鉄錆の呪いとアドカボの商人

@hayakuchiiwashi

鉄錆の呪いとアドカボの商人

「おお、勇者様。どうかこの世界をお救い下さい」


やたらと布面積の少ない修道服を着た女性たちが俺にひれ伏している。


人数はざっと100人以上。彼女らの年は俺と同じくらいだろう。彼女らは同じ日本人とは思えないくらい良い肉付きと顔つきをしており、髪は赤や青、紫など多種多様で、まるでアニメキャラクターのようである。


周りに目を向けると、なるほど、どうやらここはパルテノン神殿の柱以外を撤去したような建造物の中央らしい。


夜空には二本の天の川が輝いており、ここが地球ではないことを証明している。


「あの、とりあえず顔を上げて……なんか上着羽織って下さい。見ていて寒いので」


こんな非常事態においても何故か俺は冷静だった。


いや、あまりにも非常事態すぎて脳が考えることをやめた、と言った方がよいだろうか。












その後、彼女たちは毛布を羽織り、俺を柱だけの建造物から少し離れた教会へ案内した。


そして美少女集団の先頭で俺にひれ伏していた女性、もとい聖女がこの世界について教えてくれた。


なにしろこの世界には鉄錆の呪いがかけられており、その呪いは鉄製品をたったの1か月で錆びさせてしまうという呪いらしい。


その呪いに対抗するには呪いを解く魔法を鉄にかけないといけないらしい。


そして予言書によればその魔法は異世界の勇者にしかできないという。


そこで、数ある異世界人の中からランダムに選ばれたのが俺だった、という訳だ。


「鉄錆の呪いのせいで我々人類は猛獣に対抗するための武器はおろか、長持ちする鉄の硬貨すら満足に作れないのです。どうか、我々をお救い下さい」


「「「「「お救い下さい!」」」」」


聖女を始めとする美少女集団が俺に懇願する。


「もし鉄錆の呪いを解いて下さった暁には、その、私たち全員が、あなた様と、その、け、結婚を……」


そう言いながら美少女集団が毛布どころか、ただでさえ布面積の少ない修道服を脱ぎ始める。


「これはその、前払いのようなものd「ちょーーーーっと待ったーーーー!!!!」」


その時だった。


教会の壁が大砲で打ち破られたかのように吹き飛び、そこから一人の大男が現れた。


身長3メートル。ありとあらゆる体毛が剛毛で、それらが産毛に見えるくらい肉体は筋骨隆々であった。歩くたびに教会の床がメキメキと凹んでいるため体重は恐らく人間のそれではないだろう。


