第6話 井戸と、飴ちゃん

 朝の空気はひんやりとして、けれどどこかやわらかい。透は、村の子どもたちの後をそろそろと歩いていた。手には木の桶。空のはずなのに、すでに重い。


「ねえ、おねえちゃん。都会って家の中に水が出るってほんと?」


 前を歩く、三つ編みの元気な女の子――アメリがくるりと振り返る。頬に土の跡がついていて、それでも笑顔は明るい。


「えっと、前に住んでたところでは出たよ。蛇口をひねれば」


「蛇口?……へー、じゃあ水の精霊が住んでるんだね!」


 苦笑いを浮かべながら返した言葉に、子どもたちはきゃははと笑い、また歩き出す。ぬかるんだ道を踏みしめながら、井戸は遠い。


 やっとのことで井戸にたどり着くと、すでに何人かの子が桶に水を汲んでいた。小さな手で縄を引き、釣瓶がぎぃぎぃと音を立てる。


「これ、引き上げるのって……結構、腕力いるね」


「うん。でもやってるうちに筋肉つくよー」


 腕まくりをして水を汲み始めた透は、すぐに息を切らした。水の重みが両腕にのしかかる。運動不足の社会人には、予想外の全身トレーニングだった。


「……お、おもっ……」


 木桶に並々と水を入れたあと、それを持ち上げようとして膝が笑った。小柄な子どもたちがひょいと肩に担いでいるのを見て、内心で驚く。村の子たちはたくましい。


「おとなは薪とか畑とか忙しいから、ぼくらの仕事なんだよ!」


 えっへん胸を張る子どもたちに、透は素直に感心した。


 ふと周囲を見回すと、ひとりだけ少し離れて行動している子どもがいた。ボサボサの髪、くすんだシャツ。


──泉で出会った、あの子だ。


 透はそっと近づいて声をかけた。


「あの……この前は、ありがとう。あのとき、教えてくれたよね」


 少年はびくりと肩を揺らし、逃げるようなそぶりを見せた。けれどすぐに立ち止まり、無言でこちらを見上げる。近くで見ると、頬がやせていて、目つきが鋭い。けれど、どこか影のようなものを帯びていた。


「えっと、私は透。えっと……君の名前は?」


「……」


「リュカ、そっち終わったー?」


 ひとりの男の子が呼びかけると、少年はわずかにうなずいた。それだけのやりとりで、また黙々と作業に戻っていく。


「リュカ……っていうんだ。また会えてうれしいよ」


 透がそう告げると、少年は一瞬だけまなじりを和らげて、そっと目をそらした。


「透おねえちゃん、こっちもお願いー!」


 アメリに呼ばれて、透は慌てて立ち上がる。


「いま行く! ……よいしょっと……!」


**


 なんとか村に戻る頃には、背中も腕もパンパンで、くたびれていた。


(子どもたちって、こんなに力あるの……?)


 歩きながら軽口を叩く彼らを見て、村で育つということの強さを思い知る。自分ももっと動けるようにならなきゃ、と思いながら、最後尾でふらふらとついていく。


 乾いた笑いをこぼした透は、ふと、ポケットに手を入れた。まだ数個だけ残っていた、日本から持ってきた飴ちゃん。


(ちょっと、糖分補給っと)


 リュカが少し離れた場所で、こっちを見ているのに気づいた。


 一つを取り出して、そっと歩み寄る。


「これ、君にもあげる。……泉の時のお礼、まだちゃんと言えてなかったから」


 リュカはしばらく透の手を見つめていたが、ゆっくりと手を伸ばして飴を取った。そして、透の目を見ないまま、口に入れる。


 その瞬間、少年のまぶたがすっと上がり、微かに目が丸くなった。


「……あまい」


 ぽつりと、声がこぼれた。


 その一言が、なぜか胸にじんわりと染みた。


 前にいるアメリが振り向いて言った。


「ねえねえ、おねえちゃん。次は洗濯場に連れてってあげる!」


「……洗濯場?」


「うん! ジークにいちゃんに連れてってあげてって頼まれたの!」


「ありがたいけど、うぅ……また重労働……?」


 笑い声が響き、子どもたちは楽しそうに村の中心へと戻っていく。


 その後ろ姿を眺めながら、透はちらりとリュカの姿を探したが、彼は荷を下ろすと、そっとその場を離れていってしまっていた。

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