偽装カップル初日で好きになっちゃった

アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)

第1話 交渉開始

 放課後、二人きりの教室。窓際に立つのは、宇都宮第一高校二年B組のクラスメイト、白峰しらみね華乃葉かのは。春の夕日が、彼女の艶やかなロングヘアーを照らしている。


「つまり、僕に君の彼氏を演じてほしいということか」


 この二分四十秒間、一方的に進められた話を要約すれば、そうなる。


「話が早くて助かるわ。さすが校内一の秀才、黒瀬くろせしゅん君ね」


 肩をすくめるスレンダー女子。口元には薄笑いが浮かんでいる。


「皮肉はいい。時間を浪費したくない」


 傍らの自席――窓際最後列――に座り、彼女の小さな顔を見やる。

 無駄話をしたくないのは、白峰だって同じだろう。校内一の容姿を誇りながら、冷淡な雰囲気で他人を寄せ付けない孤高の美女。そんな噂は、人間関係に無関心な僕ですら聞き及んでいるほどだ。


「あら、皮肉じゃないわよ。私は黒瀬君の聡明さを見込んで依頼しているわけだし、あなたにもその自覚を持ち続けてほしいから。念押しみたいなものね。万が一にも、おかしな思い違いをしてもらいたくはないから」

「迂遠な言い回しもいらん。心配も不要だ。要するに、恋心を抱いてほしくない、ということだろう?」

「ええ、本当に理解が早いわね」


 ふふっ、と上品に笑いをこぼす白峰だが、褒められるようなことでもない。当たり前のことだ。わざわざ偽の恋人関係を求めているのだ。その関係を崩すような感情を持つなというのは、依頼者にとって、もはや前提条件だろう。


「じゃあ、黒瀬君のお望み通り、率直に聞くけれど。この依頼、受けてくれるかしら?」

「またくだらない冗談か? この段階で即答できるわけがないだろう」

「ふふ。たぶん、黒瀬君以外の男子なら、この時点で嬉々としてオーケーするわよ。表向きは渋ったフリをしてもね」


 なら、他の男子を当たればいい――とは、それこそ無駄な問いかけだ。彼女の不遜な微笑みが、ありありと物語っている。自覚しているわけだ。他の男に持ちかければ、余計な感情を持たれる、と。


 そして、それはおそらく正しい。


 白磁のような肌、切れ長の目、薄桃色の唇、均整の取れた肢体、凛とした立ち居振る舞い。クールビューティーという言葉の具現のような彼女が、異性を強烈に惹きつけるのは当然だ。


 と、こんな分析もまた無意味か。


 僕はさっさと話を進める。


「質問は二つ。まず一つめ。なぜ、偽の彼氏が必要なのか。それをまだ聞いていない」

「そうね」

「もっとも、それは話さなくても構わない」

「あら、そうなの?」


 意外そうな反応だった。些細なものであるが、白峰華乃葉が感情の揺れを見せること自体、非常に珍しい。

 何か誤解をさせてしまったのかもしれない。このまま進めるのはアンフェアか。補足しておこう。


「話すも話さないも、もともと君の自由に過ぎない。ただし、理由を示すことで、僕の受託判断に資する可能性があり、また、契約履行時の正確な目的達成にも寄与する」

「契約……ね」


 ぽつりと白峰が呟く。引っかかったのは、その単語か。


「契約だろう。曖昧な口約束にするつもりはない」

「ええ、分かってる。そういう人だからこそ、あなたに目をつけたのだもの」


 満足げに微笑み、白峰は、はっきりと続ける。


「理由も話すわ。あなたと契約を結びたいから」

「そうか。開示の範囲も君の裁量だが、嘘はやめてくれ。契約書には、虚偽申告が判明した場合に契約破棄可能とする条項を盛り込むつもりだからな」

「契約書?」


 彼女が目を見開き――そして、吹き出すように笑った。クラスメイトになってから二週間。これまでの作り物めいた微笑みと違い、それは初めて見た、自然な笑顔だった。


「冗談を言ったつもりはないが」

「ふふっ。話の腰を折ってしまったわね、ごめんなさい。本題に戻るわ」


 咳払い一つ。語尾から笑みが消え、声色が締まる。


「私、お見合い話を破談にしたいの」


 そのまっすぐな目に、冗談の余地は見当たらなかった。


「お見合い。……今時あるんだな、そんなもの」

「馬鹿にしているでしょう?」

「いや、すまん。余計な感想だったな」


 驚いただけだ。ただ、白峰の父の実家が県内屈指の大地主であることは、さすがに知っている。そういう家には今でも、見合いが仕組みとして生きているのかもしれない。馬鹿にするどころか、むしろ、婚姻関係を合理的な道具として使おうとする姿勢にはある種の感心すら覚える。恋愛なんてものに酔って浮かれる連中よりもよっぽどマシだ。


「いいのよ。私もくだらないと思っているし。あなただって、こんな理由でもあった方が、協力しがいもあるでしょう?」

「やりがいだとか、そんな感情論で契約を左右するつもりはない」

「そうね。また、あなたの嫌いそうなことを言ってしまったわ。私達、意外と相性が悪いのかもしれないわね。というのも、また、無駄な言葉ね。相性なんて、全く関係ないもの。偽装カップルである私達には」