動物の皮で出来た服は絨毯のように分厚く、背中には大きなハンマーを背負っている。あのハンマーで教会の壁を打ち破ったのだろう。


この大男はここに美少女集団がいることを知って襲撃し、美少女集団を同人誌みたいに好き勝手しようとした山賊、といったところだろうか。


美少女集団を見るとなにかしらのバリアを即座に張ったらしく、全員無傷だった。


「勇者様!!」


聖女が俺に近づこうとする。


「みんな動かないで!! こいつの狙いは恐らく君たちだ!! 俺がここで食い止めておくからその隙に逃げt」


「違います!!」


聖女が声を荒げる。







「その男の狙いはあなたです!!」


「……へ?」






「ちょっとそこの兄ちゃんを借りてくぜぇ!!」


大男が俺を小脇に抱えてそのまま教会の外に飛び出した。


「ちょ、ちょっと!!」


「がはははははは!! 我はアドカボの商人なり!! がははははは!!」


そう叫ぶと大男もといアドカボの商人は背中に背負った巨大なハンマーを片手で振り上げ、地面に叩きつけた。


すると、大男が教会の上空まで高く跳びあがった。


「ぎゃあああああああああ!!!!」


「がはははははははははは!!!!」


夜空に響く俺の悲痛な叫び声とアドカボの商人の豪快な笑い声。


するとどこからか、夜闇を切り取ってきたかのように黒く、そしてジャンボジェット機くらい巨大な怪鳥がやってきてアドカボの商人の両肩を鷲掴みにした。


怪鳥はアドカボの商人を掴んだままどこかに飛んでいく。


そのことだけを最後に理解し、俺は意識を手放した。
















目が覚めると俺は手枷足枷を付けられた上で檻に入れられていることに気付いた。


手枷足枷は鎖でバランスボール大の重りに繋がっているのだが、重りは風船のように宙に浮いているため全く苦にならない。


しかし、檻から出ようとすると体は難なく出られるが重りが鉄格子につっかえて完全に外には出られない。


檻は巨大な馬車の荷台に載せられており、10頭の馬が檻から出ようとする俺をガン見してくる。


……檻に戻って状況を整理しよう。


俺は休日に家でごろごろ昼寝をしていただけなのに、目が覚めるとそこは異世界だった。


目の前には破廉恥な美少女集団。その先頭に立つ聖女が俺にこの世界を救ってほしいと言った。


この世界は鉄錆の呪いのせいで鉄製品が1か月と持たないらしく、その呪いを解いた暁には俺はあの美少女集団と……。


「顔面がチーズみてえにトロけてっとこ悪いけどよお」


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!!!」


アドカボの商人がいつの間にかいたことに驚き、俺は本日二度目の悲鳴を上げる。


「お前にはこれから何故鉄錆の呪いを解いてはいけないかを理解してもらうために俺についてきてもらう」


そう言うと、アドカボの商人は馬車に乗って移動し始めた。


目的地はすぐに見えてきた。


「あれは……港町……か?」


馬車が到着したのは高層ビル程の高さがあるマングローブ林であった。


その木々の上にはいくつものツリーハウスがあり、木の根元には船や養殖場がこれまた沢山ある。


「ここはこの国の最南端に位置する港町、シーサイドフォレストだ」


アドカボの商人はそう言うと馬車から降りて俺の入っている檻を含めた積み荷を荷台から降ろし始めた。


すると、どこからか人がわらわらと寄ってきてアドカボの商人に何かを話し始める。


アドカボの商人も人々が使う言語を話しながら人々から鉄貨を受け取り、積み荷の中身を人々に渡していく。


彼の商売が始まったのだ。


次第に人々は馬車を中心とした同心円状に広がり、順番にアドカボの商人と取引をし始めた。


もしや俺も商品の内の一つなのだろうかと思い始め、媚びを売る相手を探すため人々を観察していると、俺はあることに気が付いた。


人々は財布の中の鉄貨を全て使い果たすように買い物をするのだ。


ここは鉄が通常より更に錆びやすい海辺のため、使い物にならなくなる前に使い切ろうとするのだろう。


「……あ」


「ようやく分かったか。鉄錆の呪いを解いちゃいけねえ一番の理由がよぉ」


アドカボの商人が俺に言う。


人々は鉄貨が錆びる前に使おうとする。


そうすると人々の消費が促進され、富は広く流通する。


逆に鉄貨が錆びなくなったら、人々は貯蓄をしだす。


多く稼ぐ者は多く貯蓄をし、それを元にまた大きな事業を立ち上げて大きな稼ぎを得る。


大きな稼ぎを得た者は資本家となり労働者を雇うようになり、更なる富を創出する。


資本家は行政手続きや納税がしやすい都市に住み、人々は稼げる仕事を求めて都市ないしは都市近郊に移住し始める。


そうすると地方は人手不足で産業の維持やインフラ整備が困窮し、衰退していく。


貧富の差が広がり、この港町のような地方の町村は消滅の運命を辿る。


第一次産業を担っていた地方の町村が消滅することによる食料自給率の低下に加えて地方からの人材供給が断たれた都市は兵糧攻めをされている城のように崩壊していく。


そしてやがて、国家が崩壊する。


「いいかい。兄ちゃん。よく聞きな」


アドカボの商人が語り始めた。


「国家を巨人に例えるなら金は血液みてえなもんだ。そんで、いくら屈強な巨人といえどその手足に血が通わなくなりゃ手足は瞬く間に腐り落ちていく」


これは国家においても同じだ、と言いアドカボの商人が続ける。


「金が田舎町にまで円滑に行き渡って初めて国家という巨人は息をし動くことができる。都市だけで金が循環して地方が衰退した国ってのは四肢が腐り落ちた巨人みたいなもんだ。狩りをすることも天敵のドラゴンから身を守ることはおろか逃げることもできない巨人は大自然の中で生きてはいけねえ」


「……鉄錆の呪いを解くということは、鉄貨が錆びないようにするということ。それは鉄貨が貯蓄できるようにすることであり、それは富の循環を鈍化させることでもある。巨人に例えるなら、全身の血液がドロドロになるようなもの……」


俺はブツブツと呟く。


「ようやっと分かったみてえだなあ。……ん?」


「そこまでです!!」


アドカボの商人が見上げると、遥か上空に背中から白い翼を生やしたペガサスに乗り宙に浮く美少女集団がいた。


美少女集団は重厚な鉄の鎧と大剣を持ち、臨戦態勢を維持している。


「ようやく見つけました勇者様!! 今お救い致します!!」


「おいおい!! おめえらが持っている大剣がその距離から届くとでも言うのかよ!? 鎧と大剣を錆びさせたくねえからって上空で二の足踏むことしかできねえ羽虫共がよお!!」


