玄道

堆積するモノたち

 ⚠この話はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。


 1──令和七年五月 団地


 ──静かだな、人が皆死に絶えたみたいだ。


 九州北部、山間の都市の公団住宅。 静寂の中、峯岸実みねぎし みのりは、母と暮らしている。


 私立××高校二年、普通科文芸コース。大学は文芸部を志望している。 


 午後十一時八分。


 小さな目覚まし時計の針だけが、音を立てている。


 また月曜が来る。


 テレビがないので、スマホのカレンダーでそれを実感する。液晶の向こうは、実の嫌いな外界と繋がっている。


 


 ──朝は面倒だな、今なら誰にも会わないでしょ。ゴミ出し行こ。


 ジャージを着て外に出る。


 ──まだ冷えるな。


 目論み通り誰もいない、死の街のように。  

 

 そよ風が、ヘアゴムで纏めた髪を揺らす。生の実感を得た。


 

 ──母さん、今日で十連勤だな。何も連絡がないな。どうしたんだろう?


 スマホを覗く。


 恋人の久世仁くぜ ひとしから何件もメッセージが来ていた。

 

 受験会場で出逢い、腹痛に見舞われた実に、市販の鎮痛薬を渡したのが縁で付き合うことになった。付き合ってみると、本好きということで益々惹かれ合い、気付けば、共に文芸部に籍を置いていた。


会えん会えない?』


何しよん何やってんの?』


『書けた? 原稿』 


 仁も文学部志望である。 


 二人とも、何かしら小説に携わる仕事に就くことを希望している。


 実は、桜庭一樹さくらば かずき貫井徳郎ぬくい とくろうに惹かれていた。仁は、所謂耽美系である。


 嗜好の差異はあれど、文学に懸ける熱意は同じだった。


 ──そうだね、書かなきゃね。


『仁も書きよる書いてる?』


 二分後に既読がついた。


 ペンを握り、机に向かう。


 卓上灯のみが、実を見守る。


 ††† 

「で? まだ二冊戻ってこない、と?」「うん、図書室の本だよ!? 信じらんない!!」

 彼は呟く。

「誰も困らないんだろ。あんなの盗まれても」

「でも!!」

「俺たちもだよ」 

 私は、口をつぐむ。

「俺たちだって、誰かに盗られても捜してもらえねえよ」

「そんなぁ……そんなのって……ないよ……」

 私は泣き出してしまう。

 彼は、何もしてくれない。声もかけてくれない。

 †††

『盗られたもの』峯岸実


 ──誰が読むんだろう、こんな話。    

 

 ──流行りの異世界転生とか……駄目だ、こんな暗い話しか書けない。やな奴。


「あたしらやんじゃん


 実は呟く。


 ──誰にも見向きもされず、いなくなっても誰も困らない。生きているだけ。


 ◆◆◆◆


 団地の駐輪場に、仁はいた。


 ──合鍵ねえし、こんな時間だし。


 ──実、降りて来ないかな。


 缶コーヒーを啜りながら、そう考える。


 家を出る時に投げられたジッポーで、まだ肩が痛む。仁の父は、酔うと決まって虎になった。


 ──糞親父が。


 ──実、俺、作家向いてないわ。


 LINEの返信が打てない。指が、死んだように硬直している。


 ──死んでるのかもな、吸血鬼みたいに。


 人の力で、缶を握る。スチール缶は潰れなかった。


 ──ただの人か、これじゃ親父あいつを殺せない……、何考えてんだ? 俺。


 帰り際、道端の回収ボックスに、空き缶を放り込んだ。


 2──早朝 団地・学校


 壁のような山の端から射す薄い光が、もやのかかった街を、ゆっくりと照らし始める。


 湿った空気に包まれ、どこか遠くから鳥の声が響く。


 川面には朝霧が漂い、流れの音が静かに耳に届く、かつての天領(江戸幕府の直轄地)。


 母淳子じゅんこは、仁と入れ違いになって団地に辿りついた。

 

