第2話 星を見る老人

旅の途中、俺はさまざまな人々と出会った。


断崖の村にたどり着いた日の夕方、風に吹かれてたどり着いたのは、今にも崩れそうな水車小屋だった。そこにいたのが、星を読むという奇妙な老人だった。細い体にぼろぼろの毛皮をまとい、目だけは爛々と光っていた。


「火が恋しい顔をしておるな。ほれ、ここへ座れ」しわくちゃで目がどこにあるのか分からなくなるような笑顔。


言われるままに腰を下ろすと、彼は鍋から何かをすくって木の椀に盛った。甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐった。


「木の実とキノコを煮たものだ。だが、ただの煮込みじゃない。月の出る前に摘んだ『銀の笠茸』が入っておる。夢を見るぞ」


ひとくち口に運ぶと、濃厚な出汁とほのかな甘みが舌に広がった。芯まで冷えていた体が、ゆっくりとほぐれるような感覚。

疲れがすっと溶けていく。


「星は嘘をつかん。黙って見とれば、全て教えてくれる。

お前の背には、遠い北風の匂いがある。探しておるな?」


「何を、とは自分でも分からない。でも……この道の先に何かがある気がするんだ」


老人は静かにうなずいた。


「よい。ならば、星もきっとお前を導くだろう」



その夜、俺は薪の火が揺れる傍で、獣皮の上に身を横たえた。目を閉じると、深い眠りがまるで水底のように俺を包み込んだ。

だが...夢の中で俺は、決して静かな眠りには落ちなかった。


最初は風の音だった。低く、遠く、耳の奥で蠢くような風鳴り。

視界は霧に包まれていた。白でも灰でもない、月光のように光る霧。足元は見えず、ただ前方に一つの『影』が立っていた。


それは我が子、ゴドウィンの姿だった。

だが、彼の目は空洞で、声も出さず、ただ両手をこちらに差し出している。


「父さん、来て...道を、間違えないで...」

その声は、風とともに流れていった。



重く沈む霧が一瞬、裂け景色が浮かび上がった。

枯れた木々がねじれながら天を指し、黒い森が月を吸い込むように広がっている。

彼は一本の道の前に立っていた。道は二つに分かれ、右の道は霞の中へと続き、左の道だけが赤く輝く炎のような光を放っていた。


そして、その狭間に立つ一人の人物。

顔は見えなかった。だが、纏っていたのは、あの時のこの世ならざる者と同じ、月光をはじく蒼銀の衣。


「選べシグルド、鉄の子よ」

その声は、森全体から響いたかのようだった。

年老いた者の声、しかしどこか少年のような、愛おしい響きでもあった。


「どちらを進んでも血は流れる。だが、一方ではお前が滅び、もう一方ではお前が変わる」



右の道を選んで進むと、景色は急に変わる。廃墟となった鍛冶場、燃え尽きた家、砕け散った剣。

そしてその中央に立つのは、蒼銀の衣をまとった人物。

かつて霧の中で姿を見た、この世ならざる者。

だが、その顔には仮面に覆われており、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。



「再び会うぞ、シグルド。やがてお前は選ぶだろう。誰を救い、何を斬るかをな」


俺は声も無く叫ぶ...



目を覚ました時、薪の火はとうに消えていた。

額には冷たい汗。呼吸が荒く胸の奥に残る重苦しさは夢の名残を超えていた。



隣で火の灰をかき混ぜていた老人が、ちらりとこちらを見た。

「見たな。『銀の笠茸』の夢を」

「あれは、ただの夢じゃなかった」


老人はうなずき、目を細めた。

「それは、お前の奥底にある『選択』だ。そして、いつかその問いに向き合わねばならん。夢とは、魂が未来の扉を叩く音なのだよ。ただの幻ではない」


俺は、黙って冷えた空を見上げた。

霧が消え空には満天の星が輝いていた。だがその星々も、どこか哀しげに瞬いていた気がした。



翌朝、路銀で膨らんでいた巾着袋が消えていた。


虚しさ... 失望...

老人を疑いの目でぼんやりと見つめた。


老人はゆっくり立ち上がり、ため息まじりに天井裏を棒で突いた。バサバサッと音がして、一匹のイタチが巾着袋を咥えて飛び出してきた。


「盗るのは人間だけとは限らん。だが...お前が真っ先に疑ったのは、人だったな」


その目を見て、俺は何も言えなくなった。

「星を見る者は、まず足元を見ねばならん。腹は、もう満ちたか?」

うなずくと、彼はわずかに微笑んだ。



旅は既に運命の路を進み始めていた...



+++++++++++++++


週1話くらいのペースで続きを上げていく予定です

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