明らかに悪人サイドのセリフを吐くアドカボの商人。


しかし、そのセリフのせいで美少女集団は辛酸を舐めたかのような顔をする。


「勇者!! 見ろ!! あいつらの顔を!! この世界を裏から牛耳ろうとする奴らにお似合いの顔だぜ!!」


「勇者様!! そんな大罪人の言葉に耳を貸してはなりません!!」


聖女が俺に向かって叫ぶ。


「貴方は既に鉄錆の呪いを解く魔法を使えるのです!! その魔法を私たちに使って下さい!! そうすれば私たちは海の近くだろうと海の中だろうと戦うことができます!!」


「で……でも……魔法のかけ方なんて俺には……」


「魔法のかけ方はイメージをするだけであとは身体が自然と動きます!!」


「……でも」


「お願いです!! 勇者様!!」


「……ッッ! 分かった!!」


俺は美少女集団に向けて両手を突き出し、魔法を出すイメージを思い浮かべた。


すると、両掌から温かいオレンジ色の光が極太の柱となって放出され、美少女集団に直撃する。


「……成功です!! 勇者様!! 今お救い致します!!」


聖女がそう言うと美少女集団がこちらに向かって急降下し始める。


あの高さだとここに到達するまで数分はかかるだろう。


「なあ、一つ聞いてもいいか?」


アドカボの商人が言った。










「……何故魔法のかけ方を知った後に、魔法をかけるのを一度躊躇したんだ?」










「……もしかしたら、鉄錆の呪いを解く魔法って、鉄が錆びないようにする魔法、つまり鉄が酸素とくっつかないようにする魔法なんじゃないかと思って」


俺は続けて話す。


「人間は息をしないと生きていけないだろう? 人間の生命維持活動には空気、特に酸素と呼ばれる物質が必要不可欠なんだ。人間はその酸素を肺で体内に取り込み、血液を使って全身に行き渡らせる」


「人間の血液には赤血球という、酸素を身体中に運ぶ細胞が含まれていて、その赤血球には酸素と結びつくヘモグロビンという物質が含まれているんだ」


聖女たちがどんどん加速しながら高度を下げていく。


「……そのヘモグロビンってのはもしや」


アドカボの商人が俺を見る。


「ああ。このヘモグロビンを構成する重要物質が鉄なんだ。この鉄分が酸素とくっつくことで赤血球は酸素を全身に運ぶことができる」


聖女たちがペガサスから離れ、聖女もペガサスも錐揉み回転をしながら降下し始める。


「そして、鉄が錆びるってのは鉄が酸素とくっつくことなんだ。もし、その鉄が錆びるということを封じる魔法を動物にかけた場合……」


次の瞬間、聖女たちとペガサスは高速で地面と激突し、大地に真っ赤な花を咲かせた。


「その動物は赤血球の働きを封じられ、全身に酸素が行き届かなくなり、窒息死する」
















聖女たちの墓を作り、葬儀をしている途中で俺は跡形もなく血煙と肉塊になった美少女集団の中で唯一残った聖女の頭部を見て驚いた。


「耳が長い……まさか聖女たちは」


「そう、こいつらは絶滅の危機に瀕した種族“エルフ”。その最後の生き残りだったんだ」


アドカボの商人が言う。


「エルフは繁殖力が低い代わりに1万年は余裕で生きるからな。富が半永久的に保有できるようにしてこの世界の富を独占し、種族を復興させようとしたんだろう」


アドカボの商人が俺の太ももほどの大きさの葉巻を吸い始める。


「なあ。また聞いてもいいか?」


「……」


「……鉄貨が錆びないようにすれば、つまり貯蓄ができるようになれば産業は発達し、技術は飛躍的に進歩し、人々の暮らしは格段に良くなる。それはお前が一番よく分かっていた筈だ。それでも何故、俺の側についた?」


「……俺のいた世界が、その発展の末に、滅亡しようとしていたから」


ぽつり、ぽつりと俺は話し始める。


「だから別のシナリオが見たかったんだ。そのシナリオの先に希望があるような気がして」


「……そうか」


「勿論、どんな世界であったとしてもその世界特有の苦難はある。でも、少なくともこの世界は、自分たちの不始末で滅ぶなんていう間抜けな顛末は辿らないと俺は思うんだ。それを俺は見届けたい」


「……これからどうするんだ」


アドカボの商人が俺に尋ねる。


「旅をしようと思う。色々なところを旅して、天国にいる彼女たちに教えてあげるんだ。世界の富を独占しようなんて考えるのが馬鹿馬鹿しいくらい、この世界は広大で、美しく、尊いということを」


俺は聖女の頭部を丸太が組み積まれた巨大な構造物の真ん中に置いた。


丸太には事前に油が塗られており、構造物の下にはエルフだったものが丁寧に集められている。


アドカボの商人が葉巻を構造物に放り投げると、構造物が一気に燃え、巨大なキャンプファイヤーになった。


「なあ。よかったら暫くの間、俺の行商についてくるか?」


アドカボの商人が俺に言った。


「……ああ。そうさせてもらおうかな」


聖女たちを弔う炎から立ち上る煙は星空の彼方へ消えていった。

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