 顔の浮腫がひどい。


「ごめん実! 朝、カップ麺で何とか……ね、寝かして寝かせて


「うん、ゆっくり休んで。ありがと、母さん」


「ごめん……弁当も、はいこれ」 


 小遣いを渡し、母は、夜明け前の部屋で眠りにつく。


 ◆◆◆◆


 夜が明けた。


 朝の光が、机の上の埃を静かに照らしている。


 ──私の輪郭も、埃と同じように、誰の目にも映らない。消えても、誰も気づかない。この世界の隅で、私の人生はただ、埃のように堆積するだけだ。


 実は、カップ麺を啜り、身支度を整えると、家を出る。


 ──起こしちゃ駄目だな。


 静かにドアを閉め、鍵をかける。


 あとには、寝息を立てる淳子と、甘酸っぱい香りが残った。


 ◆◆◆◆


 通学路で実と仁は落ち合う。


 ──LINEの返信、来なかったね、仁。


 会話はない。


   文章は達者だが、思いを口にするのは不得手な、不器用な二人だ。 


 好きなものにのめり込む余り、周りが見えず、他人とすれ違うことも多い。実は、特に幼少からその傾向があった。言いたいことが口から出ない。 


 ──仁、私ね、仁に黙ってることがあるの。 

 ──一緒にいるのに、星みたいに離れてるんだね、私たち。 

 

 ──何万光年、隔たってるんだろう?


 昇降口まで来た。


 漸く仁が口を開く。


「──書いた?」


書きよるまだ途中


 上履きに履き替える。


 二人とも特待生だ。


「なんで×高ここ来たんやっけだっけ


「お金出るけんやろからでしょ


 ──父親あいつが、逃げたせいで。


 ◆◆◆◆


 教室の扉を開けると、喧騒が止む。


 教室の中が、通夜の席に変貌する。


 二人は、離れた席に座る。


 実の机に、造花の入った花瓶が置いてある。


 実は、それを黙って片付ける。


 教室のそこかしこから、囁きが耳に届く。


「へへっ」


こんだ、だれねあれ今度のあれは、誰がやったの?」


「知ら~ん」


 ──作家志望は川にでも飛び込めって言うの? 


 ──もう、何回目か数えるのも飽きた。芸がないな。 


 ──リスカもオーバードーズもできない、自傷行為みたいに救われない話を書くしかないんだ、私は。


 ──自分の事くらい自分で救わなきゃ。


 実は、囀ずりを聞きながら造花を捨てる。


 教室の扉が開く。


「席着け~」


 3──放課後 文芸部部室


 ──掃除しなきゃ、埃舞ってるじゃない。


 黙って箒を持つ。


 仁が現れ、掃除に加勢する。


 ──訊かなきゃ、なんでLINE、既読スルーしたの?


