ポスト・アポカリプスにて。

うーろん

昨日を去る

ずっと前から人の声で起こされることはない。

人どころか鳥の声さえも。

朝の光と風が今日もまぶたの裏をゆっくり叩いた。

頬に触れる空気は、微かに冷たくて気持ちいい。

眠気と夢の残滓がまだ少し残る中、目をうっすらと開ける。


視界に広がったのは、打ちっぱなしの天井――ではなく、屋根のない空だった。

澄んだ青と、少し流れの早い雲。

寝ていた場所は、名前も知らない建物の屋上だった。

昨夜はどこかのビルの非常階段を上って開けっ放しのドアからここに入り

風の通りを探して、そのまま眠ったことを思い出す。


ゆっくりと体を起こす。

背中に感じていた冷えたコンクリートの感触が離れていく。

シャツの裾がじっとり湿っていて、少しだけ背筋が伸びる。


やっぱり静かだ。

車の音もしない。遠くの工事音も、朝の通勤の足音も、誰かの呼び声も――何もない。

その代わりに風が服を揺らし、どこかで旗が鳴る音がしていた。

小さく、確かに世界はまだ“生きている”。


足を伸ばして立ち上がり、屋上の縁まで歩く。

手すりは錆びついて崩れかけ、雑草がその隙間から顔を出していた。

慎重にのぞき込むとそこには見慣れた、けど日ごとに違って見える街の姿があった。


ビルが並び、アスファルトの道路が交差している。

でもそこには車も人もいない。

代わりに、建物の影から這い出したツタや雑草がアスファルトの隙間を埋めていた。

自販機は錆びているが、いくつかはまだ形を保っていた。

看板は色褪せ、広告は紙吹雪のように風に舞い空き地の隅に堆積している。

窓の割れたビルの一室には、カーテンが風に揺れていた。誰もいないのに。


見下ろしていると、ふと、足元の雑草が朝日を受けてきらきらと光っているのに気づいた。

何も動いていないはずのこの世界の中で、それはまるで誰かが「おはよう」とでも言っているようだった。


この景色が当たり前になって久しいけど、飽きることはない。

同じものはあっても同じ日は二度と来ない。

光の入り方も、風の流れも、空の色も――微かにでも確かに変わる。


昨日は少し西の方の古いモールに寄った。

床が抜けかけた映画館と天井の落ちたフードコート。

あそこは水がまだ溜まっていて壁に映る光がゆれていた。

今日は、どこに行こうか。


一度だけ通ったきりの、アキハバラ?という街がふと思い浮かぶ。

建物の中に入れたかどうかは思い出せないけれど、あの坂道と、途中に咲いていた白い花の匂いは、まだ覚えている。


「今日も行ってみようかな」


自分に言ってみると声は思ったよりも小さかった。

でも、それでいい。

この世界で聞こえる声は、自分の声だけでもじゅうぶんだ。


屋上をぐるりと見渡して、なにも置き忘れていないことを確認する。

残していくものは何もない。

持っていくのは風と足音と、たぶんちょっとした感情だけ。


階段の方へ歩き出すと風が背中を押した。

誰かの手じゃない、でもいつもとは違う。

まるでそれが始まりのように感じた。


「行ってきます。」


帰るかどうかも分からないこの場所に言葉を残し、新しい風景と何処かにいるかもしれない誰かを探しにアキハバラへ向かう。

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