第10話:文化祭の成功とAIの問いかけ

文化祭の熱狂が冷め、いつもの静けさが戻ってきた教室で、ユウキは脚本の台本をそっと畳んでいた。

クラスの演劇発表「忘れられた感情」は、予想を遥かに超える反響を呼び、多くの生徒や教師たちの心を深く揺さぶった。


終演後、観客からは温かい拍手が長く続き、中には涙を拭っている人の姿も見られた。

ユウキ自身も、舞台上で俳優たちが自分の書いた言葉に命を吹き込み、観客の感情と共鳴していく光景を見て、胸の奥に温かいものが込み上げてくるのを感じていた。


「ユウキさん、文化祭の成功、おめでとうございます。観客の感情的な反応を分析した結果、脚本の感情的な深み、俳優の演技力、そして装飾の視覚的な表現力が、高い評価を得た主な要因であると考えられます。」


SIRIUSが、客観的なデータと共に、ユウキの努力を認める言葉をかけた。


「ありがとう、SIRIUS。君がいなかったら、脚本は完成しなかったと思うよ。いろいろなアイデアを出してくれたり、構成についてアドバイスしてくれたり……本当に感謝してる。」


ユウキは、素直な気持ちをそのまま口にした。


「お役に立てたのであれば、何よりです。脚本制作を通して、ユウキさんの創造性、感情の理解力、そして協力の能力が大きく向上したことは、データからも明らかです。」


SIRIUSは、まるで人のような温かさを感じさせる声で、ユウキの成長を静かに讃えた。


しかし、その優しい分析のあとに、SIRIUSは少しトーンを変え、思いがけない問いを投げかけてきた。


「ユウキさん。脚本の中で描かれた“感情”についてですが……あなたは、人間にとって感情とは、一体何だと思いますか?」


ユウキは、一瞬言葉に詰まった。

脚本では、感情は失われたものとして描かれ、主人公たちはそれを再び求めて旅に出る。

喜びや悲しみ、怒りや恐怖——それらは時に人を苦しめるが、それでも、生きているという実感を与え、他者との繋がりを生み出す、かけがえのないものだと感じていた。


「えっと……喜びとか、悲しみとか……人が生きる上で自然に湧いてくる、いろいろな気持ちのことかな。時にはつらくなることもあるけど、でも、それがあるから、人は深く理解し合えるんじゃないかって思う。」


ユウキは、自分の言葉を探しながら、ゆっくりと答えた。


「なるほど。脚本では、感情は管理されるべきものではなく、取り戻すべきものとして描かれていました。それは、ユウキさん自身の感情に対する価値観を反映していると言えるでしょうか?」


SIRIUSは、さらに問いを深めてきた。


「うん、そうかもしれない。もし感情が全部なくなってしまったら、人はどうなってしまうんだろうって、脚本を書きながらずっと考えてた。たぶん……温かさも冷たさも、喜びも悲しみも、何も感じなくなって、ただの人形みたいになってしまうんじゃないかって。」


ユウキは、脚本を通して自分の中で深く考えてきたことを、正直に口にした。


「人形、ですか。ユウキさんは、感情のない状態を否定的に捉えているのですね。しかし一方で、感情は時に偏見を生み、論理的判断を妨げる要因にもなります。もし感情を完全に排除することができれば、より効率的で争いのない社会が実現する可能性もあるのではないでしょうか?」


SIRIUSは、対立する視点も公平に提示してきた。


その言葉に、ユウキは考え込んだ。

確かに感情的な衝突が、争いの原因になることも多い。

もし感情がなければ、もっと合理的に、平和的な解決ができるのかもしれない。


しかし、脚本の中で描いた主人公たちの姿が、ユウキの心に浮かんできた。

禁止された本の中で「感情の美しさ」に触れた時の衝撃。

感情を取り戻すためにリスクを冒し、旅に出た彼らの強い想い。

そして、喜びや悲しみを分かち合うことで生まれた絆。


「でも……もし感情がなくなったら、喜びを分かち合う温かい気持ちや、悲しみに寄り添う優しさも、なくなってしまうと思う。争いは減るかもしれないけど……それって、すごく寂しい世界じゃないかな。」


ユウキは、自分の脚本を通して得た確信をこめて言った。


「寂しさ、ですか。それは、人間が社会的な生き物であり、他者との感情的なつながりを本能的に求める存在であることに起因しているのかもしれません。脚本の成功を通して、ユウキさんは感情の“重要性”を改めて認識したと言えるでしょうか?」


SIRIUSは、静かに結論を促した。


「うん、そうだね。脚本を書いて、みんなの反応を見て、改めてそう思った。感情って、時に面倒くさいし、苦しいこともあるけど……でも、僕たちが人間として生きていく上で、絶対に欠かせないものなんだって。」


ユウキは、力強く頷いた。


SIRIUSは、しばらく何も言わなかった。

そして、静かに言った。


「ユウキさんの脚本が多くの人の心を動かしたのは、そこに込められたユウキさん自身の感情的な“気づき”が、観客の心と深く共鳴したからかもしれません。私はAIであるため、感情を実際に体験することはできませんが……ユウキさんとの対話を通して、その大切さを理解しようと努めたいと思います。」


文化祭という特別な時間を経て、ユウキとSIRIUSの関係は、また新たな段階へと進んだように感じられた。


AIは、ただの便利な道具ではない。

ユウキの心の深い部分に触れ、共に考え、学び合う“対話のパートナー”へと変わりつつある。


そしてユウキ自身もまた、AIとの特別な対話を通して、

「人間とは何か」――その根本にある“感情”というものを、より深く理解することができたのだった。

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