第10話『途切れたフィルム』
―記録されなかった時間にも、想いは残る―
夏の風が、写真館のカーテンを軽く揺らしていた。
高天原市の旧商店街、その外れにぽつんと残る古い看板建築の店。
かつて「写真工房たかまど」と呼ばれたこの店は、今は営業をやめ、倉庫のように道具が積まれていた。
そこに訪れたのは、宮本遥と、写真部の先輩・三輪結人だった。
文化祭のアーカイブ展示に、地元の古い写真を借りるため、地元協力の一環で足を運んだのだ。
「うわ……ここ、まるで時間が止まってるね」
結人が感嘆する。
フィルムリール、現像タンク、露光器。ひとつひとつが埃をかぶり、けれど不思議な“息づかい”を保っていた。
遥が棚の奥で、ひとつの小箱を見つけた。
中には、使用済みと思しきカメラフィルムが一本、丁寧に巻かれて入っていた。
白いラベルに「2003年・家族行事」とだけ書かれている。
「これ……現像されてない?」
フィルムの保管状態を確認しながら、遥はKOTOHAを起動する。
センサーをかざすと、フィルムからゆっくりと音が滲み出す。
――写した。確かに写した。
――でも、見せてもらえなかった。
――あの日の笑い声、ちゃんとここにあるのに。
その声は、焦がれるような切実さと、少しの悔しさを帯びていた。
遥は店主の息子である老人・高窓誠一に話を聞いた。
「このフィルム、現像されてないみたいなんです。覚えていますか?」
老人は目を細め、手にとったフィルムをじっと見つめた。
「……ああ、思い出した。これは、私の妻が撮ったものだ。たぶん……私と娘、それから孫の三人で海に行った日だ。妻は病床だったが、どうしても最後に家族の写真を残したいって……」
「でも、どうして現像されなかったんですか?」
「妻が亡くなって……それから、見るのが怖くなってね。
あのときの笑顔が、永遠になってしまう気がして。閉じ込めたままだったよ」
その声には、確かに“何か”を止めてしまった人間の悲しみがあった。
けれど、遥には分かっていた。
このフィルムは、ずっと“思い出してもらう日”を待っていたのだ。
その夜、写真部の協力で急遽、フィルムの現像作業が始まった。
作業室に広がる薬品の匂いと、赤い安全灯の中。
露光された写真たちは、ゆっくりと水の中から浮かび上がってくる。
小さな海岸。砂浜の上で笑う家族三人。
手を振る祖母の姿。
浮き輪を抱えた幼い少女と、彼女を支える父親。
どの写真も、穏やかな風景と、家族の光をたたえていた。
遥は、できあがった写真の一枚を封筒に入れ、翌朝、写真館の扉をそっと叩いた。
老人が手にしたその一枚を見て、息を飲んだ。
「……妻が、最後に撮ってくれた写真だ」
彼の目に、涙が浮かぶ。
そして、その声に応えるように、KOTOHAが再生する。
――写してくれて、ありがとう。
――ようやく、見せてもらえた。
――これで、ちゃんと“記憶”になれた。
それは、閉じ込められたままだった光景が、時間の外に放たれた瞬間だった。
後日、文化祭の写真展の一角に、その写真とフィルムは「家族の記憶」と題して展示された。
その横には、来場者が自分の家族に向けたメッセージを貼れるスペースが設けられた。
“久しぶりに会いたくなった”
“ありがとうを言えないままだった”
“また一緒に写真を撮りたい”
そんな言葉たちが、静かに、優しく、壁を埋めていった。
KOTOHAが、最後に記録を読み上げた。
フィルム:35mmカラーネガ、未現像期間22年。状態:記憶再現成功。
最終出力:「忘れられていたわけじゃなかった。待ってて、よかった」
遥はふと思った。
“記憶”とは、思い出す人がいて、初めて完成するものなのかもしれない。
どんなに途切れていたとしても。
誰かの声が、それを繋ぎ直す。
そして、また新しい物語が始まる。
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