女神様、このスキル強すぎませんか? ~構造解析で無双します~

現代都丸

【第一話】 こんな筈じゃなかった 俺にはまだ・・・

その日、俺こと海斗(カイト)は、薄暗いオフィスでいつものようにモニターと睨めっこをしていた。構造解析ソフトが映し出す複雑な数値と図形は、もはや見慣れた風景だ。橋梁の耐久計算、超高層ビルの振動解析、そして最近では、老朽化が進む地方インフラの崩落リスク評価。人々の安全を陰で支える仕事。そのはずだった。


数日前、俺が心血を注いで完成させた、とある老朽トンネルの補修計画案が、あっさりと上層部に却下された。「コストが見合わない」「前例がない」。そんな言葉と共に差し戻された書類の束は、ずしりと重く、俺の心にのしかかった。経験則を絶対視する現場のベテランからは、「机上の空論だ」と鼻で笑われた。


データに基づいた俺の提案は、いつも現実の壁に阻まれる。完璧な解析こそが正義だと信じようとしても、その正義はあまりにも無力だった。いつしか俺は、自分の意見を声高に主張することを諦め、ただ黙々とデータを積み上げるだけの、感情のない機械のようになっていた。


心の奥底では、もっと直接的に誰かの役に立ちたい、自分の知識と技術で笑顔を生み出したいと、熱い何かが燻っていたというのに。


そんな鬱屈とした想いを抱えたまま、俺は長年勤めた建設コンサルタント会社からようやく取得できた休暇を利用し、奥深い山での単独行に挑んでいた。

新緑が目に染みる稜線を一歩一歩踏みしめるたび、都会の喧騒と無力感が洗い流されていくようだ。澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込むと、わずかに肺が震え、生きている実感があふれ出す。これ以上の解放感があるだろうか。


――ゴゴゴゴゴ……ッ!


思考が途切れるほどの地鳴りが、足元から突き上げてきた。全身の血が逆流するような悪寒が走る。見上げた先、尾根の斜面が、まるで巨大な獣が身じろぎするように蠢き、木々が悲鳴を上げるように傾いでいくのが見えた。




(まずい……土砂崩れか!)




咄嗟に身を翻そうとしたが、遅かった。次の瞬間には立っていることさえできず、濁流のような土砂に飲み込まれていた。強烈な圧迫感と、肺から空気が絞り出される苦しみ。手足を必死にもがくが、自然の圧倒的な力の前には、あまりにも無力だった。脳裏をよぎったのは、結局何も変えられなかった自分への後悔と、まだやり残したことがあるという切ない叫びだった。そして、強烈な衝撃と共に、俺の意識は闇に沈んだ。




次に目を開けた時、俺は柔らかな光に満たされた、静謐な空間にいた。温かく、そしてどこか懐かしい感覚に包まれている。目の前には、言葉を失うほど神々しい美しさを湛えた女性が、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。その瞳は深く澄んでいて、俺の心の奥底まで見透かしているようだった。女神、と直感した。




「海斗さん。あなたの現世での歩みは、残念ながら先ほど終わりを告げました」




その言葉は、不思議なほど穏やかに胸に染み込んだ。あの土砂の中で、助かる道はなかっただろう。だが、悔しさがないわけではなかった。もっと、誰かのためにできることがあったはずだ。




「あなたの魂は、誠実で、強い探究心と、人々を支えたいという揺るぎない意志に輝いています。しかし……その能力を完全に発揮できず、過去の僅かな、けれどあなたにとっては大きな過ちを、深く悔いていることも、私には分かります」




女神の言葉は、俺自身も気づかぬうちに蓋をしていた心の傷に、優しく触れるようだった。そうだ。俺は、もっと自分の知識や技術で、直接的に誰かの役に立ちたかった。そして、その成果を、胸を張って伝えたかったのだ。机上の空論ではない、確かな手応えを求めていた。




「そこで、あなたに新たな世界で、二度目の生を歩む機会を差し上げたいのです。あなたの知識と経験、そしてこの力を合わせれば、きっと多くの困難を打ち破り、今度こそ、人々と真の喜びを分かち合えるでしょう」




