物語の旅、ご案内します

季都英司

第1話:幻想旅行社と物語の旅

 本を開いたことはありますか?

 ええ、読むではなく開く、です。

 ある? ならばあなたはすでに旅人です。

 本とは旅、物語とは旅の軌跡。

 本を一冊手元にお持ちください。

 表紙を眺めて物語を想像したとき、そしてページをめくったとき、あなたの旅はもうはじまっているのです。


 おっと、申し遅れました。

 私は、幻想旅行社社員のストーリアと申します。

 あなたが旅を求めたとき、いつでも幻想旅行社の扉を開いてください。

 あなたにあった最高の旅、最高の一冊をお届けいたします。



不思議なチラシと旅行会社/

 『素敵な旅の物語、あなたにお届けします』


 そんなキャッチコピーが書かれたポスターが貼ってある。

 ありふれたような、少しファンタジーなような不思議な言葉。

 俺は今『幻想旅行社』という旅行会社の前に立っている。

 冷やかし半分で来たはずなのに、なぜかいざとなると緊張する。

 よし、と心を決めて、俺はドアを開けた。

「いらっしゃいませ!」

 元気な女性の声が聞こえた。制服を着たスタッフがカウンターの向こうから笑顔を向けている。

「チラシを見て、伺ってみたんですけど……」

「はい、どうぞこちらにおかけください」

 指し示された正面の椅子に腰掛ける。

「……あの、これに書かれてるの本当ですか? 『格安で最高の旅の物語が体験できます!』っていう、これ」

 ここに来た最大の理由はこれ。

 値段があまりにも安い。格安旅行ツアーなんてレベルじゃない。ガイドブック買ってるのと大差ない値段。

 怪しいなんてもんじゃないが、万が一こんな値段で旅行ができるなら話くらいは聞いてもいいのでは、なんて思ってしまったわけである。

「はい、もちろんです。最高の一冊をご案内させていただきます」

「……一冊?」

 スタッフのセリフを理解できず、馬鹿みたいに復唱してしまう。

「ええ、一冊」

 スタッフの笑顔はどこまでも曇り無い。

「……っと、あの。聞き間違えかもしれないけど、今一冊って言いましたか?」

「その通りです。幻想旅行社はお客様にあった素敵な本をご案内する、物語旅行の企画会社でございます。本を通じて、ご希望の旅を心ゆくまで体験いただけます」

「あー……、本ね。そういうこと」

 一気に力が抜けた。こう言うオチか。

 そりゃそうだ。こんな値段で旅行なんてできるわけなかった。実際交通費にもならないような価格設定だ。

 ガイドブックって印象は、当たらずといえど遠からずだったわけか。

「そうですよね。こんな値段ですもんね」

 ため息とともにそんな言葉を返すのが精一杯だった。



物語の旅、おすすめします/

「お恥ずかしながら、この値段で旅行ができるのかと勘違いしてまして。失礼します」

 そういって、俺は立ち上がろうとした。旅行はしたいが、旅の本とやらに興味は無い。

 その俺をスタッフが手で制した。

「せっかくだから、少しお時間いただけませんか? あなたにあった最高の旅の本をご案内いたしますよ。それにほら、気に入らなければお帰りいただいて問題ありませんし、気に入ってもらえれば素敵な時間をお約束いたします。その場合でもお値段は、本一冊のお値段と手数料のみですからね」

 にっこりと笑ってスタッフが言う。

 少し考えて、俺はもう一度すわりなおした。

 自信たっぷりな言葉に気圧されたのもあるが、たしかに話を聞いても損は無いかと思いなおしたのもあった。


「さて、それではお客様の旅のご希望について、伺っていきます」

「本の紹介なんですよね?」

「ええ、私どもが提供したいのは、本からの旅の経験でございます。本当に旅行をするのだという気持ちで臨んでいただければ」

「はあ、そうですか……」

 いまいちぴんとはこなかったが、付き合うことにする。

「まず旅先のご希望は?」

「そうだな……、どうせなら海外かな。自然たっぷりの広い土地、できれば海辺がいいな。景色が美しくていつまでも見ていたくなるような、そんな海のあるところ」

「なるほど、素敵ですね」

 スタッフが手元のタブレット端末に書き込んでいる。

「街のご希望はございますか? 具体的なイメージがあれば、反映いたします」

「うーん、詳しくないからわからないけど、あんまり田舎じゃない方がいいかな。陳腐なイメージで悪いけど、豪華なホテルはあって人の少ないリゾートビーチみたいなやつ」

「承知いたしました。では体験のご希望はございますか? たとえば、ダイビングやジェットスキー、ビーチでBBQなどもご用意できますが」

「いや、そういうアクティブなのはいらないかな。俺は静かなのが好きでね。なんなら、一日中波の音を聞きながら海を眺めてたっていい。……ああ、そうだ。砂浜にテーブルとビーチチェアを置いて、酒とオードブルを横にゆっくりするのはいいな。たまに音楽なんかもかけて雰囲気出したりしてさ」

 俺も乗ってきた。

 うん、なんとも本格的な旅行相談になってきたじゃないか。

 これは本を紹介するためのヒアリング、と言うことを忘れそうになる。

「承知いたしました。ご用意させていただきます」

「本なんだよね? そんな都合のいい話があるの?」

 あまりにもポンポンと受けていくので、さすがに不安になった。

「もちろんです。本も物語も世界には数多ございます。お気になさらず希望をお伝えください」

「まあ、そういうことならいいんだけど」

「さて、最後の質問になります。お客様はどんな思い出や気持ちを、この旅に希望なされますか?」

「思い出や、気持ち……?」

 この質問は少し毛色が違うように感じた。

「はい、場所や体験も重要ですが、その旅でお客様がどんな感情をもち、どんな意味のある旅にしたいのか、そちらを伺いたいと思っています。これは物語の旅を案内する私どもならではの質問かもしれませんね」

「気持ちとか思い出……」

 そう言われて俺は少し考え込んだ。旅に俺が求める物は何だろう。単純な楽しさか、旅先での偶然の出会いか、それとも日常からの解放か……。

 少し悩んだ後、俺はこう答えた。

「そうだな。いつもと違う旅先で、いつもと違う体験をするんだけど、それもやっぱりその場所の日常で、俺はそこでも日常を過ごしたんだなって、そんな気持ちになるような旅を求めてる気がする」

 ここで初めてスタッフが考え込んだ。少し思いのままに言い過ぎたかもしれない。

「すみません、ちょっと無茶言ったかも」

「……いえ、面白いお答えだったので感服しておりました。旅は日常。確かにそう言う考え方もあると思います。うん、素敵です」

 スタッフは何度もうなずいている。

「以上となります。いただいた情報から最高の旅を選定して参ります。しばらくお待ちいただけますでしょうか」

 そう言って、スタッフはいなくなってしまった。

 しかし、不思議な旅行会社だ。

 というか、本を紹介するんだから、本屋か? さておき、期待していた物とは違ったが、面白くなってきたと感じていた。

 俺の求める旅にあった本。本当にそんな物があるんだろうか?

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