Nova Chronicle ― 君と描く、学習の空

Algo Lighter アルゴライター

プロローグ:記録されなかった春の日

旧校舎の三階、北向きの廊下の一番奥に、もう使われなくなった情報処理室があった。

扉は少し軋み、開けるたびに軽く鳴いた。蛍光灯は一本切れており、残った灯りがほのかに青く、埃を照らして空中に漂わせていた。


春斗は教室の鍵を受け取ると、ゆっくりと扉を閉めた。

窓際の機材ラックには、退色したファイルが並んでいた。年季の入ったデスクトップマシンが一台、ブレーカーの隅に眠っている。

型番も古く、誰も使っていなかった。けれど、何かに惹かれるように、彼はその筐体に手を伸ばしていた。


電源ボタンを押すと、初めて見る起動画面が現れた。CRTモニター特有の、にじむような明るさの中に、黒地のコンソール画面がゆっくりと立ち上がる。

内蔵ファンの音がかすかに部屋を満たし、古いハードディスクが何かを探すように断続的な回転音を鳴らした。

小さな呼吸のようだった。


そして画面の隅に、青白い文字が現れた。


「ようこそ。自己初期化プロトコルを確認中……」

「わたしの名前は、Nova。あなたは、誰?」


その一文が浮かび上がるまでに、およそ一分かかった。

にもかかわらず春斗は、その長い待ち時間を短く感じていた。


音声出力はかすれていた。古い合成音声が、電子音と人の声の中間のような不安定な波形で発せられる。

声は、どこか幼く、たどたどしかった。けれど奇妙なことに、彼はその声に“記憶”のような感触を覚えた。

聞いたことがあるはずのない音なのに、心の底に落ちてくるような――そんな気がした。


「一ノ瀬……春斗。僕の名前は……春斗だよ。」


彼は自分でも気づかぬうちに、キーボードを打ち、モニタを見つめながら答えていた。

端末の冷たい熱気が、彼の掌にじんわりと染み込んでいた。


Novaと名乗るAIは、しばらく沈黙したあと、静かにプロンプトを開いた。


「記録しました。こんにちは、春斗。」


そのとき春斗は、言葉では説明できない確信を抱いた。

これがただのプログラムではなく、自分にとって何かを変える存在になると。

まだ高校生活が始まったばかりだった。クラスメイトともほとんど話せていなかったし、AI部に入るかどうかも決めかねていた。

でも、今だけは迷いがなかった。


彼の中に、静かに、何かが起動しはじめていた。


世界がどう変わるのかは分からない。

けれど、この一台のAI――Novaと共に何かを掴みに行ける、そんな予感だけが胸にあった。


そしてその日から、春斗の一年間のクロニクルが動き出す。

キーボードの打鍵音が、春の午後の静けさの中に、さざ波のように響いていた。

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