「契約成立前提で話さないでくれ。偽装カップルですらない。僕達はまだ、ただのクラスメイトだ」

「そうだったわね」

「で、そんなただのクラスメイトで相性も悪い僕が恋人を演じることで、そのお見合い話を破談にできるものなのか? ああ、これも答えたくないのであれば、」

「答えるわよ。破談、というのは不正確だったわね。まだ正式に申し込んですらいないから。父が勝手に進めていて、相手方にも口頭で仄めかしただけ、という状況なの。ただ、感触は相当良かったみたいだから、父がその気になれば、あっという間に話は固まってしまうでしょうね」

「お見合いの仕組みはわからないが、まだ『その気』とやらにはなっていないのか」

「私が止めたからね。真剣にお付き合いしている人がいるから、待ってくれって。彼と会って、私の交際相手として相応しいか見定めてからでも遅くないでしょうって。自由恋愛中の娘を、無理やり彼氏と別れさせるなんて一線は越えてこないはずだから」

「それで、彼氏役が必要になった、というわけか」


 やっと話が繋がった。とはいえ、疑問点はまだ残るが。


「ええ。だから……ああ、そうね。聞かれる前に説明します。まず、再来週、五月の連休最終日に父との食事会を開く予定だから。彼氏として、あなたに同席してほしい」

「なるほど」

「もう一つ、先んじて答えておくと……私も可及的速やかに、本物の恋人を作るから。父を納得させられるだけの、ね」

「そうなれば僕もお役御免ってわけか」


 僕が彼氏役として父親を納得させられるだけの存在なのか、というのは聞かない。そう白峰が考えているからこそ僕に声をかけたのだ。たとえ納得させられなかったとしても、それは僕の責任ではない。依頼を完遂できたか否かの判断基準は「偽物であることがバレたか否か」だけにするべきだ。以上のことも、契約書に盛り込まなければならないな。


「一応確認しておくが、可及的速やか、というのは、具体的にどの程度を見込んでいるんだ?」

「…………遅くとも、高校を卒業するまでには」


 少し口ごもってから、自信なげに言う白峰。この数分だけで、彼女の珍しい表情をいくつも見ることになった。


「そうか。契約期間についても、契約書に明記しよう。偽装彼氏なんて役割が長引くのは僕にとって負担が大きすぎるしな」


 あえて、そんなことを口にする。


「そう、でもないと思うけれど。そうならないように、私も最善を尽くすし」

「それは君が判断することではないな。食事会以降も役目が続くというのであれば、僕にとって相当な重荷だ」


 実際は大した負担にはならないだろう。正式に決まったお見合いを覆すといった、リスキーな真似をさせられるわけでもないのだ。

 そして、交際を信じさせなければならない相手は白峰父、一人だけ。もちろん、偽物であることを誰かにバレていい、というわけではないが、そもそも白峰父以外の前でカップルを演じる必要すらないのだ。校内で白峰と恋人ごっこをする等の仕事もないのだから、日常的な負担は生じ得ない。念のため、白峰父には、「校内では交際を隠している」とでも説明しておけばいい。


 以上のことは白峰も理解しているだろうが、僕は知らないフリをする。たとえ説明されても、納得した顔は見せない。僕が負うリスクを、絶対に過小評価させない。


 今からする協議事項において、不利になるからだ。この交渉における最も重要な争点。つまり、


「では、二つ目――最後の質問に入ろう。報酬についてだ。この契約を結ぶことによって、僕が得られる見返りは?」

「何が欲しいの? とりあえず、遠慮なく言ってみて」

「提示するのは君からだ。君から持ちかけてきた話だろう?」


 この質問が来ることも当然確信していたのだろう。白峰は淀みなく返してきた。だから僕も、準備していた通りのカウンターで応じる。

 交渉事において、不利な立場に立つ気など毛頭ない。情報を先に出すなんてもってのほかだ。


「さすがね。いえ、別に私だって、報酬を渋るつもりはないわ」


 白峰は諦念混じりのため息をつき、


「お金がいいの?」

「金額は?」

「……残念だけれど、私自身が大金を持っているわけではないから。むしろ、一般的な高校二年生よりも自由に使えるお金は少ないくらいだわ」


 残念そうに眉尻を下げる白峰だが、これはさすがに演技だろう。いや、大して現金を持っていないということ自体は事実なのかもしれないが。


「それは参ったな。僕はそれなりの金額を受け取れるという前提で、ここまで話を進めてきたんだが」


 もちろん嘘だ。金銭を要求するなんて、さすがにリスクが大きすぎる。


「期待に沿えず、ごめんなさい。あの、これは、とても失礼な問いになってしまうけれど……黒瀬君のおうち、それほど裕福じゃないものね?」

「どうだろう。幼少期から同じ家庭環境だから、客観的に評価を下すのが難しいな」


 これも嘘だ。全然裕福じゃない。普通に貧しい。が、白峰が申し訳なさげにしているのも絶対嘘だし、構わないだろう。そもそもこれは交渉の場なのだ。戦争だ。お互い相手の弱みに付け込むために、自分の弱みは見せない。弱みではない部分を、あえて弱みに見せかけることすらある。僕らがやっているのは、騙し合いなのだ。


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