅いだことがないものだった。

 好みとは遠いのに、心はすぐに支配されていく。

 ──どうして? なんだか気持ちいい。

 涼やかな大気の中にいるように体が軽い。


「迦陵様はお答えになられました」

 真理亜は確信を得たようだった。

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