ドグマに裁かれる者たち 〜マスター・オブ・パペッツ〜

タビオス

第1話 誕生前夜:マザーナイトメア症候群

「坂岩工業」は、汀良央市南西区にある坂岩夫妻が営む小さな部品工場。


夫婦は毎日寝る間も惜しみ働いていたが、それでも笑顔を絶やさない夫婦の間には、


そんな親のの姿を見てすくすく育っていた息子の孝真がいた。


古びた家具、煤けた食器、食事も質素なものだったが、いつも笑いの絶えない空間がそこにはあった。


“働けど働けど我が暮らし…”を地で体現していたような家庭ではあったが、家庭内は円満で幸せな雰囲気に包まれていた。


そんな幸せな雰囲気は長くは続かず、近年不況の煽りを受けて経営難に陥っていた。


そんな折、ある男が「立て直せる」と甘い言葉を囁いて近づき、坂岩家が大切に守ってきた工場の土地・資材・資産を次々と奪っていった。


坂岩工業はまもなく廃業に追い込まれ、孝真の家族は離散。わずかに残った父のツテを頼り、高校卒業後に町工場へ住み込みで就職するが、


工員との人間関係がこじれ、やがてその工場も飛び出してしまう。


以降、孝真は職を転々とするも、どこへ行っても心は満たされず、やがて夜の街をさまようようになっていった。


生きる目的を失い、過去を背負ったまま、ただ日々を消費する日々。


──そしてある日、風の噂が耳に入る…


久々に顔を出した町の食堂で、年老いた店主がボソリと呟いた…


両親が静かにこの世を去ったという知らせ…


失意と絶望に心が砕けるような痛みを感じた次の瞬間、孝真は意識を手放した。


夢か現実かも定かではなかった。


気がつくと、目の前に父がいた。


「心残りが一つだけあってな…おまえには……何も残してやれなかったことが、無念でならないんだ……」


父の言葉は静かだった。


「これが……オレからお前にやれる、最後の財産だ… これで、坂岩家の無念を晴らしてくれ……」


その瞬間、父の姿は淡く消え、同時に孝真の中で何かが弾けた。


と同時に黒い影が背後に立ち、胸の前で交差させた両腕の指先から、細く鋭い糸が放たれていた。


復讐の炎は静かに、だが確かに燃え上がり始めていた。



ある晩、いつもの様に街角を歩いていた孝真の耳に、怒号が飛び込んでくる。


声のする方へ駆け寄ると、男たちに詰め寄られる30代前半の女と、その手を引く幼い娘の姿があった。


見過ごすことなどできなかった。孝真は反射的に、男たちと親子の間に割って入る。


親子に詰め寄る男たちの怒号が響く。


孝真はその場に駆け寄り、割って入った。


「おいおい!理由はわかんねーけど、女子供に詰め寄るなんて見過ごせねーよ!やめろよ!」


男の一人が舌打ちをして振り返る。


「なにお前?知り合い?」


「知り合いじゃねーけど、見過ごせねーだろーが!」


別の男が鼻で笑う。


「なに?コイツ、ヒーロー気取り?正義の味方登場ですよ〜www」


詰め寄っていたリーダー格らしき男が口を開く。


「知り合いじゃねーならさ、大人しく帰ってくんない?俺ら、今取り込み中なのよ!見りゃわかんだろ!」


孝真はなおも親子との距離を詰め、男たちの前に立ちはだかる。


その態度が気に障ったのか、男の一人が拳を振り抜いた。


――バキッ!


頬を殴られた衝撃に身体がぐらつく。


その一撃を皮切りに、残りの男たちも次々と孝真に襲いかかる。


「チッ……来いや、クソが……!」


しかし、数的不利は否めない。


殴る蹴るの暴行を受ける孝真――その隙に、親子は逃げる。


母親は幼い娘を抱えるようにしながら、振り返ることなく闇に消えていった。


孝真はそれを見届けながら、ゆっくりと意識を手放す。


そして——


次に目を開けた時、視界はぐにゃりと歪み、意識の奥底から“声”が響いた。


「……目覚めろ。貴様には、操る資格がある」


誰かが脳に直接語り掛けるような感覚を覚えた。


■ 孝真の覚醒 ― 闇の底からの“声”


