国を愛した者(短編)
桶底
語られなかった功績
とある小さな王国で、王様は娘の結婚相手を探していた。
条件はただひとつ──「この国を、いちばん愛している者」。
それを聞いた市民たちは大騒ぎとなった。
王女は誰もが憧れるほどの美しさであり、結婚相手は、将来この国を治める立場にもなるのだ。
市民たちはこぞって贈り物を用意し、王様の寵愛を得ようと必死になった。
だが、そんな中でたった二人、異なる態度を取る者がいた。
一人は怠け者の商人だった。
「みんなが頑張ってるなら、俺は寝てていいか」と、いつものようにゴロゴロしていた。
もう一人は、国でもっとも勤勉と評判の彫刻家だった。
社交の場には顔を出さず、代わりに郊外の農村をしばしば訪ねては作業に没頭する、変わり者だった。
その彼が今取り組んでいたのは、老いた王のための巨大な石像だった。
王の偉業を永遠に残すためにと依頼された、国家的な一大プロジェクトである。
ある日のこと。
すっからかんになった商人が街をうろついていると、やつれた彫刻家が工房に戻っていく姿を見かけた。
「しめた。あれは作品が佳境に入った証拠だ」
彫刻家は完成間近になると、周囲のことが一切見えなくなる。
そんな彼の弱点を知り尽くした商人は、足早にその後を追った。
工房に入るなり、商人は陽気な声で叫んだ。
「やあやあ、これはまた見事な石像だ! 君の工房は美術館かと思ったよ」
「……邪魔をしないでくれ。君とは、もう本当に関わりたくないんだ」
彫刻家はうんざりしたようにため息をつき、作業に戻ろうとした。
だが、商人はしつこく笑顔を浮かべながら石像に近づいていく。
「警戒しなくていいって。なにしろ僕は、君の一番のファンなんだからさ」
「近寄るな。頼むから帰ってくれ」
「どうしてそんなにイライラしてるんだい? あ、さてはロクに食べてないな。食料を買ってきてやるよ。さあ、財布を出して」
彫刻家は額を押さえて短く呻いた。
「ああもう……分かった。これでいいだろう。もう来るなよ」
渋々財布を差し出すと、商人はそれをひったくって満足げに工房を後にした。
「いやあ、君の創作を邪魔しないよう、心から支援したいだけなんだよ」
財布を手に入れた商人は、街でやりたい放題だった。
気前よく上等な酒場に入り、出会った市民に奢ってまわった。
他人の金だからこその大盤振る舞いだった。
その豪快な振る舞いに市民たちは感心し、口々に言った。
「案外、商人さんこそ国を愛してるのかもなあ」
「そうだろ? 俺もそう思ってたんだ」
「でも、婿候補は彫刻家じゃないか? 王様は彼の石像の完成を楽しみにしてるらしいし」
「だがな、あいつは社交も知らんし、変わり者だ。あんなやつが王になるくらいなら、商人さんの方がマシってもんだ」
そうして商人は、財布の中が空になると、また彫刻家の工房を訪ねた。
ちょうどそのとき、王の石像は完成間近だった。
「おお、ついに完成か! 応援しててよかったよ。やっぱり、僕が邪魔しなかったおかげかな」
「……君はほんとうに愚かだ。これが完成に見えるのか? それに、もう来るなと何度言った?」
「ひどい言い草じゃないか。財布は空っぽだ。君が食料を頼んだくせに、なんて薄い財布をよこしたんだ。せめて代金ぐらいは払ってくれよ」
「出て行け。気が散って仕方がないんだ」
商人はふてぶてしく工房に居座り続けた。
ついに堪忍袋の緒が切れた彫刻家は、作業を中断し、準備室にこもってしまった。
「ふふん、ちょうどいい」
商人はこっそり準備室の扉に板を打ちつけ、彫刻家を閉じ込めた。
そして石像を担ぎ上げ、王城へと向かった。
「これが完成品として王に渡されれば、名声はすべて俺のものになる──」
そうして、偉大なる王の像は、作者不在のまま、城門をくぐるのだった。
