耳元の薔薇
♠♣︎♥♦︎
客足も少なくなり、今日の営業も終わりに向かっていく頃。オレも榊の提案に乗って、二人でバーカウンターを挟んでグラスを交わしながら、恋愛話に花を咲かせていた。
その恋愛話の中でも、一等気になったのは榊のマブの話。
「俺のマブにさ、イライ居るじゃん?」
「あーイライね。チャラい男」
「ええ、アイツチャラい男認定されてんの?」
「え、絶対そうでしょ!あれはチャラ男!早瀬の勘は外れないからね」
「そ、そうだね、うんうんさすが早瀬」
ちょっと言いたくなさそうな榊の様子には首を傾げたくなるんだけど。
閉店時間が迫ってきた頃。
「今日はリアンの所に行く!」なんて意気揚々として、早めに退勤したらんらんに代わって後片付けをしながら、榊と話を続ける。
「で、イライがどうしたの?」
「そう、それで実は…イライが宮野と付き合ったらしくて」
「ええ!?」
「ビックリだよね。俺もビックリした」
「宮野くんって…」
「アイツら同じ大学でしょ?仲良さそうな感じだったし、宮野もイライのこと好きそうだったから付き合うとは思ってたけど」
「まじ!?」
危うくグラスを落として割るところだった。危ない危ない。そんなことしたら、流川に怒られる。手元を動かしながらも、視線はずっと榊の方を向け続けた。宮野くんとイライの話が気になって仕方ない。
「イライはやめとけって言おうか迷った俺」
「あー、きしめもちょっと付き合ってたもんね」
「過去掘り返さないで?」
「んふふ、ごめんじゃん」
「でもまあ、宮野が惚れたっぽいから何も言わなかったけど」
「そっか、宮野くんが落ちたんだ…」
「初めはイライが
ふぅん。と相槌を打ち、拭き終わったグラスを元の位置に戻す。榊は「いいんじゃないかと思って早瀬にも伝えた」と付け加えて一言。
オレからしてみれば、どうやったら付き合うまで行くのかが知りたい。どちらかが踏み込まなきゃ進まないのは分かるけど、踏み込もうとなるキッカケは何なのか…
オレにはそれがどうしても分からなかった。
ボーッとしているオレを見て、何かを察したらしい榊は少しニヤリとしながら尋ねてくる。
「早瀬も何か恋の悩み事?」
「ええ?ああ…まあ…そんなところ?」
「ふふふ、イケメンな俺に話してみな」
なんておふざけの延長みたいな調子で促されたが、深夜に差し掛かっている今、所謂深夜テンションでオレは素直に話すことにした。
店内の時計が午前零時を示すまで。
♠♣︎♥♦︎
榊は相槌を打ちながら、ただオレの話を聞いてくれた。さすがはきしめも。有難い。
「付き合うところまで行かない」というオレの悩みを聞いた榊は「うーーん」と唸る。
そりゃ唸りたくもなる。どう考えたって踏み込めるタイミングはあるはずなのに、一向に進む気配がないんだから。
やっぱり好きじゃないとか?それとも、他にいい感じの人ができた…とか。
あとは ___
「…やっぱり歌姫とか、気持ち悪い…?」
「そんなこと無いだろ」
ボソッと呟いたオレの言葉に、怒ったような声で榊が返してくる。滅多に聞かない榊の怒った口調に驚き、榊の顔を見る。でも、榊は至って真剣な表情だった。
「き、きしめも…?」
「歌姫だろうと何だろうと、馬鹿にされていい夢なんてないし、早瀬も幸せになるべき」
「榊…」
そうだった。過去にも、そうやって"あの人"に怒られたんだった。
あの頃の自分の夢を一番否定していたのは、親でも友達でも兄弟でもなく___ 自分。
そう、自分の"夢"を一度潰したのは紛れもなく自分自身だった。
オレはまた同じことをしようとしている。
自分の道を、自分自身の気持ちを…自分で潰そうとしてる。
榊の言葉にハッとさせられた。悔しいけど、オレの心に響くには十分過ぎるくらいだった。
オレは最後のグラスを元の位置に戻し、真剣な眼差しで榊を見つめる。
もう逃げないと、覚悟を決めて。
「きしめも、オレ…頑張ってアプローチしてみるよ。愛依に。」
その言葉を聞いた榊は満足そうな笑顔を浮かべ、変な応援の言葉を言うでも、助言をするでもなく、ただ何も言わずに頷いた。
♠♣︎♥♦︎
迎えた次の日。
公演前の準備をしている最中、衣装室がコンコンとノックされた。
「?はーい」
「入っても大丈夫か?」
声をかけてきたのは流川だった。この時期にしては珍しく、今日はバーに来れたらしい。何か用でもあるのかと思い、ウチは「いいよ」と返事をする。すると、流川は特に何を持っているわけでもなく、そのまま衣装室に入ってきた。
「流川?なんかあったの?」
「いや、渡したい物があってな」
「渡したい物?」
「そうそう、これ。丁度いいと思って。」
そう言って手渡されたのは、小さな薔薇が付いたピアス。可愛い。普通にめちゃくちゃ可愛い。
「えー!これウチに?」
「んは、そう。プレゼントってことで。いつも公演の時世話になってるから。」
「流川優しすぎ」
「そうか?」
このシンプルで可愛いデザインなら、今日のドレスにも似合いそう。
「せっかくだし付けてもいい?」と尋ねる。流川は快く「付けていいよ」と言ってくれた。でも公演の時だけつけるのも勿体ない。何なら普段使いしたいくらい。いや、もう普段使いしよう。
流川は「それだけ」と言って、静かに衣装室を後にした。ウチは耳元を薔薇で彩り、立ち上がってドレスを整える。
準備を完璧に終わらせ、衣装室の扉を開ける。
そして衣装室から踏み出し、歌姫"ナギサ"になった。
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