十円オムライス

六散人

【01】

俺は大阪の片隅にある工場街で、小さな食堂を経営する、しがない五十男や。

家族はおらんし、両親はとっくに他界して、兄弟とは事情があって絶縁してるねん。

その分、気楽っちゃあ気楽な人生なんやけどな。


店は昼頃に開けて、夜の十時頃まで営業してるねん。

昼間は近所の工場こうばの工員さんらが昼飯食いに来てくれるし、夜は夜で工場の社長連中が安酒呑みに集まってくれてる。


店はカウンターが五席、四人掛けのテーブルが三つの些細な造りや。

当然のことながら、店の儲けも知れてるわな。

まあ養うべき家族もおんのやから、自分一人喰っていく分には、それくらいの儲けで十分やねん。


亡くなった先代から、二十代で店を継いで三十年余り。

先代は厳しかったけど、しっかり鍛えてもらったおかげで、何とかこれまでやってこれたんや。


今では体力の続く限り店を続けて、後は死ぬだけかな――なんぞと達観してるんや。

まあ五十過ぎて、最近はちょっと体がきつなり始めたんやけどな。


発端はある日近所で起きた出来事やった。

その日の朝9時過ぎ、俺は何時ものように近所の市場に買い出しに出掛けててん。

その帰りに店の近くまで来た時、人が集まって、何やえらい騒ぎになってるのに出くわしたんや。

場所は近所にある木造二階建ての、古いアパートの前やった。


この辺にはこの手の安アパートがようけあって、身寄りのない年寄りや一人親家庭の親子がいっぱい住んでんねん。

他に比べて、家賃が格段に安いせいやねんけどな。


近くまで行くとパトカーやら救急車やらが止まってるし、豪い人だかりが出来とったから、俺は何事やと思って見にいったんや。

どうも尋常なことではなさそうやった。


「社長、何かあったんでっか?」

俺は人だかりの中に近所の工場の社長さんを見つけて、声を掛けてみてん。

その人は國本さん言うて、うちの食堂の常連さんやねん。


「ああ哲ちゃんか。

豪いことやねん。

そこのアパートに住んでた母娘おやこなんやけどな。

母親の方が、どうも餓死したみたいやねん」


俺は國本社長の言葉を聞いて、思わず「はあ?」と声を上げててん。

この先進国日本で、餓死なんか在り得へえんやんか。


「餓死ってなんですのん?

今の日本で、そんなことあるんでっか?」

俺は思わず、國本さんに詰め寄ってしもうたわ。

そしたら國本さん、困った顔して言いはってん。


「哲っちゃん、あんた知らんかもしれんけどな。

最近は貧困家庭が、ごっつう増えてるらしいんや。


一人親家庭だけやなく、身寄りのない年寄りの一人暮らしとかな。

そういう家庭はな、結構悲惨なことになってるようやねん。


ここの家も母親が娘にだけは飯食わそうとして、自分はろくすっぽ飯も食わんとおったらしいねん。

挙句の果てに体壊して、病院にも掛かれんと、とうとう栄養失調で亡くなってしもうたらしいんや」


「そんなん、生活保護とかあるんでっしゃろ?

役所の方で、何とかならんかったんでっかいな」


國本さんの説明を聞いて、俺は益々腹が立ってしもうてん。

だってそうやろ。

こういうことが起こらんように、僅かずつでも税金納めてるやんか。


「わしに言われてもなあ。

せやけど今時生活保護も、中々貰うのん厳しいらしいで。

役所も苦しいんちゃうかなあ」


國本社長が更に困った顔でそう言うのん見て、俺は我に返った。

そして何で俺、見ず知らずの他人のことで、こんな興奮してるんやろうと思うたわ。


多分それは、俺が人様に食べもん出す商売してるからかも知れん。

せやから餓死と聞いて、余計に割り切れんもんがあったんやろうな。


「子供の方はどうなりますのん?」

俺が訊くと、社長は「養護施設に入るんちゃうかな」と、目をしょぼつかせはった。


この人も辛いんやろうなと、その時になって俺は思うたわ。

國本さんは世話焼きな人で、近所の人間の面倒を、よう見てはんねん。

多分亡くなった母親のことも、気にしてはったんやろなあ。


何ともやるせない気分のまま、俺は昼の仕込みのために食堂に戻ったんや。

せやけど納得いかん気持ちは、中々収まらんかった。


俺如きが嘆いたところで、世の中変わらんのかも知れんけど、それでも何や腹立って、気分がもやもやしてなあ。

そんな鬱陶しい気分は、その日一日ずっと収まらんかったわ。


それから一週間くらい経ったある日やった。

昼飯の時間も過ぎて、洗いもんも済ませて、一服しよかと、ふと店の外を見た時やってん。


ガラス張りの店の戸の前に、一人の女の子がぽつんと立っとったんや。

小学校低学年くらいに見える子やった。

見るからにみすぼらしい身形みなりで、一目で貧しい家の子なんやと分かったわ。


俺はこの間の餓死した母親と、後に残された子供のことをずっと引き摺ってたから、店の戸を開けて、ついその子に声を掛けてしもてん。

「お嬢ちゃん、もしかしたらお腹空いてんのんか?