意識は、沈むように落ちていった。


痛みも怒りも、遠く霞んでいく。


ただ、暗く…深く…何もない場所。


「ここ…は……?」


身体があるのかすら分からない。


視界も感覚も、完全に闇に溶けていた。


そんな中――


脳裏にかすかに響く“声”。


『……悲しみに囚われた者よ……』


どこか女性のような…だが性別の枠に囚われない、深く、美しく、底知れぬ声だった。


『怒りに身を焼き…人のために血を流す…その魂に問う……お前は、操る側か?操られる側か?』


孝真は思わず問い返す。


「…何の話だ……?お前、誰だよ……!」


『お前は既に選ばれた。あとは“受け入れる”だけ。』


唐突に、眼前に巨大な“人形のような”影が現れる。


金属の糸が無数に絡みつき、背後には十字架のようなフレーム――


異形の存在。それでいて、どこか哀しげな目をしていた。


『私は、お前に力を与える。


…正義を成すも、私利私欲に溺れるも、それもお前次第。』


『だが覚悟しろ。力を持つ者は、無力を見捨てることが許されぬ。』


『問う――名を呼べ。我が名は――』


孝真の口が、自然と動いた。


「マスター…オブ…パペッ…ツ……」


視界が爆発するように光に包まれた。


胸の奥から湧き上がる“確かな感覚”。


熱い力が、全身を駆け巡る――


孝真は、目を覚ました。


■ 路上の再会 ― 光差す方へ


ゴミ捨て場のような路地裏で、孝真は目を覚ました。


「……はっ……オレ……?」


顔を上げると、周囲に男たちの姿はもうない。


身体のあちこちに痛みが残るが、それ以上に――胸の奥が熱い。


「なんだったんだ、あれは……マスター・オブ・パペッツ……?」


まだ現実感のない感覚を引きずったまま、孝真はフラつく足取りで路地を抜け、街灯の明かりに導かれるように表通りへ出る。


夜の街は、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだった。


そのとき前方から小走りに駆けてくる親子の姿が見えた。


「お兄ちゃん、大丈夫っ!?」「……あのっ!」


娘が泣きそうな声で駆け寄り、母親もすぐ後ろから追いつく。


「ごめんなさい……助けてもらって、あんなふうに逃げてしまって……でも、あなたのことが心配で……」


孝真は驚いたように、しかし照れくさそうに笑う。


「なんだよ……オレの顔、そんなに心配されるほど良かったか?」


そう冗談めかすと、母親は一瞬ポカンとしてから、ふっと笑みを浮かべた。


「ハハハ…血だらけの顔でそんなこと言う人に会うの初めてかも。」


娘は心配そうな顔でギュッと孝真の服の裾を掴んだ。


「お兄ちゃん、痛いのがんばったの? すごいね……!」


孝真は、しばらく黙って空を見上げた。


傷だらけの体、居場所のない人生――


でも、この手は誰かを守れた。


胸の奥で、マスター・オブ・パペッツの気配が静かに息づいていた。


(……ああ。オレは、ここにいていいのかもしれねぇ。)


■ 胸に残るぬくもりと、闇の影


孝真は子供の髪をそっと撫でる。


「あぁ〜……兄ちゃん、ちょっとだけ頑張ったけどな。怖かったろ……ごめんな。


でも、これからまたあんなヤツらが来たら――兄ちゃんがぜってーやっつけてやるから、安心していいぞ。」


少女は小さく頷き、涙をこらえながら微笑んだ。


その姿に何かを突きつけられるような想いが胸を突く。


“自分は守る側にいた”…その実感が、孝真の中で確かに何かを変えていた。


彼は母親の方に顔を向けた。


「……あいつら、あんたらに何の用だったんだ?」


女は少し躊躇いながらも、静かに語り出した。


「……主人が早くに亡くなって……どうにかこの子を育てなきゃって、必死に働いてたんです。


昼も夜も、立ちっぱなしで、睡眠も削って……でも、限界はすぐ来てしまって――」


少し言葉を詰まらせて、また続ける。


「そんな時……古い知人に偶然会って、“低金利で融資してくれる人がいる”って紹介されて……。


生活費にも事欠いていた私は……疑う余裕もなく、そのまま融資を受けたんです……。」


孝真は静かに息を呑んだ。


「でも……気づいた時には、利息が膨れ上がってて。


返済が遅れたら、“違約金”“保証人”って……何度も何度も電話と訪問があって……。」


彼女は顔を伏せるようにして、ぽつりと呟いた。


「……あの……“トゴ”って知ってますか?」


孝真の目が鋭く光った。


“トゴ”――途轍もない高利で、しかも取り立ては暴力的。


名前だけは聞いたことがある。


あまりに手口が悪質すぎて、表の警察もなかなか手を出せない。


ましてや、こんな母子家庭のような“弱者”を狙い撃ちにするのが連中の常套手段だ。


「チッ……あいつら、“闇金”だったのか。」


拳を握りしめた孝真の中で、何かが再び燃え始める――。


女は震える声で続ける。


「……ある日、取り立てに来た男の一人が……こう言ったんです。


“返済できないなら、ガキをよこせ。ああいう趣味のヤツに売る口があるんだ”って……」


孝真の表情が、一瞬で険しく変わる。


目の奥で、何かがブチッと音を立てて切れたようだった。


「……なんだと……?」


女はうつむき、声を振り絞る。


「……この子を連れて逃げようとしたんですが……何度も張り込まれて、逃げ場なんてどこにもなくて……。


さっきも、逃げようとしたところで捕まって……。」


孝真は無言のまま拳を握りしめ、その拳が小さく震えていた。


歯を食いしばり、ぐっと目を閉じると、心の奥から何かがせり上がってくるのを感じる。


(……ふざけんな……この国には社会的弱者への救済措置はないのかよ!…)


目を開けると、その瞳にはもう迷いはなかった。


「……安心しな。もう、あんたらに手ぇ出させねぇようにしてやるよ。」


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