ごめんね
シンが“呼吸”を楽しむのを、カギモリはまるで幼児を慈しむ親戚のような眼差しで見つめていた。
その眼差しに気付き、シンはちらと想像する。
カギモリはどうだろう。
呼吸の仕方を、思い出せるのだろうか。
彼はどれだけの時間、カギモリとしてここに居るのだろう。
それは、突然だった。
鍵束がざわりと揺れ、穏やかだったカギモリの目がきっと鋭くなる。激しく体をぶつけられ、シンはカギモリに抱えられるように転がっていた。
シンのいた場所に叩きつけられたのは、黒い影。黒猫のしっぽのような、それでいてそんな可愛らしいものではない。
あんな勢いで打たれれば、無事では済まない。
「呼吸をやめて」
シンをセカンドバッグのようにひょいと小脇に抱え、カギモリは右に左に飛び
呼吸をやめると、なんだか息苦しい気がした。気がするだけだと理性で分かっているため、邪魔にならないよう動きを止める。
カギモリがヒュ――と口笛を吹いた。迷子の動きが鈍くなる。
「じっとしていてね」
カギモリはシンを一瞥して言ったが、言われるまでもなくシンは腰が砕けたようにへたりこんでいる。
あの不思議な口笛には抗えない。
カギモリは、迷子の殴打を避けながら器用に蒼い弓を構えた。
その動作に見惚れた刹那、しなる黒い腕が、カギモリの脇腹を捕らえた。
「カギモリ!!」
シンは叫ぶ。
吹き飛ばされたカギモリは地面に叩きつけられたが、素早く身を翻して立ち上がる。弓はしっかりと握られたままだ。
身軽にまた黒い影を避け始めたが、やはり痛みはあるようだ。
見たことのない、歪んだ表情をしている。
「カギモリ……」
「大丈夫だよ」
僅かに苦笑し、迷子に向き合う。
「可哀相に」
再び
「自分の姿を失い、もう何も思い出せないだろう」
この迷子も、元はといえば自分と同じ立場だ。
カギモリから逃げたのだろうか。
いつしか姿を失い、黒い影となり、道を探す迷子になってしまったのだろうか。
ヒュ――と口笛が響き渡る。
カギモリが弓を引くと、先ほどまではなかった矢がそこにあった。
「ごめんね」
泣きそうな声で、カギモリが小さく呟いた。
放たれた矢は、遥か彼方まで弧を描いて飛んでいく。
それは迷子の黒い影の根元だろうか。
一拍置いて、矢が当たったと思われる個所から、まるで砂のお城が崩れるように黒い影がぼろぼろと壊れていった。
終わってみれば、それはほんの刹那の出来事だった。
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