第2話「“私たち”のステージ」

翌日の放課後。そらは一日中、気が気じゃなかった。


誰だったんだろう。顔も見えなかった。ただ、確かに“目が合った”という感覚が残っていた。


(昨日の人、今日も見てたらどうしよう……)


けれど、放課後の空気がそらを引き寄せる。つい、足があの扉へ向かっていた。


誰もいない屋上。昨日と同じ、やわらかな風。

……見上げた空は、昨日よりほんの少しだけ、青かった。


「……よし」


軽く深呼吸して、一歩、また一歩と歩き出す。踊るつもりはなかった。でも、この場所に来るだけで、少しだけ素直になれる気がする。


「……アンコール、なし?」


声がした。


びくっと振り向くと、向かいの校舎——ではなく、屋上の出入口の陰から、ひとりの男子生徒が出てきた。


「だ、誰ですか……!?」


「昨日、偶然見つけちゃってさ。……もう一回、あのダンス見たくなって。……で、探しに来た」


彼は笑っていた。悪意のない、自然な笑顔だった。


「……見てたの?」


「うん。すげー、良かった」


そらの顔が、見る見る赤くなっていく。


「か、帰ってくださいっ!」


「えー、ひでぇな。俺もダンス好きなんだけどな」


「え?」


「俺、ダンス部。つってもガチ勢じゃなくて、文化祭とかでちょっと踊るくらいだけど。アイドルソング、実は俺も好きだったり」


そう言って彼は、にやりと笑い、昨日そらが踊っていた振りの一部を真似た。


「……っ、それ……!」


「やっぱ合ってた。俺の見立て、間違ってなかったな」


軽い言葉、でも真剣な目。そらは混乱していた。けれど、同時に——少しだけ、うれしかった。


「な、この屋上、俺たちだけのステージにするっての、どう?」


その言葉に、風の音が止まった気がした。


「俺もひとりで踊るの好きだけどさ、誰かと一緒にやるのはもっと楽しいって、知ってた?」

そらは言葉を失った。


“ひとりだけの場所”だったこの屋上に、突然、名前がついた気がした。


“私たち”のステージ。


それが、後に伝説となるグループ「Aozora Drop」の、小さな始まりだった。


「じゃ、ちょっと一緒にやってみるか」


彼がそう言ったとき、そらの胸の奥がちくりとした。うれしさと、不安と、驚きと、


全部が一度に押し寄せた。


「えっ、あの、私……そんなに上手くないし」


「いいよ、そんなの。俺もプロじゃねえし。楽しけりゃそれでOK」


そう言って彼は、スマホで曲を流し始めた。聞き覚えのあるアイドルソング。


昨日、そらがひとりで踊っていたあの曲だった。


彼は軽くステップを踏む。


「この曲なら、振り付けはなんとなく覚えてる」


「……なんとなく、で踊るの?」


「なんとなくでもさ」

一拍置いて、彼は言う。

「……身体が覚えてんなら、それがもう表現だろ」

「ダンスって、正解より“隙”がある方が面白いんだよ。自分を出せる余地がさ」


そらは少しだけ目を伏せて、それから、こくんと頷いた。

あきれたように笑いながらも、彼の言葉が胸に残っているのが、自分でもわかった。


音楽が屋上に広がる。


最初の一歩が怖かった。でも、彼がとなりにいるから、不思議と足が動いた。


緊張で動きはぎこちなかったけれど、彼は何も言わず、同じリズムで体を揺らしていた。


誰かと並んで踊るのは、はじめてだった。


たったそれだけのことが、こんなにあたたかいなんて、知らなかった。


踊り終わった後、ふたりの間に流れた沈黙は、不思議と心地よかった。


風が、そらの髪を揺らす。


「明日も、来るよな?」


彼の問いに、そらは少しだけ迷って——それから、小さくうなずいた。


それだけで、空が少し、広くなった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る