第6章 再演と陶酔③
6.2 七海マリア、18歳の処女
6.2.1 脚本とコンセプトの決定
天井の低い雑居ビルの三階、白い扉の向こうにあったその空間は、思ったよりも静かで、そして香水の匂いがした。
うっすらバニラ、でも奥に少しだけ、何かの甘ったるい腐敗が混じっている。
私はそれを、女たちの濃度と解釈した。
「え、外人さん……?え、面接、今日……?」
受付の女性が一瞬固まったあと、すぐに柔らかい笑顔に変わる。
「ごめんなさいね、ちょっとだけ待っててね〜……店長呼んでくるから」
“Yes… thank you. わたし、まちますか?”
私は笑顔を浮かべ、カタコトの日本語に英語を混ぜる。
唇の角度、顎の傾け方、声の高さ。
“Too many polite. A bit… nervous. First time, yes,” と心の中で台詞帳を確認する。
──少しして、金のネックレスをした中年の男が出てきた。
丸眼鏡、口元に笑みの癖がある。彼がこの店の店長なのだろう。
「えっと……エミリーさん、でいいのかな?」
面接室に連れていかれ、扉が閉じられると、空気が少しだけ硬くなった。
白いソファとガラスのテーブル、壁には薄桃色のカーテンがかけられ、ほんのり甘い香りが漂っている。
私は笑顔をつくりながら、小さくうなずいた。
「Yes, but… Japanese name is okay too. I try to learn… にほんご, little by little.」
「そっかそっか〜。じゃあ、こっちの名前で呼ぶね。……えっと、エミリーちゃんはこのお店、Aroma Fleur(アロマ・フルール)では、「七海マリア」ちゃん。これ、うちで使う名前だよ。どう? かわいくない?」
「マリア……? Ah… きれいな名前。Like… angel, maybe?」
「そうそう、そんなイメージ! うちのコンセプトにぴったりだからさ。清楚で、ロリで、処女で、ね?」
店長はにこやかに笑ったけれど、その目は、奥の奥まで透かして覗き込もうとするようだった。
私はそれに気づかないふりをして、目を丸くしてみせた。
「しょ、しょじょ……? That word… I don’t know. What is?」
「うんうん、大丈夫だよ。あとで教えるからね。」
机の上に並べられた資料。
すべて漢字がぎっしり詰まっていて、日本人でも一瞬たじろぐような語彙が並ぶ。
『出勤体系』
『指名・オプション料金』
『制服・衣装規定』
『サービスグレード一覧』──
ぜんぶ読める。
読めるし、理解できる。
でも。
「ごめんなさい……ちょっと、むずかしい。Kanjis… so many. I…がんばるけど、まだ、ぜんぶは…」
「そっかそっか、えーっと、日本語ちょっと難しいかもだけど……説明するね?」
私はコクリと首を縦に振った。
「If it’s hard… I try to understand, slowly」
「うんうん、OKOK」
「これ、うちのシステムとルールね。一応、読んでもらって……って難しいかもだから、簡単に言うと──」
彼の声は親切だったが、その内容は残酷なまでに現実的だった。
基本の制服は3種。
白のワンピース、ピンクのベビードール、そして純白ビキニ。
他にもオプションで、コスプレもある。
オプション料金は詳細に定められ、コードネームで記載されていた。
“C”はキス、“F”は指入れ、“G”はゴムあり本番、“S”は聖水プレイ──
「Sorry…この、ちょっと、むずかしい……Cって、what is?」
「あっ、ごめんごめん、これは……えっと……キスね。お客さんと、ちゅーするの」
「Oh… OK. Kiss……」
私は意味がわかっているくせに、知らないふりをして首をかしげた。
「This… we must do?」
「ううん、強制じゃないよ。全部オプションだから、自分で決めていいの」
「I see…あんしん、しました」
私は資料をめくるふりをしながら、項目ごとの価格帯、セット料金の設計、フロントスタッフの人数と対応能力、女性陣のレベル感、そして会話のなかの「地雷嬢」「出戻り」などの単語から、既にこの店の構造を解読しはじめていた。
「大丈夫大丈夫! マリアちゃん、まだ18歳でしょ? ハーフだし、日本語わかんなくて当たり前!」
「ありがとう……やさしい。」
私の微笑みは、彼らにとって完璧な“幼さ”と“従順”に映っているだろう。
ほんの少し発音を崩して、助詞をわざと間違える。
理解できないふりをすると、相手の説明はいつも“本音”に近づく。
「お客さんはね、こういう子が大好きなんだよ。何も知らなくて、ちょっとビクビクしてて。守ってあげたくなるっていうかさ」
「こわい…でも、I want to try. I want to do… good job。」
口元だけで笑いながら、私は脳内でメモを取る。
オプション価格一覧──
「Gコース」「Fコース」……
“清楚系”と“ロリ巨乳”の差別化、制服+水着+ナース服+学生服──
衣装の棚は撮影用と実務用で分かれている。
「制服はMサイズ、でもマリアちゃんの体型なら、Sのほうが映えると思うよ。カップも……うん、Gあるんだよね? ちゃんと書いておいてくれてたから」
「Ahaha… big is…恥ずかしい、maybe?」
***
研修室に案内されると、先輩の女の子がにこにこと立っていた。
ふわふわの茶髪、きらきらの目。
ああ、これは“優しい先輩”の演技。
でも──
「マリアちゃん、よろしくね〜。最初って、ほんと不安だよね。でも、だいじょうぶ。私も最初、ぜんぜんできなかったから」
「ほんと…? Thank you…ほんとに、うれしい」
私の前には制服──