 部室が清められ、漸く実が口を開く。


「ありがと」


「うん」


書きよるっちゃろ書いてるんだろ? どんなんどんな話?」


「──誰も救われん救われない話」


「──また……か」


 暫くして、顧問の浅上敦彦あさかみ あつひこがやって来た。


「部誌の原稿、読まして読ませて


「──まだ、草稿段階ですが」


「まぁまぁ、いいけん出しいいから出してよ、後で校正すりゃよかろうもんすればいいじゃん


 実は、原稿用紙の入った封筒を渡す。


「来年誰も来んかったら入部しなかったら廃部やなだな……せっかく峯岸も久世も、いい作品もん書くんにな書くのにね


 彼は、スケジュールアプリを睨みながら呟く。


「そう……ですね」


 ──こんな話しか書かない先輩なんて、誰だって嫌です、先生。


 仁は黙っている。


 ◆◆◆◆


 机上で、キーボードとペンの音だけがする。


 「久世」


 タイプ音が中断し、仁が顔を上げる。


 「はっ、はい」


 「悪い、外し……否、久世もおっちょけいなさい


 「…………?」


 「峯岸……なし言わんかね何で言わないんだ? 先生もなんかできんかっち思いよるんぞ何かできないかって思ってるんだからね


 ペンは止まることがない。


 「自分の問題は自分で何とかします」


 「君らはもうちょっと大人を頼りない頼りなさい……淫行教師ばかりやねえんやからなじゃないんだからね


 「…………その、すみません」


 再び、ペンとタイプ音だけが部屋を浮遊する。


 4──令和七年六月 図書館・団地


 中間試験が終わり、実も仁も勉強の片手間に、草稿のチェックに余念がない。


 二人も、付き合い始めは、普通のデートもした。 


 今は、図書館で無言で過ごしている。 


「貸し出しお願いします」


 利用者カードと、スタンプシートをカウンターに出す。


 グレーのジャケット姿の職員が、手続きをする。


 ──あと二つで、これも一杯だな。


 「返却期限は二週間です。ご利用、ありがとうございます」 


 「ありがとうございます」


 借りたのは、桜庭一樹の『少女を埋める』。


 仁は、貸し出し上限に達していた。


 図書館を出る。


好きやな好きだな、桜庭先生」「うん」


 ──これでも、女の子だからね。甘ったるい弾丸言葉が欲しいのよ。


「降る前に帰らなな帰らなきゃな


そうやねそうだね


 ◆◆◆◆


 団地の前に、救急車が停まっていた。    


 胸騒ぎがする。


 駆け出す実。


 果たして、担架の上には、淳子がいた。


「母さん!?」


「ご親族の方で……」


「むっ、娘です!!」

 

 その夜から、実は三日間欠席した。その間、借りた本には食指が向かなかった。


 ──こんな時に親の葬儀の話なんて、縁起でもない。


 5──令和七年七月 団地


 夏が来た。


 八時に帰宅すると、洗濯機を回す。夜の部屋に、駆動音だけが生活のBGMとして流れる。


 実は、自宅に届いた成績表を開封する。


 ──勉強できたって、何の役に立つんだろう? 母さん一人救えないのに。


 ──その上、あんな話しか書けない根暗女。


 大学病院にいる伯父の峯岸浩二こうじと、通話する。


『夏休みやろだろ? 淳子も会いてえっち言いよるぞ会いたがってるよ


「すみません、あと、あと少しなんよなんです。もう少し母さんのこと、看ちょってくれん看ててくれませんか?」


  ──我儘ばかり。とんだ親不孝娘だ。


いいちゃいいってことよみのはあいつん娘やけん実はあの男の娘だから書かずにはいられんのやろ?書かずにはいられないんだろう? おいさん伯父さんおるけん、安心しいるから、安心しなさい


「…………ごめん、やなこと訊く……あと、どれくらい?」


「秋まで……かんしれんかもしれない、それまでに完成するといいな、『盗られたもの』」


「覚悟はしちょくしておく……うん、秋までにはどげえかどうにかする」


 それきり無言になり、どちらともなく通話を切った。


 ──書こ。

 †††

 彼は、突然いなくなった。 

 図書室で、私は一人きりで過ごす。

 彼の母が、『借りっぱなしの本を見つけた』とだけ言って、図書室の本を持ってきた。 

 失くなっていた片方だ。

 栞が挟まれていた。

『何も変わらなかったろ?』と書かれていた。 

 私は、誰が盗ったのか分かった気がした。信じたくはなかった。 

 ──せっかく返ってきたのに、濡らしてはいけないな。

 †††

『盗られたもの』峯岸実


 6──令和七年八月 大学病院


 その夏、実は、一度だけ母の病室を見舞った。


「母さん、来たよ……具合どう?」


「実……ごめんね、遊びに行きたかろ行きたいでしょ?夏やす」

 

 人差し指を母の唇に当てる。全体に潤いが無い。


「浩二おいちゃん伯父さんは?」


「洗濯コーナー」


「そっか…………すぐ良うなるっちゃ良くなるって


やと良いなだと良いね


何か食べん何か食べない?」


しょっぱいもんじゃなけりゃな塩辛いものじゃなければ


「ごめん、もちっと早よ気付いちょりゃもっと早く気付いてれば


みののせいじゃねえわじゃないわ」 


 淳子の腎臓は、ほぼ機能停止していた。 移植も順番待ち、実の娘である実の腎臓も、適合しないことが判っている。


「O・ヘンリーの短編みたいやなだね


「母さん…………な、なん言いよん何言ってんの!! それに『最後の一葉』やったらだったら……」


そうやねそうね、それに時期が違うしね」


 実は、視線を落とした。 


 ──ごめんね、母さん。私のせいだ。 


 ──私の書くものは、私しか救ってくれない。 


 白い壁に、嗚咽が反響する。 


 淳子の手が、実の頬を拭った。


   ──弱ってるのはどっちだ?これじゃまるっきり逆だ。


 夏の終わりのことだ。


 〈後編に続く〉  


 


 参考図書『少女を埋める』桜庭一樹(著) 文藝春秋『O・ヘンリー短編集』O・ヘンリー(著) 講談社インターナショナル

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