想う

立花 岬

第1話

生を好まない貴方にそれを望むのは酷な事だろうか。


仕事部屋で黙々と作業をしている幼馴染の姿をぼんやりと眺める。

普段はドアを閉めていることが多いが、時々こうしてドアを開けたまま作業をしている事がある。


作業を始めてから2時間近く経っただろうか。


「椿、何か飲む?」

「……いらない」


そう言う椿の声は少し掠れ、疲れているようだった。

これは少し休憩させた方がいいかと思い立ち上がる。


「私は紅茶飲むけど」

「……じゃあ飲もうかな」


自分は特に紅茶が飲みたかったわけではないが、こう言えば椿も飲む気になると思った。


15年近く一緒にいて、大学生になってから今日まで約3年間は一緒に暮らしているのだ。

行き詰まっている幼馴染の雰囲気も、そんな幼馴染を休憩させる方法も、ある程度分かっている。


お湯を沸かし始めた音が聞こえたのだろう。

ようやく作業部屋から出て来たが、その足取りは重そうだ。


作業部屋にいる間椿の背に隠れていた作品をちらりと見る。

キャンバスには鉛筆で描かれた沢山の線。

完成したらどうなるのか、想像することは難しい。


「最近ダメだ。何も思いつかないしやる気も出ない」


私には具体的なアドバイスをする知識も無いし、人のやる気を引き出せるような力も無い。

こういうときは真面目に話を聞きつつなんとなく相槌を打って、多くは語らないのが意外と良いのだ。


「スランプ?」

「どうだろうね。こんなもんだよ」


ああ疲れた、と言いながら窓の外を眺める椿。

目の下にはうっすらクマがある。

最近よく眠れていないと言っていた。


眠そうな目で、ただぼんやりしている。

何かを見ているようで、何も見ていないような目。


今椿は何を考えているのだろうか。

見えている世界はどんなものなのだろうか。


あの目をしているときの椿は、どこか遠い世界にいるように感じる。


お湯が沸いたので2人分の紅茶を持ち、椿の向かいに座る。


テーブルにコップを置く音でようやく椿はこちらに目を向ける。


「ありがとう」

「いいえ。あ、クッキー食べる?」

「どっちでもいいかな」

「じゃあ食べよう」


美味しいものは食べてもらおう。

15時を過ぎて、おやつを食べるのにちょうどいい時間だ。


「後で買い物行くけど椿はどうする?作業する?」

「うん、そうする。今結構ピンチでさ。イラストの依頼もあるんだよね」


椿はSNSで自身が描いたイラストを投稿したり、「アイコンを描いてほしい」などの依頼を受けたりもしている。


椿の作品はアナログからデジタルまで幅広い。

まるで写真のような風景を描くときもあれば、アニメのキャラクターのようなイラストを描くときもある。

私には到底理解できないような、抽象的な絵を描くときもある。


圧倒的な才能と、それを腐らせない努力を重ねてきた椿。

そんな彼女が見ている世界はとても美しく、同時に色褪せたものなのだろう。


「晩ご飯何がいい?」

「うーん……特に思いつかないな」

「米か麺どっちがいい?」

「……麺」


4月になって暖かくなってきたが、夜はまだ肌寒い。

先日有名なうどんのお店の再現レシピを見つけたから、それを作ってみよう。


「作業戻るわ」


椿はコップに半分以上残った紅茶を持って、再び作業部屋に入っていった。


キャンバスの前に座り、しばらくそれを眺めたまま動かない。

鉛筆を持って描き始めると思いきや、ピタリと手を止めて頭を抱え、大きなため息をつく。


静かな空間で自分がクッキーを食べる音がうるさく感じる。

残りの1枚を口に放り込み、できるだけ音を立てないように噛んで飲み込む。


紅茶は少しぬるくなってしまった。

これ以上ぬるくなるのが嫌で、一気に飲み干す。


「じゃあ買い物行ってくるね」


ん、と一言返事が聞こえた。


スマホ、財布、エコバッグという最低限の荷物を持って玄関のドアを開けた。


「あ、晴ー!」


1歩外に出たところで、作業部屋から椿の声が聞こえた。

振り返ると作業部屋から椿が顔だけ出していた。


「何ー?」

「来週晴の誕生日じゃん。美味しいご飯食べに行こうね。お祝いしよう」


さっきまで行き詰まって疲れていた人間とは思えないような穏やかな表情で言って、こちらの返事を待たずに作業部屋に戻ってしまった。


かろうじて「ありがとう」とだけ言って家を出た。


そうだ。あの人はそういう人だ。

自分のことに無頓着で、時々消えてしまいそうな雰囲気で、そして本当に消えてしまいたいと思っていることを私は知っている。


それなのに、私の誕生日にお祝いしようと言ってくれる。


その優しさを自分自身にも向けてほしいと、何度思ったことか。


なんとも言えない虚しさを抱え、近所のスーパーへ向かう。


今日は気合を入れてご飯の準備をしよう。

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