そやねんやったら、お金いらんから、入って食べていき」


そしたらその子、ジッと俺のことを見上げてたと思うたら、踵を返して走って行ってしもうてん。

俺は内心、「しもた」と思うたわ。


いくら小さい子でも、やっぱりプライドがあるやろうしな。

調子に乗って、いらんこと言うてしもうたと、後悔したわ。


それから15分位経った時やった。

さっき店の前に立ってた子が戻って来てん。

一人やなしに、小さい男の子を連れて。


すぐにその子の弟やと分かったわ。

女の子と顔立ちがよう似てたからな。

俺が飯食わしたるて言うたから、弟呼びに行ってんなと思うた。


「入っといで。

すぐに何か作ったるから」

俺が子供らに声を掛けたら、今度は素直に店に入って来てくれたわ。

何でか分からんけど、無性に嬉しかったな。


俺は迷わず、オムライスを作ってん。

オムライスは俺がこの店の先代に、最初に褒めてもろた料理やったから、ちょっと自信があんねん。


ケチャップたっぷりかけて子供らに出したら、二人とも夢中になって食べてくれたわ。

よっぽどお腹減っててんやろな。

その姿を見てたら何や切のうなって、柄にもなく泣きそうになってしもうた。


食べ終わった子供らは、二人揃って恥ずかしそうな顔で「ありがとう」って頭下げてくれてん。

その健気な姿が何とも愛おしなって。

「遠慮せんと、明日も食べにおいでや」

ついそんなことを言うてしもうてた。


その次の日の夕方4時頃やった。

昨日の姉弟がまた店に来てんけど、二人だけやなかってん。

母親と一緒に訪ねて来たんや。


姉弟の母親は店に入ってくるなり、申し訳なさそうな顔で頭を下げはってん。

「昨日はこの子らがお金も払わんと、すみませんでした。

今日は代金をお支払いに来ましてん」


母親は見るからに痩せ細って、栄養が足りてないのが丸分かりやった。

その姿を見てしもうたら、この間の餓死した母親のことを思い出してしもてな。

大きなお世話と思いながら、つい言うてしもうたわ。


「昨日のお金なんかいらんよ。

俺が勝手にその子らにおごっただけのことや。


そんなことより、あんさん飯食うてないんとちゃうんか?

見るからにしんどそうやで」


俺の言葉に、母親は俯いて黙り込んでしもうた。

よう見たら、ぽろぽろ泣いてはんねん。

子供らはそんな母親を、不安そうに見上げてたわ。


その様子を見てしもうたら、何とも言えん気持ちになってなあ。

つい口に出してしもうたわ。

「ええからそこ座り。

何か作ったるから」


「そやけど、親子揃ってご迷惑をかける訳には」

「迷惑なんかやあらへん。

俺が勝手にやってることや」


「せやけど」

そう言うて申し訳なさそうな顔をする母親の気持ちも、俺にはよう分かった。

せやから思いつきで言うてしもうたんや。


「よっしゃ。

そんな気い使うんやったら、料金貰うわ。

ただし、一食十円や。三人合わせて三十円。

それ以上は貰えへんで。ええな?」


何で十円やったかというと、世の中に<十円食堂>いうて、貧しい子らやお年寄りを一生懸命助けてる人らがおるのを聴いてたからやねん。

そんな人らと自分みたいなもんを比較するのは烏滸がましいと思ってんけど、咄嗟に口にしてしもててん。


母親は俺の言葉を聞いて、「すんません」と頭を下げた。

相当きつかったんやろうな。

俺まで泣きそうになったわ。


そんな気分を振り払おう思て、俺は子供らに訊いてん。

「今日は何食べたい?」

そしたら子供ら、嬉しそうに声を揃えて言うたんや。

「オムライス」


その声聞いて俺は嬉しなってな。

何でか言うと、オムライスは俺の自慢の料理やからな。

せやからつい口に出してたわ。


「十円オムライスか。

よっしゃ、任しとき。

美味しいのん作ったるさかいな」

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