白のワンピースとビキニ、ピンクのベビードール、それから「童顔ロリ清楚系」に見せるための制服アクセやカチューシャが差し出された。
「じゃあ、今日からマリアちゃんの研修、はじめるねー」
「研修……? Study?」
「うんうん。お客さんの前で、どう言うか、とか。たとえば……こう言ってみて?」
彼女がウィンクしながら言った。
「『わたし、はじめてだから……やさしくしてね?』」
「え……」
「Repeat after me〜」
私は笑顔を浮かべたまま、もう一度、ゆっくり繰り返した。
「……わたし……はじめて、だから……やさしく、して、ね?」
「うん、それでいいよ。最初はね、”わたし、はじめてだから……”とか、”すこし、こわい。でも……がんばる”とか、そういうセリフを練習してもらうの。わかる?」
「わたし……はじめて、だから……すこし、こわい。でも……がんばる……」
片言の発音が、室内にやわらかく響く。
店長とスタッフが頷き合うのが見えた。
「バッチリじゃん、もう! その調子!」
「上手! かわいい! やっぱハーフって得だよね〜。あっ、ごめん、悪い意味じゃなくて!」
「No, no. It’s okay. I happy you say “kawaii”. Thank you…せんせい?」
「ふふ、先生だなんて〜!」
そのとき、私の中で何かが軽く震えた。
──「教えられる」こと。
それは“従属”であると同時に、“支配”でもある。
私は、いま、支配されながら、同時に彼女たちを観察し、計測し、すでに超えている。
私は“教えられる者”を演じながら、“すでに知っている者”として、彼女たちの語るルールを記号として記憶する。
「七海マリアちゃん、いけると思うよ。見た目もバッチリだし、キャラもいいし」
「Thank you…ほんと、がんばる」
──この名前、響きの柔らかさ、平仮名と片仮名のバランス。
わたしがこの場で即座に「気に入りました」と言わないのは、それが与えられた記号であるように見せるため。
でも──
「七海マリア」。
私がこの夜、演じることを決めた新たな“私”の、最初の音だった。
6.2.2 18歳ハーフ処女の作法
制服は、畳まれた状態で袋に入れられていた。
胸元にピンクの刺繍で「Maria」と書いてある。
スカートは短く、フリルの縁にリボンが縫い付けられている。
下着も、肌に馴染むピンクのレース。
私はそれを指先で撫でた。
これは衣装じゃない、これは設定。
これは、“身体”の一部。
ホテルのように仕切られた待機所の一角で、私は鏡に向かって口角の角度を確認する。
「……ちょっと nervous な顔、OK、maybe better。」
「マリアちゃん? こっち来てくれる?」
スタッフの女性の声が、薄いカーテン越しに聞こえる。
私は振り返り、小さく首をかしげる。
「Ah, yes, I’m coming… ごめんなさい、すこしだけ dress にit took a long time. …」
「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから。今日が初日なんでしょ?」
「Yes… はい、はじめて、です……very nervous。」
私は椅子から立ち上がり、少しだけ内股で歩くように意識しながら、カーテンの向こうへ出た。
そこには、すでに制服姿の女の子たちが三人、ソファに並んで座っていた。
皆、若く見える。
けれど視線は油断なく、私の脚元から胸元までを一瞬でなぞっていた。
「かわいいじゃん、マリアちゃん。ほんとにハーフ? 何人と何人?」
一番右にいたロングヘアの子が言った。
私は、一拍遅れて笑顔をつくる。
「Mom is Japanese, dad is British… えっと、イギリスじん…?」
「へー、じゃあ英語ペラペラ?」
「Yes,I speak English.…にほんご、むずかしい。でも、がんばります……」
「わっ、なんかほんとに“それっぽい”じゃん」
「てかこの子、ガチの処女キャラで売るらしいよ。プロフィール見た?」
「うそ……え、処女? マジで?」
「Yeah… virgin, I mean… I have so many……しらないこと…たくさんです……」
声をわずかに震わせるようにして言った。
日本語の語順をわざと崩し、あどけなさを演出する。
それは“恥ずかしさ”ではなく、“技術”だった。
技術としての処女性、演出としての“純粋さ”。
「怖くないよ、大丈夫。新人のときって、みんなガチガチなんだから」
隣にいたスタッフの女性が言った。
優しい声色。
私は一瞬だけ目を伏せてから、顔を上げる。
「……こわい。でも、だいじょうぶ。I’ll do my best……」
「偉いねぇ、マリアちゃんは」
「ありがとうございます……」
私はもう一度、鏡に映る自分を見た。
金茶色のセミロング、うっすらローズのリップ、まつげの影。
制服の胸元、レースの下着のラインがかすかに浮き上がっている。
そこには、“七海マリア”という異物が完璧に存在していた。
「This is me, right…? This is… the real me now.」
私は心のなかで英語でつぶやいた。
英語のほうが、こういう自己肯定は自然に感じる。
なぜなら、Emilyはイギリスと日本のハーフで、そして今は18歳の、ロリ巨乳の処女。
私は、その役を完璧に演じる。
「……がんばります。First day…… very special, ね?」
誰にともなくそう言って、私は鏡の前でそっと唇をすぼめて笑った。
舌足らずで、どこかぎこちないその仕草は、計算ではなく、戦略だった。
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