女神がそっと俺の額に指を触れると、温かい光と共に、膨大な情報と、一つの特別な力が脳裏に流れ込んでくるのを感じた。それはまるで、複雑なパズルが一瞬で組み上がるような、鮮烈な感覚だった。




《万物構造解析スキルを授与されました。対象の構造、組成、弱点、最適な利用法などを瞬時に理解する力です》




「その力で、新たな世界を生き抜き、多くの未来を築いてください。……それでは、カイト。あなたの新しい人生に、輝かしい祝福がありますように」




女神の優しい声に見送られ、俺の意識は再び柔らかな闇へと溶けていった。希望と、ほんの少しの不安を抱きながら。




次に意識が覚醒した時、俺は湿った土の匂いと、木々の葉擦れの音、そして小鳥のさえずりに包まれていた。見慣れぬ巨木が生い茂る、深い森の中。身体は……動く。しかも、前世の疲れ切った二十代後半の身体ではなく、エネルギーに満ち溢れた十代後半ほどに若返っているようだ。着ているのは、登山用のウェアのままだが、破れ一つない。




(ここが……異世界。本当に、新しい人生が始まったのか……?)




状況を把握しようと周囲を見渡すが、どこまでも続く森、森、森。陽光が木々の隙間から差し込み、キラキラと光の筋を描いている。幸い、女神の配慮か、言葉の壁はないようだが、体力も戦闘能力も、前世と変わらず、お世辞にも高いとは言えない。下手に動き回るのは危険だろう。まずは冷静に状況を分析しなければ。




グルルルル……!




突如、低い唸り声が茂みの奥から聞こえ、空気が震えた。緊張が全身を貫く。茂みが激しく揺れ、現れたのは、狼に似ているが遥かに大きく、鋭い牙を剥き出しにした黒い獣だった。その両目は、飢えたような赤い光を宿し、爛々と輝いている。涎が牙から滴り落ち、明確な殺意がこちらに向けられているのが肌で感じられた。




(まずい……!いきなりクライマックスかよ!)




逃げようにも、恐怖で足が縫い付けられたように動かない。心臓が早鐘のように鳴り響き、冷や汗が背中を伝う。獣は地を蹴り、猛然とこちらへ飛びかかってきた。その巨体と鋭い爪がスローモーションのように迫ってくる。もはやこれまでか、と固く目を閉じたその時。




《対象:魔狼(シャドウハウル)》


《筋繊維構造:通常の狼の2.3倍の密度。瞬発力と膂力に優れる》


《骨格構造:特に顎と四肢の骨が異常に発達。強靭な噛み砕き能力と跳躍力を有する》


《弱点:右前脚の古い裂傷痕。治癒はしているものの、深部組織に僅かな瘢痕化を認む。全力疾走時及び急制動時に、瞬間的な筋出力低下の可能性あり。確率15%》


《脆弱箇所:頸椎と頭蓋骨の接合部。複雑な神経網が集中する一方、骨格構造上の衝撃吸収能力は比較的低い。特定角度からの強打により、致命傷に至る可能性大》




頭の中に、まるで精密な3Dモデルと詳細なレポートが融合したかのように、獣の内部構造と特性に関する情報が鮮明に流れ込んできた。これが、女神がくれた「万物構造解析」スキル! これは、単なるデータじゃない。生き残るための、そして未来を切り開くための「知識」だ!




「右前脚!古傷がある!そこを狙えば一瞬動きが鈍るはずだ!」




気づけば俺は叫んでいた。恐怖よりも、目の前の危機を打開したいという強い想いが、俺を突き動かした。その声に反応したのは、俺ではなく、獣の背後から風のように現れた一人の青年だった。




「なにっ!?」




青年は驚きに目を見開いたが、その動きに一切の淀みはなかった。まるで踊るようにしなやかな動きで魔狼の鋭い爪をかわし、俺が叫んだ通り、獣の右前脚を狙って腰の剣を閃かせた。剣閃が陽光を反射し、美しい弧を描く。




ギャウンッ!




