幸運の鍵は私の中に①

「……え? ……当たり……?」


 駅前の売り場で、何の気なしに買ったスクラッチくじ。

 その銀色のコーティングを削った瞬間、遥の手が止まった。


「こ、これって……五十万……!? ほんとに当たり……!?」


 驚きと半信半疑の中、払い戻しを受けた帰り道。

 ふわりと風が吹いて、どこからか鈴の音のような音が聞こえた気がした。


(……もしかして、運気、ちょっと上向いてきたのかも?)


 そんな予感に背中を押されるように、遥の足はあのビルへと向かっていた。

 NEXUSゲートツアーズ。異世界への扉を開いてくれた、不思議な旅行会社。


「……よし、今度はちゃんとした旅行をしに行こう」


 そう呟いてドアを開けた瞬間――


「……えっと、こんにちは。覚えてます……か?」


 NEXUSゲートツアーズ。あの騒がしくも妙に落ち着く、都会の片隅の異空間。

 遥が事務所のドアを開けたその瞬間、あの時と同じ、どこかゆるくてほんのり甘い香りが鼻をかすめた。奥のカウンターには、あの2人の社員が――。


「いらっしゃいませにゃー♪ 旅行のご相談ですかにゃ?」

「はじめての……ご来店、ですねぇ~。ふふ、案内のファイル、ご用意しますね~」

「……え?」


 遥は固まった。

 あの銀髪のエルフ、フィリア。猫耳の女の子、ミルフィ。間違いなく、異世界で一緒に地獄のような……いや、幻想的な旅をしてきたはずだ。

 なのに、まるで初対面のような対応をされている。


「……え、あの……私、前にも来てて、ツアーも行ったし、ほら……ルミナとかセリカとか……」

「ルミナにゃ? あ~、精霊サポートシステムの名前をもう調べてるにゃ。意識高い系のお客さまにゃ~♪」

「ちょ、ちょっと待って!? フィリアさん、ミルフィさん、ほんとに覚えてないの!? 私、遥! 逸見遥!! 前に腕輪が不良品で倒れて……」

「あらあら~、ずいぶんと詳しいんですねぇ。たしかその事件……『社内機密』だったような~?」

「えええええっ!?!?」


 焦りで早口になった遥の声に、ミルフィが一瞬くすっと笑った。


「にゃはっ、冗談にゃ~。ちゃんと覚えてるにゃ、遥。久しぶりにゃ~!」

「……えっ? ……えぇぇぇえぇえ!?」


 思い切り肩を落としてぐったりする遥に、今度はフィリアがにこにこと微笑んで紅茶を差し出す。


「おかえりなさ~い、遥さん。異世界帰りの……とっても貴重なお客さまですもの。ゆっくりしていってくださいねぇ~」

「ど、どっちなの!? 心臓に悪いからやめてよ~~っ!」


 その後、応接スペースに通されると、ルミナとセリカもふわりと現れた。どちらも変わらない様子で、それが妙に嬉しかった。


「お久しぶりです、遥さん。お元気そうで何よりですね」

「再来店とは、勇敢な……いえ、懲りないお方ですね」

「うぐ……言い返せない……」


 それでも、ここに戻ってこられたことが、どこか嬉しい。そう思ったのは確かだった。


「ところで遥、前回のお詫びで、【スペシャル無料旅行券(1泊分)】を進呈するにゃ!」

「え? 無料なの? ……やった!」

「でも、2泊目は自費にゃ。もちろんお土産は用意してるにゃ♪」

「……は? え? ……あれ? 2泊無料って話じゃなかったっけ……?」

「にゃ? 誰がそんなこと言ったにゃ~?」

「えっ、ミルフィが……いや、なんかそれっぽいこと……。いや、言ったよね?!」

「気のせいです~」

「気のせいじゃなぁぁい!!」


 その日のNEXUSは、やっぱりいつも通りにぎやかだった。


 *

 応接スペースに移って、再び紅茶とお菓子が並べられたテーブル。


「今回は、私が担当しますから~。ミルフィ、前回はお疲れさまでした~」

「にゃふふ~、任せたにゃ、フィリア~。……って、遥、うちらのことは名前で呼んでいいにゃ。『ミルフィさん』なんて、よそよそしいにゃ~」

「そうそう、敬語じゃなくていいですよ~。だってもう、旅を共にした仲じゃないですか~」

「え、いいの? じゃあ……フィリア、ミルフィ」

「はいですにゃ~♪」

「ふふ~、そう呼んでもらえると嬉しいですねぇ」


 フィリアがにこにこしながらティーポットに手を伸ばし、お湯を注ぎはじめる。


「それで遥さん。帰ってきてからは、どうだったんですか~?」

「うん、なんかね、ちょっとだけ運が良くなった気がするの。たとえば……」


 遥は指を折りながら思い出す。


「電車に乗ろうとしたらちょうど来たり、限定スイーツが並んでるタイミングで買えたり、あと気まぐれで買った宝くじで五十万円当たったの!」

「それはすごいにゃ!? 宝くじって、あの……運だけで勝負のやつにゃ?」

「うん、それ。びっくりしたよ」

「それはよかったですねぇ~。旅のご利益……かもしれませんねぇ」


 そう言って、フィリアが満面の笑顔でカップを遥の前にそっと置いた。


「どうぞ、ハーブティーです~。香りもよくて、ゆったり落ち着けるんですよぉ~」

「ありがとう、いただきます」


 遥がカップを手に取ろうとした、その瞬間――


 ぽろっ。

 カラン。


 ――カップの取っ手が、あっさりと取れて落ちた。


「……」

「……」

「……今、見なかったことにしていい……?」

「フィリア~~~!!」

「わ、私、ちゃんと点検したつもりだったんですけどぉ~~」


 静かに、気まずい空気が室内を包み込む。


「……ま、割れなかっただけマシ、かな」


 遥が苦笑いでそう言うと、フィリアが慌てて立ち上がる。


「すぐに新しいものをご用意しますねぇ~。今度こそ、ちゃんと大丈夫なやつを~」


 入れ直されたハーブティーとともに、新しいカップが運ばれてきた。遥がそっと手を伸ばし、今度こそと慎重に持ち上げる――が。


 ピシッ。

 ぱきん。

 カップの底にヒビが入り、突如、ティーが遥の服にこぼれ落ちた。


「きゃっ!? ちょっと、うわっ、熱っ……!」

「きゃああああ、すみません遥さ~~~ん!!」

「ふ、不幸の連鎖にゃ!? にゃんで、なんでこうなるにゃ!? ……あたし、ちょっと空気吸ってくるにゃ……」


 そう言ってミルフィがふらりと立ち上がろうとした瞬間、フィリアがにこにこしながらその腕をがしっと掴んだ。


「……今回は、二人でご案内いたしますわよぉ~?」


 その笑顔は、なぜか背後に黒いオーラが見えるような迫力があった。


「ひぃっ!? フィリアが怖いにゃ!? 逃げられないにゃ……!」

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