コーヒー1杯、値段お気持ち

あざみ忍

第1話 椎名樹

 ある日のこと。営業回りの帰り道、僕は休憩がてら喫茶店に入ることにした。

 だが初めて訪れる喫茶店は妙に緊張するものだ。店主が陽気か、寡黙か。それによって店の雰囲気はまったく違う。ちなみに僕の好みは後者である。落ち着いた、静かな時間を過ごすのが楽しみの一つだからだ。

 さてこの店は果たしてどうだろうか? 徐に僕は喫茶店の扉を開ける。カランコロン、扉に備え付けられたベルが鳴り、店主らしき老人がこちらを見る。


「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」


 店は外見に違わず、中は随分とこじんまりとした造りだった。カウンター席が全部で5席、それだけ。他に客はいなかった。う~ん、こういう時は何処に座るのがベストなんだろう。実に悩ましい。


「どうか、されましたか?」

「いえ、何処に座ろうか考えていただけです」


 よし、決めた。ここは勝負(?)の真ん中にしよう。店主と真正面に顔を合わせることになるが、臆するつもりはない。僕は意を決して椅子に腰かける。うん、なかなか座り心地が良いな。


「コーヒーでよろしいですか?」

「はい、大丈夫ですけど……。ちなみにこのお店、他のメニューは?」


 カウンターにも、壁にもそれらしきものは見当たらなかった。


「申し訳ございません。この店はコーヒーしか提供できないのです」

「コーヒーだけ、ですか?」

「はい」

「それは珍しい、気に入りましたよ」


 本当はサンドウィッチの1つでも腹に入れたかったのだが、郷に入っては郷に従えだ。それにコーヒーしかないということは、それだけ自信がある証拠だろう。僕は意気揚々と注文した。


「じゃあ、コーヒーを1つ貰おうかな」


♢♢♢


 手帳を開いて午後の予定を確認した後、コーヒーを淹れる店主の姿を眺めながら、僕はふと考える。定年退職を迎えたら、彼のような喫茶店を開くのもアリかもしれないと。まだ随分と先のことだが。


「――お待たせ致しました、コーヒーになります」


 それから10分後。僕の目の前に1杯のコーヒーが出された。見た目は何の変哲もない、極々普通のコーヒーに見えるが果たして。


「頂きます」


 熱々の湯気が立ち昇る中、僕はコーヒーを口へと運ぶ。すると、


「美味しい……」


 自然と口から言葉が漏れた。今まで飲んできたコーヒーの中で間違いなく一番だった。苦みの中にある深い味わいが口いっぱいに広がる。


「それは何よりです」

「ホント、このお店を選んで正解でしたよ。最近、ちょっと嫌なことが続いていたんですけど、お陰様で気分が良い」

「えっ?」


 ズバリ当てられたものだから、僕は顔を上げる。


「左手の薬指、指輪焼けがありますから」

「まさかそれだけで僕が妻と喧嘩したことが分かったんですか?」

「いえ、それだけではさすがに分かりませんよ。次に気になったのは手にできた切り傷と火傷の痕です。恐らく切り傷は料理を、火傷はアイロンがけでもしたのでしょう。まぁどちらも慣れていないが故に怪我をしてしまったみたいですが」


 店主はすべてを見透かしたように、淡々と自身のを披露していく。まるで探偵のように。


「とまぁ長々と話しましたが、ここまではあくまで私の憶測の域を脱していません。確信したのは、お客様が先程まで開かれていた手帳です。そこには『結婚記念日』と書かれた予定に上から二重線で取り消されていたのが、目に入ったもので」

「いやぁ、お見事! 驚きました」

「本当はお客様のプライベートを盗み見るようなこと、許されないものですが、どうしても気になったものですから、つい……。どうか老人の戯れをお許しください」


 そう言うと、店主は深々と頭を下げるものだから、僕は困ってしまった。確かに他人の手帳を盗み見るのはあまり良いことではないだろう。だが今の僕はプライバシーを覗かれたことなんか、小さなことだった。


「せっかくだ。ちょっとだけ、話を聞いてもらっても良いですか?」

「私で良ければ喜んで」


♢♢♢


「妻とは大学時代に知り合って、そこから付き合い、そして結婚しました。今年でちょうど15年になります。ただ最近になって、妻の様子がおかしくて。僕は嫌な胸騒ぎを覚え、自分なりに調べたところ、なんとですよ。いやぁ、まさか妻に限ってそんなことあり得ないと思ったんですけど、問い詰めたらあっけらかんとした態度で認めて。それで今は別居中ってわけです」

「失礼ですが、お子様は?」

「いません。ただ子供でもいれば、違う未来もあったんじゃないかと思いますが、あいにく出来なかったんです」

「そうでしたか……。これから、どうされるおつもりですか?」

「別れるのが互いの為かと。それに彼女だって、もうヨリを戻すつもりはないみたいです」


 今朝、自宅に戻って来るや否や、離婚届の紙を渡された。ということは、そういうことなんだろう。ホントいつから歯車が狂ってしまったんだろうか。


「まぁこれからは独りの時間が増えますから。今後の人生について、ゆっくり考えていきたいですね」

「お客様はまだお若いです。悔いのない選択をして下さい」

「はい、ありがとうございます」


 店主に話を聞いてもらったことで、僕の心の中で燻っていたモヤモヤした感情はいつの間にか霧散していた。


「よし、そろそろお会計をお願いしようかな。コーヒー1つ、おいくらですか?」

「お気持ちで結構です」

「ん、好きな金額で良いってことですか?」


 僕の問いかけに店主はニッコリと微笑むだけだった。


「じゃあ、これで。お釣りは要らないですよ。美味しいコーヒーと、それに僕のつまらない話を聞いてもらったお礼を兼ねた代金です」

「はい、それでは千円を頂戴致します。ありがとうございました」

「また来ます」


 今度は嬉しい報告ができることを願って、僕は店をあとにする。気分は今の天気に負けないくらい、晴れやかだった。


「さてと、午後も仕事頑張るかな」



♢♢♢おしまい♢♢♢



♢あとがき♢

まずは最後まで読んで頂きありがとうございました。

本当は店主が安楽椅子探偵のように謎を解くミステリー仕立ての物語を考えていたのですが、まるで違うテイストに落ち着いてしまいました。まだまだ修行が足りませんね、精進致します。

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コーヒー1杯、値段お気持ち あざみ忍 @azami_shinobu

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