獣は甲高い悲鳴を上げ、体勢を大きく崩した。右前脚を押さえ、苦痛に顔を歪めている。やはり、古傷が影響したんだ!青年は即座に追撃の構えを取る。好機は一瞬!




「首だ!頭蓋骨との付け根が構造的に脆い!そこを突け!」




俺の二度目の叫び。青年は一瞬の逡巡も見せず、体勢を崩した魔狼の首筋、俺がスキルで特定したピンポイントの急所へ、渾身の力を込めて剣を突き立てた。剣が肉を断つ鈍い音が、やけにクリアに聞こえた。




グゥ……。




魔狼は断末魔の声を上げることなく、巨体をゆっくりと横たえ、やがて動かなくなった。森に静寂が戻る。




ぜぇ……はぁ……。助かった……のか? 安堵と共に、全身の力が抜けそうになる。




「あんた、大丈夫か?見かけねえ顔だが……今の、一体どうやったんだ?」




助けてくれたのは、年の頃二十歳そこそこといった、精悍な顔つきの青年だった。使い込まれた革の服をまとい、背には大きな弓を背負っている。その真摯な瞳には、警戒と共に、抑えきれない強い好奇の色が浮かんでいた。彼の額には汗が光り、息は少し上がっているが、その立ち姿は揺るぎない強さを感じさせた。




俺は、この青年――レオンと名乗った――に、自分が記憶を失っており(これは咄嗟についた嘘だが、完全に嘘というわけでもないのかもしれない)、気が付いたらこの森に倒れていたこと、そして、時折、物の弱点のようなものが見えることがある、とだけ説明した。レオンは訝しげな表情を崩さなかったが、俺が魔獣討伐のきっかけを作ったことは事実であり、ひとまず俺を保護し、彼が住むという「セレネ村」へ案内してくれることになった。彼の言葉の端々から、俺の言葉を鵜呑みにはしていないものの、何かを感じ取っているような雰囲気が伝わってきた。




セレネ村は、険しい山道を抜けた先、夕陽に染まる谷間に寄り添うようにして存在していた。しかし、その風景は、厳しい自然環境と人々の苦労を雄弁に物語っていた。家々は古び、風雨に晒された壁には痛々しい補修の跡が無数に見える。畑は小さく、痩せた土地に植えられた作物の育ちも芳しくない。村の中を流れる小川はか細く、生活用水の確保も容易ではないことが窺えた。そして何より、村人たちの顔には深い疲労の色が刻まれ、すれ違う子どもたちにさえ、心からの笑顔は見られなかった。夕餉の支度なのだろうか、いくつかの家からは煙が立ち上っていたが、そこに温かい団欒の気配は感じられなかった。




「……見ての通り、何もない貧しい村だ。今年は特に雨が多くて、土砂崩れの心配も尽きねえ。食い物も、蓄えも、いつもギリギリで……正直、いつまで持つか……」




レオンの声には、諦めにも似た、そして絞り出すような苦悩の響きがあった。彼にはリリアという年の離れた妹がいるという。その妹の未来を思うと、彼の胸は張り裂けそうになるのだろう。その横顔に、俺はかつての自分を重ねていた。無力感に苛まれ、何も変えられないと諦めかけていた自分を。




村の集会所のような一番大きな建物で、俺は村の長老と引き合わされた。深い皺の刻まれた顔には、長年の苦労と、村を守り続けてきたという誇りが滲み出ている。俺は意を決して、自分の能力の一端――物の構造や状態がある程度分かるといった、できるだけ穏便な表現に留めて――を明かし、村の土壌や水源、そして家屋の安全性を解析させてほしいと申し出た。この村を、この人たちを、俺の力で助けたい。前世では叶えられなかった想いが、今、俺の胸を熱く焦がしていた。




「構造解析……じゃと? そんな摩訶不思議な力で、この村の何が分かると言うんじゃ? 若造の戯言に付き合っておる暇など、我々にはないわ」




長老は、枯れた声で鋭く問い返す。その言葉には、長年外部の助けもなく、自分たちの力だけで生きてきた者の矜持と、同時に、新たなものへの警戒心が感じられた。周囲に集まった村人たちも、不安と不信の入り混じった視線を俺に向けていた。無理もない。突然現れた見知らぬ男が、訳の分からないことを言っているのだから。




