窓辺の女

綴野よしいち

第1話:落下

何もかもが嫌になった。

 この世界のすべてに。

 家族も、仕事も、自分自身も。


 最期くらいは、自分の意思で選んでもいいだろう。

 そう思って、ビルの屋上に立った。


 高層階から見下ろす街は、まるでジオラマだった。人も車も、すべてが精巧なおもちゃに見える。

 こんな小さな世界で、何を必死に生きていたのだろう。


 風が冷たい。コートの裾が煽られ、足が宙を切る。

 跳ねるように、落ちた。


 死が、確かに近づいてくる。

 心臓は静かだった。叫びも出なかった。


 スローモーションのように流れる景色。

 その時だった。


 ビルの8階あたりの窓。

 ひとりの女性が、カーテンの隙間から外を見ていた。


 長い黒髪。透き通るような肌。

 その瞳が、こちらを見ていた。

 見つめ合った。——そう感じた。


 一瞬で、心を奪われた。

 こんな時に。落下の最中に。

 それでも確かに思ったのだ。


 ——ああ、まだ死にたくない。


 まぶたが閉じる。

 意識が遠のく。


 その直前、彼女の口が、微かに動いたように見えた。

 何かを、言った?


 いや、違う。

 微笑んでいた。

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