童女神の末裔

伏姫 円

第一章 招待

第一節 冷蔵庫の中で逢いましょう

とう、ミルウォーキーの食人鬼ってご存じ?」

「ジェフリー・ダーマーのこと? 青少年ばかり殺して食べた」

「それっぽくない? の犯人。殺しているのは女の子だけれど」

「悪趣味なこと言わないで。食べるかなんて分からないでしょ」

「だって、こんなに切断バラされているんだし、焼きやすそうじゃない」


 ──また始まった。

 酷い場面に遭遇すると、いつも小夜さよは楽しみだす。

 ──そんなだから孤立するんだよ。

 口元まで出掛かった言葉を呑み込む。「貴女あなただって同じなのに? お仲間ね」と返されるに決まっているから。

 目を閉じ、ひたいに手を当てた。

 ──なんでこんなものを見ているんだっけ。


 そう、調理実習の準備だった。

 二時間目の休み時間──食材を運び出しに家庭科準備室まで来て、業務用冷蔵庫を開くと棚板には切断された人体が山盛り。関節で切り分けられた腕と脚、分類された臓器は血抜きのうえ真空パックもされて、においもしない徹底ぶりだった。

 ──どうなってるの? 

 と考えても消えてくれないから、話し出してしまったのだ。


「犯人はステーキがお好きなのかしら」

「あっ、勝手にさわっちゃ」

 ビニール越しにも触れたくない肉のかたまりを小夜は躊躇ちゅうちょなく掻き分けていく。

「あら、灰島はいじまさん。貴女だったの」

 奥から取り出された美貌と小夜が見つめ合っていた。


 女の子の生首だ。


 斬首の苦痛は浮かばず、髪はくしけずられて、真空パックもされていない。めつすがめつする白い両手のあいだで切断面の黒さだけが現実感を伝えていた。

「生徒会長の? そんなこと──」

 ──信じられない!

 小夜の視線がこちらを射る。

「貴女、この顔を知らないっていうの」

 突き出された生首に体を固めた。

 ──おう様!

 整いながらもどこか高慢なかんばせは、春から生徒会長を務める灰島美桜のものだ。


「作り物だよね。誰かが驚かせようとして」

「この切断死体が偽物に見えて? 本当に?」

「見えない」

「正直でよろしい。さて、誰がこんな粗相をしたのかしらね」

 生首を棚板に置いた小夜は冷蔵庫の右側に立つ。

「扉は閉めておきましょう。片側をお願い」

「あ、うん」

 左側へ行き、一緒に両開き扉を閉めた。

 冷気と死体がおおわれ、現実感が戻ってくる。


「どうしよう、調理実習できなくなっちゃったね」

優愛ゆあちゃんに伝えておきましょう。私たちに扱える事態ではないもの」

「警察じゃなくて?」

「まだしゃにいると思っているようね。ここは人権が保障された場所じゃない。スマホ、持ってないでしょ」

「そうだった。じゃあ優愛ちゃんか。大丈夫かな」

「大人なんだし、平気でしょ」

「大人だって、殺人事件は扱い慣れてないよ」

「さあ、もう、つべこべ言わないで職員室へ行くわよ」

 ──こいつ、絶対楽しんでるな。

 どうしてこんな子に惹かれて、気に入られたのだろう。


 わくされるまま痩身そうしんに従い、灯は準備室を出ていった。



 小夜のノックに若見えする女教師が扉を開く。

「失礼いたします。柏木かしわぎ先生はご在室でしょうか」

 ──完璧な外向き声だな。

 向き合わせの机が並ぶ一角が指し示された。

 ふたりが歩んでいくと、キャスターチェアを後ろにすべらせたひとが振り向く。

「あれ~、影山かげやまさん、さかきさん、どおしたの~。もう授業開始時間よぉ~。おさぼり? いけないんだぁ~」

 私立しゃ女子高等学院の厳格さをへし折る甘ったるい声だ。

 小夜は少し弛緩して、

「真っ先に遅刻なのは先生のほうですね」


 一年C組の担任──家庭科教師の柏木優愛は物が乱雑に散らばる机を両手で示す。

「だってぇ~、期末試験の作成が終わらなかったんだもの~。調理実習なんて作るもの決まってるんだから、影山さんたちだけで、ちゃちゃっと、ね」

「そんな声を出しても通じません。それより、食材はちゃんと納入されましたか」

「昨日業者の人が入れてくれたけど~。なにか不備があったの?」

 座面を回して対面したれい姿が首を傾げる。

 二十代なかばのはずなのに中学生みたいな童顔だ。超グラマラスな肢体がブラウスとタイトスカートに包まれている。ストッキングとパンプスが強調する脚線はなまめかしすぎた。

 童顔の耳元に口を寄せ、小夜がささやく。

「切断死体? も~影山さん、大人をからかっちゃだめだぞ~。めっ」

 優愛は小夜の肩を小突く。四月莫迦ばかには騙されないんだから! くらいの調子だった。




「い~い、落ち着いて、落ち着きなさい、落ち着くの。大丈夫。そう! これは~、野菜よぉ、野菜。ダイコンさん、ニンジンさん、レンコンさん」

 ──やっぱりダメだよね。

 家庭科準備室に来た三人は業務用冷蔵庫の中を見つめていた。

 

 灯も小夜が隣にいなかったら、どんなに取り乱していたか分からない。それが情緒のうわついた優愛だと、どうなるか。

 ──別の先生に伝えたほうがよかったんじゃない?

 小夜を見ても、どこ吹く風。

「ご覧の通りです。一介の生徒の身で、この有様をどうしたらよいのか、考えあぐねてしまって」

 自らを抱いて、か弱いふりをしている。

 小夜の悪意は灯には筒抜け。


 扉を開いた人と目が合うように美桜の生首は置かれていたのだから。


「警察──警察に。ああ、それより前に理事長様に伝えないと」

 優愛は下唇を噛み、

「い~い、ふたりとも、このことは誰にも言っちゃダメ。始末は全部私たち教員がするわ。今日の調理実習は自習に切り替え。それを知らせにいって」

 一気に見通しが立った。

 ──おちゃらけてるように見えて、やっぱり大人なんだなぁ。


 両開き扉を閉める優愛をふたりも手伝う。

 金庫のように中身が蔽われた。

「ふたりとも、自習時間が終わったら、具合がよくても保健の松浦まつうら先生のカウンセリングを受けること。こんなもの、見ていていいものじゃないわ」

 祈るような声だった。

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