此処に在る私
瞬遥
プロローグ
カーテン越しに射し込む陽光が、まどろみの中の意識を優しくくすぐる。
蝉の声が窓の向こうでジジジ、と夏の空気をかき回していた。
重たいまぶたをゆっくり開ける。
天井が、いつもと違う。
いや、それより――
胸の上に感じる、微かな重さ。
寝汗にじんだTシャツが、妙にピタリと肌に貼りついている。
「……ん?」
声が、違った。
少し高く、柔らかい――
どこか自分のものじゃない、けれど耳に馴染んでいる奇妙な響き。
理史は瞬間的に体を起こした。
が、その反動でTシャツの裾がふわりと膨らみ、胸元から目を背けられなくなる。
ふたつの丸い膨らみ。
明らかに“男”にはないもの。
「……は?」
心臓が、ドクン、と強く跳ねた。
慌てて布団を払い、全身を見下ろす。
脚が細い。
くびれがある。
腕も華奢だ。
筋肉質だったはずの身体は、どこか線が柔らかく、丸みを帯びている。
目を見開いたまま、ベッドから転がり落ちるように飛び出す。
足取りがどこか心もとない。
身長が――
低い。
視点が、10センチほど沈んでいる。
「……夢、だよな?」
床を這うようにして洗面所へと向かい、鏡に手を伸ばす。
冷たい陶器の感触、ツルリとした洗面台。確かに現実だ。
恐る恐る、鏡をのぞく。
そこにいたのは、自分に「似た」美しい女だった。
ぱっちりとした目、滑らかな肌。
黒髪は肩にかかる寸前で切り揃えられ、寝癖がハネている。
唇がやや厚く、鼻筋は通っていて――
でも、確かに“理史の顔”の面影があった。
「……誰だよ……お前……」
触れる指先の動きに、鏡の中の女がピクリと同じ動きを返す。
そっと頬をつねる――
「い、ってぇ……」
頬の柔らかさも、痛みも、本物。
鏡の奥の女が、涙目になっていた。
立ち尽くす足元から、ジワリと冷たい不安が這い上がってくる。
肌の内側を、モヤモヤとした焦りと困惑が、じくじくと這い回る。
自分は誰だ?
ここはどこだ?
どうして、こんなことに?
慌てて洗面所を飛び出し、スマホを手に取る。ロック解除の指紋は通った。
だが、待ち受け画面の写真に写るのは――
この女だった。
通知欄に並ぶLINEやメールも、「山城理彩」宛のものばかり。
「理彩……? 誰だ、それ……」
身分証を確認する。
名前は、山城理彩。
性別、女。
顔写真は……
やはり、この「女の自分」。
なにもかもが、自分じゃない「自分」に塗り替えられている。
バクバクと心臓が暴れる。
呼吸が浅くなる。
喉が乾く。足が震える。
思考がぐるぐる、ぐるぐると回って――
そのとき。
世界が一瞬、静まり返った。
蝉の声も、冷房の機械音も消えた。
そして、どこからともなく――
声が、響いた。
「14日以内に『真実の自分』を見つけよ。
さもなくば、お前の存在は世界から消える。」
低く、澄んだ、全てを見通すような声だった。
耳ではなく、心に直接語りかけられるような感覚。
声の主は見えなかった。
ただ、確かな実在感があった。
「な、何だよそれ……!」
問い返す声は、またしても女の声。
自分のものであって、自分のものじゃない声。
全身に冷や汗がにじむ。
じっとりと、体温が肌に張りつく。
「……冗談、だろ……?」
けれど、それが冗談ではないことだけは、確信できた。
世界が再び音を取り戻すと、蝉の声が耳を刺すように響いた。
あまりに日常的で、だからこそ、異常だった。
そして、理史――
いや、「山城理彩」としての新たな現実が、ゆっくりと幕を開けた。
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