城の大広間には、王に贈り物を断られた多くの市民たちが集まっていた。
そんな中、商人は胸を張って前に進み、彫刻を指差して言った。
「王様のお言葉どおり、ついに作品が完成いたしました!」
「おお、これは立派な……で、彫刻家はどこにおる?」
「さあ、今ごろ酒場で飲んだくれているのでは。『褒美はおまえがもらってこい』などと言い残して去っていきました」
王は残念そうにため息をついた。
「……ふむ、娘を娶らせようかと考えていたのだが、見誤ったか。で、お主は奴の手伝いをしていたのだな?」
「はい。私は常に彼を支えてきました。扱いは酷かったですが、国を愛する心で耐えてまいりました。わずかな報酬も、貧しい市民のために配ってきたのです。この場の皆も、私の行いを見てきたはずです。なあ、皆の衆?」
顔色をうかがっていた市民たちは、商人の“勝ち”を察し、口々に賛同の声をあげた。
「そうだそうだ! 商人さんはいつも施してくれた!」
「まさに国を愛する者よ!」
王は深くうなずいた。
「見事な心根だ。……もしかすると、お主こそが、この国をいちばん愛しておるのかもしれんな」
「光栄に存じます、陛下」
だがその時、場内に鋭い声が響いた。
「お待ちください、王様!」
扉が開かれ、彫刻家が現れた。
「聞きました。私の彫刻が勝手に献上されたと。あれはまだ完成していないのです!」
王は戸惑いながらも尋ねた。
「ならば申してみよ、なぜ未完成なのか?」
「この国は、王様ひとりで成り立っているわけではありません。あの像だけでは、その偉業を語り尽くせないのです。汗を流す農民、働く市民、国を支える無数の人々。そうした者たちの姿がなければ、王様が国そのものを愛しているとは言えないのではないでしょうか」
沈黙が広がる中、王は商人に目を向けた。
「……どう思うかね?」
「王様。あの男は財産も地位も持たぬ者への妬みで嘘を言っているだけです。彼の言葉に耳を貸せば、陛下やこの国を侮辱する者が続出するでしょう。ここは国の秩序を守るため、彼を追放するのがよろしいかと」
王はしばし考えた後、ゆっくりと頷いた。
「……うむ、それがよかろう。そして商人よ、お主を娘の婿に迎えるとしよう」
商人はほくそ笑み、兵に連行されていく彫刻家を満足げに見送った。
太った男の方が、娘を任せるには安心だと王も思っていたのだった。
だが──
まもなく城は大騒ぎとなった。
なんと、王女が姿を消したのである。
結婚の話は立ち消え、国中に捜索命令が出された。
それでも、王女は二度と見つからなかった。
王はその喪失に耐えきれず、次第に正気を失っていった。
無謀な命令を重ね、ついには国そのものを滅ぼしてしまった。
新たな領主がこの地を治めるようになると、これまで王の寵愛に甘えていた上級市民たちは次々に裁かれた。
一方──
追放された彫刻家は、かつて度々訪れていた農村へたどり着いた。
村人たちは彼を歓迎した。なぜなら、彫刻家は王の像を彫りながら、村での農作業を手伝っていたからだ。
やがて彼は、どこからか流れてきた美しい娘と出会い、結ばれた。
その娘こそ、王女だった──という噂は、誰が口にしたのかは分からない。
二人は静かに村で暮らし続けた。
時が経ち、国が変わり、領主が交代しても、ふたりはその場所を離れなかった。
やがて彼らの人柄と技術が新たな領主に認められ、爵位を与えられるに至ったが、それでも彼らは高台の小さな家で、土をいじり、穏やかに暮らし続けたという。
真の愛国者とは、声を張る者ではない。
静かに、他者と土を分かち合う者のことである。
国を愛した者(短編) 桶底 @okenozoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます