YAD & YAD

ハナビシトモエ

第1話 ご令嬢との半日

「待ったー? お待たせ」

 窓と反対の席に薄着にカーディガンの女性が同じ歳くらいの女性に混じった。元気だった? 私二キロ太って。


 僕は何も待っていないのに待っていることな焦燥感を日常のスパイスにする為に早朝から店に並ぶ。


 最近増えた退というルールも守っている。パソコンを持ち込めばもっといることが出来るかもしれない。パソコンを段ボールで作って演技をするか。自分の考えたアイデアに少し寂しくなって微かに笑ってしまった。

 

 自宅へ帰る途中、山手坂の急こう配を僕は上り、先の公園で息をついた。僕の心にはスパイスが足りない。彼女を作る。なんだか前向きになれずに興味がないと思っている間はまだ無理だろう。携帯を開くと動物園から猿が逃げたらしい。同情してやる。世間も大変だな。


 明日から大学が始まる。同年代の男子学生と面白くない話におかしくない顔で笑って、講義の間だけ自由で、用事があるといって図書館にこもる。そんな生活が明日から始まる。夏休み前に「図書館なんて何が面白いんだ」とか言われた。言い返す勇気がないから、通うのを止めるかもしれない。


 昼の一番暑い時間だ。何か冷たい物と涼しい部屋と思い、公園を出ようとしたら何かとぶつかった。ワンピースの女の子、同年代だろうか。こんな暑い日に何をやっている。


「隠れて」


 遊具の陰に隠された。バタバタと足音が聞こえる。


「私、ご令嬢なの」

 自分でご令嬢という人物はかなり珍しい。

「今日、せっかく逃げ出せたから町で遊びたいの。でもそうこうしているうちに捕まってしまう。お礼はあとで弾むから一緒に遊んでよ」


「でも僕捕まりたくないし」


「じゃん、今魔法をかけました。今からみんなに私は見えません。坂の下にいいものがたくさんありそうだ」


 暑い中、坂を下った。これではこのいかにも厄介な人物に捕まる為に上がったようなものだ。


「私、クーラーのあるところに行きたい」


「クーラーくらいどこでもあるだろう」


「節電だから」

 お嬢様でもそんな境遇なんだな。


 商業施設に入ると冷たい風がぶわっときた。今日は暑いから余計に効かせてあるのだろうか。さっきより室温が下がっている気がする。


「冷たい。寒い」


「出るか?」


「いやダメだ。パフェを食べに行く」


「冷たい中、食っても腹を壊すだけだぞ」


「以前実験したことがある」

 このご令嬢は実はどこかの研究員だったりするのか。


「確かにこの時期しかないもんな。いいよ、美味いところを知っている」

 ご令嬢はいちごスペシャルにした。店主は用事があるのか作った後、奧へ姿を隠した。


「これはどうやって食すのだ」


「先にアイス食った方がいいぞ。溶けるからな」

 喫茶スペースは貸し切りだった。こんなに暑いのに誰もいない。ご令嬢が食べている間、先に頼んだコーヒーを飲みながらご令嬢をみた。

 やたらにスプーンを使うのが下手なのだ。グラスにアイスの雫が垂れた時、ご令嬢はアイスに食らいついた。


 頭をおさえている。スプーン使わないからアイスクリーム頭痛になっているではないか。


「スプーン使い慣れていないのか」


「箸文化で」


「口開けてろ」

 僕はアイスクリームやいちごをご令嬢の口に運んだ。これアーンじゃね、女の子相手にこんなのってと思っていると携帯が震えた。どうせ熱中症に注意という通知音だろう。


「ごちそうさまでした」

 ご令嬢は手を合わせた。ご令嬢にパフェを食わせていたせいで僕のコーヒーは冷たいながらもまだ残っていた。


「飲んでいい?」


「いいけど、ブラックだから」

 うへぇって顔をした。僕はご令嬢の口を拭きながら「次はなにがしたい」と訊ねた。


「高いところに行きたい。あとで自慢できる」


「行くのはいいけど、この暑さだぜ。スカイツリーはさすがに待ちすぎるし、他だって」


「あるじゃないか。この上が」


「大した高さじゃないぞ」


「その前にトイレ」

 そら見たことか。


「女子トイレの前で待っていてくれ」

 待たされるのは嫌いじゃない。


 通知を開くとやはり熱中症危険情報だった。


「こんな暑い中で屋上に行って何が楽しいかね」

 着信が入った。母さんからだ。



「あんた今、どこにおる」


「駅前のラークだけど」


「ラークの近くで動物園の猿が」

 さっき脱走したって言ってたな。


「建物の中にいたら安全だろう。まさか猿にドアは開けられないだろう」

 電話を切ったあと、ご令嬢が出て来た。


「行かなくていいのか」


「どうやら僕の膀胱は強いらしい。それじゃあ行くぞ。エレベーターにしよう」


「この四角のやつか」


「まさかエレベーターも乗ったことがないのか」


「大した高さの建物ではないからな」

 マンションでも戸建てでもないらしい。エレベーターで階が進む度に光る番号が珍しいようだった。屋上へ着き、蝉の声がよく鳴った。



 屋上も貸し切りどころか。係員すらいなかった。子ども用の汽車は乗客を待っているだけで、観覧車も回っているだけだった。



「あれに乗ろうか」

 と、観覧車を差すと。


「ああいうのには乗ったことがある。一人でも狭いのに二人ではすごく狭いだろう」

 頭を使うべきか悩んだ。今を楽しむのに思考は必要では無かった。

「これがか」

 柵の隙間からご令嬢は嬉しそうだった。


「あそこが僕の家だ」


「あのでかいのがか?」


「右だ」


「そうか、よく分からんな」

 意を決して頭を使うことにした。階下をみると猟銃を持った男性が多くいて、警察官が規制線をはっていた。


「どうして逃げた」


「ボスの子を生みたくない。生んだら当分動けない。経産の猿は人になれん。だから最後人間らしいことをしてみたかった」


「そうだ。汽車に乗ろう。動かし方なら分かるから。ジェットコースターならいいよな」


「いつか幼い私を抱き上げてくれた男の子と町を共に歩いた。私を恐れて人がいなくなった私とパフェを食べてくれた。トイレなんて待ってくれる文化もないし、エレベーターなんて乗ることも普通に生きていたらない。上から見た動物園はとても小さかった。ありがとう少年。私は幸せだった」


「離れなさい」

 屋上の入り口に盾を持った警察官が並んでいた。


「どうにか出来ませんか」

 警察官が背後の猟銃を持った男性に訊ねた。


「少年と近すぎます。今、怒らせたら大変です」


「岩佐泰樹」


「覚えておこう。次に来た時に名乗ってくれ」


「ご令嬢、あんたは」


「同志も人もマルと呼ぶ」


「分かった。ちゃんと復帰しろよ。あと納得いくまでジェットコースター乗るぞ。そばを離れるな」

 マルは僕に手を引かれて子ども用ジェットコースターでキャーキャー言って騒いだ。屋上の上空にはテレビ局のヘリコプターが飛んでいた。


「もう、終わりかー」


「こんなに大事になった。狙撃手もいるだろう」


「また会いに行くよ」

 マルは横で倒れて、僕は警察官に保護された。



「怪我はないかい? 県警一のスナイパーだ。恐怖におびえて気弱な君は脱走した猿を建物に誘導し、食べ物も与えた。君はジェットコースターに乗ったのは狙撃手に狙わせるためだった。勇敢だな。病院に行こう」

 振り返るとご令嬢ではなく、袋に血のついた丸顔の猿が入れられるのをみた。



 病院では熱中症で猿が人間に見えていたのだと医師は警察官と家族に説明した。それにしてもよくスナイパーの射線に出たねとも褒められた。


 あんなに大騒ぎして、一匹の猿を殺したのに表彰されて、奇跡の青年と報道された。大学にも記者が来るので、半年ほど休むことにした。同級生の後輩になってもいいと思えからだ。


 二週間後に隣町で立てこもりがあり、犯人像や境遇に話題は移り、そのお陰で公立図書館にも通えた。厚着をする季節になると僕の足は動物園に向いた。


 猿山をみてもどれがマルかもわからない。ウロウロ歩いて園の人を捕まえた。


「あのマルという猿を」


「その説は」

 僕の顔を見て察した女性の飼育員さんに僕はあの暑い日の顛末を話し聞かせた。


「マルは狙撃で亡くなりました。県警一の方で苦しまずに死ねたと、あの子ボスほどじゃないけど、気性が荒くて生まれた後に抱き着かせた子は一人だけ」


「お墓はどこにありますか」

 飼育員さんは首を横に振った。

 


 そうですか、と言ったと思う。

 飼育員さんは悲しい顔をしていたのかもしれない。

 僕は足早に帰宅し、自室に入って鍵をかけた。

 エアコンをつけずに布団に隠れて嗚咽した。


 飼育員さんがくれた昔マルが抱き上げさせた写真の男の子。

 不器用に笑っていて、マルはカメラをみていた。

 君は楽しかったのかな。


 そう思えば思うほど涙は止まらなかった。

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