『扉のむこうに、わたしがいた』 ③

 ひとしきり自己紹介と混乱が終わり、店内にようやく静けさが戻った。

 まりんは姿勢を正し、目にすっと知的な光を宿していた。先ほどの暴走ぶりが嘘のように、今は“できる女”モード全開である。


「では、改めて伺います。御社の旅行サービスについて、具体的なプランと条件を教えていただけますか?」

「……にゃっ? えっ? えぇ……えええっ!? 別人!? 今さっきまで猫耳に突撃しようとしてたのに!?」


 ミルフィが耳をぴくぴくさせながら驚愕している隣で、フィリアはまるで予想していたかのように微笑む。


「かしこまりました〜。当店では、お客様に合わせた最適な異世界観光プランをご提案しておりますの。今回は……まりん様の趣味傾向と願望傾向を反映し、“魔導遊戯都市エン=レイヴァ”をおすすめいたしますわ」

「“魔導遊戯都市”……?」

「はい。魔法とゲーム文化が高度に融合した都市で、現地では“魔導書ゲーム”の体験、幻影劇場の観劇、さらには精霊とのコラボイベントなどもございます」


 まりんの瞳がますます輝きを増していく。


「旅行期間は、支給される魔法の腕輪の魔力容量の都合で、最大二泊三日となっております。プラン料金は十六万円、加えて現地での諸費用として、五万〜十万円程度をご用意いただくと安心ですわ〜」

「……行きます」

「即決!? は、早っ!? ほんとに別人にゃ!!」

「だってお金を払えば異世界に行けるんでしょ? 夢みたいな話じゃない。むしろ安すぎて怖いくらいよ」

「……もう少し高くすればよかったですわね〜」


 フィリアがお茶を注ぎながら、ぼそっと腹黒くつぶやいた。

 まりんはスマホを取り出して時計を確認する。


「午後の就業時間が近いわ……先に会社に連絡しておかないと」


 そのまま画面をタップして会社に電話をかける。


「お疲れさまです、蒼井です。……はい、すみません。外回り中に少し事故に巻き込まれてしまって……いえ、大したことはないと思うんですが、病院から検査を勧められまして。大事をとって、数日お休みをいただければと」

「……そうですね、検査結果次第で、無理はしないようにします」


 通話を終えたまりんがスマホを置く。


「……よし、休暇は確保。準備は整ったわ」

「しれっとウソついたにゃ……」

「でも実際にドアに顔をぶつけたじゃない」

「……たしかにそうだけどにゃ」


 まりんの表情には、満足げな微笑みが浮かんでいた。


「では、お客様には出発に向けた詳細をご説明いたしますわね〜」


 フィリアが書類らしき魔導スクロールを手に取ると、テーブルの上にくるりと広げた。


「まず、装着していただくのはこちらの魔法の腕輪ですわ。環境適応、防疫、通訳、軽度の物理防御といった機能が含まれております」


 フィリアが差し出した腕輪は、シンプルながらどこか上品な銀細工のようで、まりんは思わず「かわいい」と呟いていた。


「現地時間で最大四十八時間滞在可能ですが、魔力が尽きても自動的に帰還されることはありません。 環境適応に関しても個人差がございますため、体調に異変を感じた場合はすぐに帰還申請を行ってくださいませ。 延長も不可能ではありませんが、高額になるため二泊三日を基本としております」

「なるほど。時間管理は慎重に、というわけですね」

「さすがですの。あとは――」


 フィリアが指先を軽く動かすと、スクロール上にふわりと浮かび上がる魔法の地図。


「エン=レイヴァの中での行動可能エリアや、魔導書型施設の位置、精霊協会、幻影劇場なども表示されていますわ。滞在期間中の行動は比較的自由ですが、禁制区域には近づかないようお願いいたします」

「……観光地のマップがホログラムで出るとか最高すぎない?」


 まりんがスクロールを覗き込みながら声を上げると、ミルフィがにこにこしながら耳をぴくぴくさせた。


「ちゃんと楽しんでるにゃ。よかったにゃ」


 まりんはふと我に返ったようにカバンに手を伸ばし、財布を取り出すかわりにクレジットカードを差し出した。


「では、お支払いを――」

「申し訳ありませんが、当店では現金決済のみとなっておりますの」

「……現金、ですね。近くにATMはありますか?」

「はい、路地を出て左手、ビルの角を曲がった先にございますわ」


 まりんは席を立つとすぐさま足早に店を後にした。

 そして――数分後。


「……ただいま」


 入り口の扉が再び開き、息を切らしたまりんが戻ってきた。その手には、現金の入った封筒が握られている。中には五十万円ほどがしっかりと収められていた。


「……あの速さ……ギャグマンガみたいだにゃ……忘れ物でも取りに来たのかと思ったニャ」


 ミルフィが目を丸くして呟く横で、フィリアが再びぽつりとこぼした。


「やっぱり、もう少しお値段上げておけばよかったですわ〜」


 現金を渡し終え、いざ出発という雰囲気が高まったそのとき、まりんがふと手を止めて口を開いた。


「ひとつだけ、確認してもいいかしら?」


 フィリアが優雅に首を傾げる。


「もちろんですわ〜」

「出発がもう午後じゃない? すでに一日の半分が過ぎてるわけだけど……それって、現地での滞在時間にも影響するのかしら? ちょっと損した気分になるのよね」

「ご安心くださいませ。現地での滞在時間は、あくまで“あちらの世界”の時間基準でカウントされますので、今からのご出発でも、しっかり二泊三日分ご滞在いただけますの」

「なるほど、それはありがたいわ」

「ちなみに……地球側の時間経過については、個人差と若干のズレがございますので、“おそらく”数分から数時間の範囲に収まるとお考えくださいませ〜」

「おそらく……ね」


 まりんは苦笑しながらも、明らかに浮き立つような期待に満ちた目をしていた。

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