第16話「共通テスト一日目」

朝6時。

目覚ましが鳴る前に、レンは自然と目を覚ました。


(……いよいよ、来たか)


布団から起き上がり、静かに制服に袖を通す。

いつもより丁寧にネクタイを結び、スマートフォンの電源を切って、鞄の奥にしまった。


かつて、そのスマホにはShadowが入っていた。

今は、自分の時間だけが入っている。


駅のホームは静かだった。

緊張に包まれた学生たちが、言葉少なに並んでいる。

その中にいる自分を、どこか別人のように感じていた。


(去年の俺だったら、今ごろグラスをポケットに忍ばせてたな)


かすかに笑って、電車に乗り込む。


車窓に映る自分は、確かに変わっていた。


試験会場。

国立大学附属の広大なキャンパスに、受験生の波が押し寄せていた。


「受験票と筆記用具を確認してください」

「スマートフォンは完全に電源を切り、封筒に入れてください」


係員の声が、冬の空気を引き裂くように響く。


試験室に入ると、空気がぐっと重くなった。

誰もが無言で席に着き、静かに用意を整えていく。


レンも、その中にいる。

だが、周囲の空気に飲まれていない自分がいた。


(大丈夫だ。俺は今日までやってきた。AIなしで、ここまで来た)


机の上には、シャーペン、消しゴム、受験票、そして心。


それだけで、十分だった。


1限目:地理歴史。


試験開始の合図が鳴る。

冊子を開く。

知らない用語がある。迷う設問がある。

でも――怖くなかった。


(わからないなら、読めばいい。文脈から推理すればいい)


以前なら、Shadowに頼っていた。

今は、自分の目で問いを見つけ、自分の言葉で答えを出していく。


2限目:国語。


またしても古文。くずし字はないが、難解な助動詞や係り結びが並ぶ。

レンはノートに頭の中の整理図を描くように問題を分解する。


主語は誰か?

何が述べられている?

文の構造は?

作者の意図は?


Shadowがいたときは、瞬時に済んだ作業。

でも、今は“考える時間”が生きている。


わからない、迷う。

けれど、その迷いこそが自分の知識を掘り下げてくれる。


(点数じゃない。俺は“自分で読めている”)


ふと、咲の言葉が蘇る。


「“正解を出す”より、“自分の思考を辿る”ことの方が、よほど価値があるわ」


その意味が、今ならよく分かる。


午前の科目が終わり、昼休み。


レンは弁当を開きながら、スマホを一切触らず、ノートも開かない。


ただ、窓の外を眺めていた。

青空が、まっすぐだった。


誰の目も気にしなくていい。

誰かの期待に応えるわけでもない。

今は、自分の足で立ち、ペンを持ち、問いに向き合うだけ。


(答えのない時間が、こんなに気持ちいいとは思わなかったな)


午後:英語。


リスニングの音声が教室に流れる。

以前、Shadowの骨伝導音声で聞いていた英語は、機械の声だった。

今は、生の発音。微妙な抑揚や間合い。

レンは耳を澄まし、内容を脳内で再構成していく。


集中している自分がいる。


“聞こえる”のではなく、“理解できる”という実感。


「AIがすごいのは、情報処理能力。でも、“理解”っていうのは、心が動くことなのよ」


咲の言葉が、また一つ浮かぶ。


まさにその通りだった。

今日は何度も、問いに触れて、自分の感情が動いていた。


全科目終了のチャイム。


鉛筆を置いた瞬間、レンは肩の力を抜いた。


「……終わった」


結果はわからない。

でも、ひとつだけ確かに言えることがあった。


「これは、“俺の答案”だ」


帰り道。駅までの並木道を、レンは一人で歩いていた。


その途中、スマホに一通のメッセージが届いた。


📩【芽衣】

「今日の英語、早口すぎたね(笑)

でも、なんか“聞こうとする自分”がちゃんといて、ちょっと嬉しかった。

瀬川くんも、ちゃんと聞こえた?」


レンは笑った。


そして、スマホを握りしめて空を見上げる。


風が、頬をなでていく。


(これからが、本当の勝負だ。けど――

どんな問いが来ても、俺は“俺の答え”で返してやる)


冬の空は高く、青く澄んでいた。


▶次回:第17話「合格発表と再会」

ついに届く運命の結果。合格か、不合格か。過去もAIも越えたその先で、レンは誰と、何を見つめるのか――

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