第二節 図書室の天使はお世話好き
「
学院棟の廊下を調理実習室に向って歩いていた。
「そうね。無能じゃ
並び歩く
「ひょっとして、優愛ちゃんのこと試したの?」
「そうよ。生首の配置換えをいたずらだと思って? 心外だわ」
「う、思っちゃったけど。あんなことでなにが分かるの」
「冷蔵庫を開いたとき、優愛ちゃんは切断死体だけを注視してた。私たちのことは意識の外だったでしょ。
──なんでそんなことにまで気がまわるの!?
──やっぱりこの子、サイコパスなのでは。
「人を精神病質者にする暇があるのなら、お使いを果たしてしまいましょう。ほら、もう調理実習室よ」
「えっ? あっ!」
気を取られて通り過ぎそうだった。
あわてて立ち止まり、扉を開く。
「あ~、ふたりともおそ~い。ボクもうおなかすいてきちゃったよ~」
小柄な子がそばに来る。
セーラー白ブラウスとチェック柄プリーツミニスカートを着て、
「ごめん
「もうみんな空腹で野獣のような臨戦態勢。だって今日のお昼は今から作るんだもんね。さあ、優愛ちゃん発注の高級食材はどこ? サービスワゴンは廊下?」
両手を腰に当てた
「えっと、そうだよね」
調理実習台のそばに立つ割烹着姿の子たちもこちらを見ていた。全部で十七人。一年C組の生徒たちだ。物欲しげ、不審げ、興味なさげ──思いは様々でも、すべてが返答を迫っている。
自習になった経緯のごまかし方は伝えられていなかった。
──やっぱり優愛ちゃんも動揺してたんだな。
建前を考えながら目を泳がせると、手前の調理実習台の上には
「んふふ~、気づいた?
「さあ」
背筋が粟立ったのは気のせいではない。
「
「うん」
──ああ、これは切断死体とは別の怖いものだ。
近づき、恐る恐る箱の横を開けてトレイを引き出すと、
ホールサイズのフルーツタルトだ。
「うっわぁ~、おいしそう! 真理亜様の手作りかな」
礫が乗り出す。
「うん、たぶん」
生徒会執行部副部長──三年生の
梅雨に入るまえ
†
自他ともに認める本の虫。それも人に言いづらい猟奇的な本を好む灯は、入学早々文芸部と図書委員会への所属を決めた。放課後は学院図書館のカウンターに着いて読書にふける日々を送っていたのだ。
もともと社交的なほうではなかった。グループに別れて均質化したりキャラ分けしたりするのが息苦しくて、孤独に逃げこんだのだ。だからクラスの子たちからも遠巻きにされていた。グループを越えた人脈を築いて渡り鳥の異名を授かった礫や、一匹狼の小夜を除けば親しくしてくれる者もいなかったのだ。
そんな灯が選書で入手した連続殺人者の伝記を読んでいると、天使と
金色のウエーブロングヘアが背に下ろされて、こちらを見つめる瞳はパライバ・トルマリンめいた青。セーラーブラウスの上からでも分かる大きな胸の膨らみに反して、肢体はモデルのようにほっそりしている。
白く
「貸出の手続きをしてくださるかしら」
日本を代表する耽美派作家が書いた人魚と魔術の怪奇幻想潭は灯も大好きな一冊だった。
こちらの読んでいた本の表紙を舐めた視線が驚きを帯びる。
「まあ!
「あ、あの、これは」
反射的に表紙を伏せた。とても不穏な題名だからだ。
「恥ずかしがらなくてもいいんですよ。闇に惹かれるのは人の本性ですから」
咎め立てるところのない甘い声に
だけど、続く言葉はだいぶ逸脱していた。
「訊いてもよいかしら。貴女のお好きな殺人者はどなた?」
その出逢いから真理亜とは親しくなったのだけれど。
†
心を外に戻すと箱のひとつに灯宛ての封筒が載せられていた。
拝啓
それでは、昼食に華を添えられることを祈って。またお逢いできる日を楽しみにしております。
敬具
六月十九日
瀬戸 真理亜
榊 灯様
手紙を覗き込んだ礫が、
「う~ん、真理亜様って優しいけど、ちょっと変わった人だよね~」
「そ、そうだね」
──よかった、今日は来ないんだ。
真理亜は病的だった。
灯の一挙一動に密着して、すべてを先にやってしまう。人の自律性を奪う愛し方しかできない人だったのだ。偽りない好意に包まれることは幸せだったけれど、その献身は少し──いや、かなり重かった。
手を打ち合わせる音が二度響く。
「真理亜様のケーキはみんなで分けていただきましょう」
調理室を見渡せるところに小夜が立っていた。
「それとは別に残念なお知らせがあります。優愛ちゃんの手違いで、業者の方が食材を運び込んでくださるのが来月になってしまいました。よって調理実習は中止。三、四時間目は自習にするように──とのことです」
清冽な余韻はクラスの子たちの悲鳴に覆い隠される。
──あ、みんな、そんなにおなかすいてたんだ。
壁掛け時計を見ると十一時半近い。切断死体と
──あれ? 小夜のやつ、しれっと優愛ちゃんに責任おっかぶせてない?
「じゃあさ、まずは真理亜様お手製ケーキを食べよ。いいよね、灯ちゃん」
礫の提案に反対する者はなく、タルトケーキを切り分け、紅茶も
後片付けをしているうちに三時間目が終わる。一年C組の教室に戻った灯たちは四時間目を自習に使うことになった。
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