「長老、お待ちください! こいつのおかげで、俺はあのシャドウハウルを仕留めることができたんです! 俺にはよく分かりませんが、何か、俺たちには計り知れない力を持っているのかもしれません!」




レオンが、俺の言葉を力強く後押ししてくれた。彼の真剣な眼差しが、長老の心をわずかに揺さぶったように見えた。俺も必死に言葉を繋ぐ。




「確かなことは言えません。でも、問題の原因が分かれば、解決の糸口が見つかるかもしれません。どうか、どうか試させてください! 俺は、この村の役に立ちたいんです! このまま、皆さんが苦しんでいるのを見過ごすことはできません!」




俺の切実な眼差しと、レオンの揺るぎない信頼、そして何より、万策尽きた村の現状が、長老の固く閉ざされた心を、ほんの少しだけ動かしたようだった。長老は深くため息をつき、じっと俺の目を見つめた。




「……分かった。お主の好きにするがよい。じゃが、あまり期待はするでないぞ。もし、我らを誑かすような真似をすれば……分かっておろうな?」




その言葉には重圧があったが、同時に、わずかな希望も感じられた。許可は得た。俺は早速、レオンと、彼の妹だというリリア――不安そうに兄の服の裾を握りしめている、大きな瞳が印象的な少女だった――に案内され、村の畑、水源である小川や古井戸、そして特に老朽化の進んだ家屋を見て回り、解析を開始した。リリアは最初こそ俺を警戒していたが、俺が真剣に村の様子を観察し、時折レオンに専門的な質問(もちろん異世界では通じないので、分かりやすい言葉に置き換えて)をするうちに、少しずつ緊張が解けていくのが分かった。




《対象:セレネ村西地区農耕土壌。構成物質解析開始……粘土質土壌、有機物含有量著しく低、pH5.2(酸性傾向)、特定ミネラル(リン酸、カリウム)の欠乏を確認。排水性不良……これは、作物が育ちにくい典型的なパターンだ。土壌改良には、有機物の投入と、酸度調整が必要だな。排水性を上げるには暗渠排水か……いや、もっと簡易的な方法があるはずだ》




《対象:旧共同井戸。内部構造解析……側壁の一部に亀裂、底部に土砂堆積。取水効率低下の原因はこれか。亀裂の補修と、底部の浚渫が必要だ。ただ、この亀裂、放置すればいずれ崩落の危険性も……》




《対象:A家屋。木材腐食進行度75%。主要構造材(梁・柱)の強度低下著しく、小規模な地震や強風で倒壊の危険性あり……これは危険すぎる。すぐに補強か、あるいは建て替えを検討しないと。でも、資材も人手もないだろうし……どうすれば》




(これは……思った以上に、村の生活基盤は脆く、危険と隣り合わせだ)




広範囲の地質調査や、複雑な建造物の精密解析には時間がかかる。そして、この「万物構造解析スキル」は、思った以上に魔素、いや、この世界で言うところの何らかのエネルギーを消費するようだ。解析に集中すると、他のことは何も考えられなくなるほど消耗する。まるで、前世で徹夜で構造計算モデルを組んでいた時のようだ。だが、あの頃と決定的に違うのは、俺の胸の中に確かな目的意識と、そして「誰かを助けたい」という、熱く燃えるような衝動があることだった。目の前で困っている人たちがいる。俺の知識とスキルが、彼らの助けになるかもしれない。その可能性が、俺を突き動かしていた。




数日間にわたる徹底的な解析と、前世の土木・建築工学の知識との照らし合わせの末、俺はこのセレネ村が抱える構造的な問題を解決するための、具体的な改善計画をまとめ上げた。それは、完璧ではないかもしれない。でも、今の俺にできる、全力の提案だった。




これが、俺の異世界における、最初の「挑戦」の始まりだった。そして、それはかつて諦めかけた「誰かの役に立ちたい」という想いを実現するための、小さな、しかし確かな一歩でもあった。計画書を握りしめる俺の手に、自然と力が入った。村人たちの顔に、いつか笑顔が戻る日を信じて。

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