テクノ・シンドローム

殺島魁

CHAPTER1

チンパンジーは天才ハッカーの夢を見る

 ・テクノ・シンドローム


 オートメーション化の進展が人間に与える精神的ひずみ。

 ①機器に対して拒絶反応を起こす不安症。

 ②機器に同化しすぎて正常な対人関係が保てなくなる依存症。



 ◆



 俺はチンパンジーだ。


 違う。厳密にはチンパンジーではないし、名前もあるからちょっと待て。


 名前はヒュージャック・ハルトマン。通称「HH」。ゴッドファーザーは他ならぬ俺。過去の名前はハッカーを志した時に潔く捨てたのであるが、今の状況ではこの名前すら棄てて「モン太郎」や「サル吉」に改名したほうがしっくりくるのではないかと思ってしまっている。


 HHが生まれたのは俺が高校一年生の時。情報ネットワークの授業中に、どうしても家のパソコンからエロ動画を削除しなければならないという状況があった。詳細は伏せるが、察して欲しい。


 当時遊びでハッキングを勉強していた俺は、授業中の限られた五十分の中で、教師から作業を隠匿しながら、学園のネットワークシステムをクラックして、そこから我が家のアドレスを特定し、パーソナルセキュリティを突破してエロ動画を削除。見事作戦を成功させた。我ながら、天才の所業だったと思う。


 それから数日立って、俺宛に見知らぬアドレスから個人メッセージが届く。送信元は「エンタングルゲート」。当時の俺は知る由もないが、それは匿名の集団で形成される大規模なハッカー集団であった。


『キミの活躍を見ていたよ。スバらしい腕前だ』


 慎重かつ良識のある俺は、怪体極まりないそのメッセージを華麗に無視し、迷惑メールに分類した後、アドレスをブロックした。すると一時間後、俺のPCには削除した筈のエロ動画が添付された下書きメッセージが大量に発生していた。身内のありとあらゆるアドレスに向けたそのメッセージは、ボタン一つで発射される寸前の拡散ミサイルのようなもので、血の気が引いてすっかり青ざめた俺は、震える指先で悪質陰気野郎どもに助けを乞うことになった。


 奴らはふたつの選択肢を提示した。ひとつは、莫大な金銭の支払い。もうひとつは、「エンタングルゲート」の一員となり、ハッキングの仕事を手伝うという、いわば勧誘。


 そうして後悔と自責の念と共に、「HH」が誕生した。


 つまり俺はまったく、ハッカーなんてものになりたくてなったわけではない。むしろそんなハイリスクな生き方は断固として避けたい性質の人間だ。だが、才能がそれを許さなかったのだ。


 「エンタングルゲート」の連中は悪辣にして薄情で、冷酷無比な陰湿の集まりである。彼らは皆、社会になんらかの負い目や反抗心を抱える連中で、それぞれがそれぞれのコミュニティから疎外されているものどもが寄り合っているという、なんとも手の付けがたい核廃棄物集積場のようなグループだ。俺は奴らのことが嫌いだった。嫌いだったが、ゲートから抜けようものなら即座に悪質な嫌がらせが行使されることは目に見えていた。


 だから俺は、ハッカーとして成り上がる道を選んだのだ。


 目には目を、悪には悪を。奴らの世界で市民権を得て、自由になるための力を手に入れる。そう決意した俺の成長速度はすさまじく、もともと才能があった俺に確固たる決意による努力という推進力が加われば明々白々鬼に金棒というもので、約一年にして俺はハッカーの仕事だけで飯を食えるようになり、高校を中退し、早々に親元から離れ、独立……正確には、勘当されてしまった。


 ハンドルネーム「HH」が、界隈でそこそこ有名なものになりだしたころ。俺は巨大企業である「秋霜しゅうそう」グループの傘下である「闘鶏會とうけいかい」という組織から、頻繁に仕事をアサインされるようになっていた。依頼の詳細はいつも明瞭としないが、野良の依頼とほぼ同じ仕事内容で、倍額以上の報酬が手に入る闘鶏會の仕事は、かなり割のいいものだった。きな臭さは感じていたものの、この業界は常にきな臭い。人は臭いに慣れるのが早いもので、俺はそのきな臭さが周囲のものか自分のものかさえも判然としない状態になっていた。


 そうしてきなくっさい俺はその激臭を見出され見事、スケープゴートとして闘鶏會に使い潰されることとなった。


 いつも通り闘鶏會から与えられた仕事をこなしていた俺は、個人レベルでは基本的に突破のできないセキュリティシステムにぶち当たった。慎重かつ常識ある俺は、依頼元にホウレンソウの後対応を依頼。だが闘鶏會がよこした返信は「作戦続行せよ」の一言のみ。無謀な作戦であると断じて、依頼を中断する手もあった。寧ろ、それが普通だ。だが俺は普通ではない。天才ハッカー「HH」であるのだ。ここで退けばようやく売れてきた「HH」の名に汚点が付く。それにもう、闘鶏會が依頼をよこさなくなるかもしれない。


 精密な思考の末、俺はこめかみの直結コードをデバイスに接続し、システムのクラックに手を掛けた。なに、アフリカゾウを狩るようなものだ。巨大で、強く見えるが、人の手で実際に殺せる。それに俺は天才だ。天才にこなせない仕事など、ないはずだ。


 そしてその直後、データストリームの逆流が天才の頭脳を焼き尽くした。


 ショートアウトの瞬間、俺は初めて相手が「ユーフォリア・コーポレーション」であることを知った。俺が倒そうとしていたのは、アフリカゾウではなくアフリカ大陸そのものだったのだ。


 マキナ産業における「秋霜」の競合企業「ユーフォリア・コーポレーション」。名にしおう大企業の抱える機密情報を、調子に乗った傭兵ハッカーが盗み出そうとして、脳を焼かれた。よくある話だが、俺はそんなニュースを目にするたびによくもまあとんでもない阿呆がいるもんだなと鼻で笑っていた。こういう仕組みだったのだ。使い捨ての駒が無謀な突撃をしている隙に、企業所属の本命ハッカーが必要な情報を確実に抜き出す。闘鶏會はすべて織り込み済みで、この俺を利用したのだ。


 そういう訳で俺は死んだ。俺の短い命は、「HH」の輝かしき栄光と共に、電子の海へと沈んでゆく。そのはずだった。


 だが慎重にして慎重な俺は、保険をかけていた。


 俺は仕事で稼いだ金のおよそほとんどを投資して、富裕層御用達のドライブに自身の記憶痕跡をアップロードしていたのだ。それは意識のバックアップファイルのようなもので、不慮の事故で肉体が死亡した際、義体に記憶痕跡を移植し、第二の人生を歩むことができるシステムである。ドライブの利用は非常に高額なうえ、移植自体にも天文学的な費用が掛かるため、本来いち成り上がりのハッカーが利用できるシステムではない。たゆまぬ貯蓄と生命保険の合わせ技、そして天才の頭脳を利用したイカサマで、俺は不死のシステムを所有していたのだ。


 そんなこんなで俺は無事この世に生還し、まったく新しい体で人生を再スタートすることとなった。ただひとつ重大な問題があるとするならば、ギリギリ資金が足りなくて、義体として提供されたのが限りなく人に近い動物であるチンパンジーであったということだけだ。


 そう──


 吾輩はサルである。名前は、どうしよう…。

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