ep14. 川崎の魔女たち
「アンは、コード進行がメジャーやのに、マイナースケールしか弾かへんな? 」
「マイナーペンタトニックスケールしか知らんのよ」
ジャズ喫茶クロスロード。
クロスロードは、ブルースの名曲であり、それをカバーしたロックの名曲でもある。正確には、Crossroads だけどね。ジャズじゃないじゃん? って気がするけど、音楽を聴ける喫茶店を総じてジャズ喫茶と呼んでいたのかな? 魔暦前より遥か昔、太古の事なので、俺にはよく分からないけど。
住宅環境の厳しい今こそ、こういう店があったら俺は通っちゃうんだけどなあ。コミュ障だから、常連になるのは難しいだろうけど。
クロスロードの名が示す通りに、ここではかつて、あるギタリストが悪魔と取引をして、その魂を奪われた。その奪われし魂を返却するために、そのギタリストを召喚したところ。
召喚の魔法陣の中に居たのは、俺の師匠だった。
この世界は狭過ぎる。
府中街道でピックアップした幼女は俺の妹だったし。
漆黒王が遺した最後の契約、大ヒットした曲の著作権者は、俺の師匠だった。
売れないバンドマンが飲み代として置いていったのは、著作権そのものではなくて川崎信用金庫の通帳だった。ロッカーが、信用金庫で口座作ってんじゃねぇよ。草生えるわ。ま、それは単なる偏見だから、ともかく。
その口座には、唯一のヒット曲の印税が未だに入金され続けている。どういう魔法を使ったのか定かではないが、きちんと税務処理もされたキレイな金だ。多少、むしった形跡はあるが、本来飲み代として供出されたものであるから、違法では無いだろう。知んけど。知ったこっちゃないけど。
俺の師匠は年齢不詳で、年中セーラー服を着ているスケバン堕天使。この店にあった若い頃のメイクばりばりで革ジャンなんか着てる写真を見ても、口座の名義を見ても、気付かなかったんだよね。確かに師匠は、「俺は十字路で悪魔と取引をして魂を売っちまったんだ」なんて、酔うと言ってたけどね?ロッカー的な中二病の発露だと思ってた。まさか、事実だったとはね。
通帳の名義に至っては、「幻想獣院凶子」だし。誰だよ、それ。
令和の今では考えられない。昭和の日本では、身分証明書の提示もなく、真名で銀行口座の開設が出来たの?
魔導大戦の頃の師匠の真名だそうだ。本名は、
今俺達は、通帳を受け取りにクロスロードまでやって来た師匠と、店内でセッションごっこをしている。ごっこ、なのは俺がコミュ障で、そんなもの経験無いからだ。師匠はベースで、ドラムは、師匠がパソコンで打ち込んでくれた。まるで、魔法に見えた。俺のパソコンにそんな事が出来るアプリなんて入ってたのか。知らんかった。
なお、殿下は俺に「うるさい」と言われてから、ベースを弾いていない。押し入れに籠って密かに練習していたのは知っているが。
「コード進行って言ってもパワーコードなんだし、メジャーもマイナーも無いだろ?」
「確かにパワーコードとマイナーペンタトニックスケールさえマスターすれば、お前もロックギタリストだとは教えたが」
実を言うと、スケールを理解したのも、つい最近なんだよね。適当に弾いているうちに「お? この音の並びカッコいい!」って気付いて、「これがマイナーペンタトニックスケールってやつか!」と、やっと理解した。ギターを初めてから20年目にしてやっと。
「しかしなあ、それマイナーペンタちゃうで。なにそれ?」
「ダミアンスケールだよ」
「なんそれ? エオリアンかなあ? でもルートの解釈が違うような」
師匠は、もう定年退職したそうだ。暇なので、いい加減にしかやらなかった音楽理論の勉強をしているとか。パソコンのDAWソフトの扱い方も、最近覚えたそうだよ。
定年、といっても俺と似たようなもので、何処かの正規雇用だったわけでは無い。幻想獣院凶子とは別の名義で、楽曲を地下アイドルに提供したり、イベントのプロデューサーの様な事を、音楽業界の片隅でやっていた。好きな事を職業にして老後を迎えたのだから、羨ましい限りだよ。
フリーランスだったので年金は少ないが、印税はそこそこ入る。悠々自適ではないが、横浜の山の中に引き籠もって、好き勝手に生きている。俺の、目標のひとつ、である。やはり、彼女は生涯不変で俺の師匠だ。俺の中では、母親でもある。
「あ、マジで、港の横の堕天使が居る」
「殿下? なんでまだ子供なの? そこに居る娘と変わらないんだけど!?」
港の横と言えば、横須賀と横浜の事だが。何で師匠はインチキ関西弁なんだろうか? それも師匠の謎だ。
「あんたこそ、昔からちっとも変わってないどころか、若返ってないかい?」
殿下の母親である響子陛下が、まだ殿下だった頃に、師匠とはこの店で会っている。ほんと、世界は狭いよ。もしかしたら、俺も会っているかもな?
「その格好だと現役女子高生でも通じるよ? よく補導されずに夜の銀柳街を抜けて来れたね?」
いや、あんたもね。幼女が金曜夜の繁華街をひとりで出歩くんじゃないよ。ここは、川崎だから、多少は緩いのかも知れんけど。まあ、実態は俺と同学年なんだけどね。師匠が、うちの殿下を見て、なんでまだ子供のままなの!? と騒ぎ出したので、それは殿下だけど殿下じゃない、って事で、陛下を召喚したのは俺なんだけどね。迎えに行く前に、ひとりで来てしまった。
俺の周りって、俺自身も含めて年齢不詳な生物しか居ない。
俺も、つい最近、新聞の勧誘に「お父さんか、お母さん居る?」って言われた。
「なるほど。姉さんが、老害ロック世代なのは、この師匠の影響なのね?」
殿下は勝手に察して納得しているが、そういう事だ。
俺が、80年代のハードロック、主にジャパメタと呼ばれるジャンルを、未だに至上としているのは、師匠の影響が大きい。ジャパメタって言い方は、好きじゃないけどね。分かりやすく言えば、そういう界隈。60年代ロックも、70年代ハードロックも、80年代メタルも好きだ。90年代以降は、あまり新しいのを聴いてないから、確かに老害かもね。
「師匠と姉さんは、どうやって巡り合ったの?」
「こいつ、早朝の15号線でヒッチハイクしとってん」
「何処かで聞いたような話ね?」
当時の俺は、リアル幼女だった。電車に乗って西日本の端っこにある地方都市から出て来て、多摩川の手前でなんとなく電車を降りてみたのだ。何故、あの時そうしたのかといえば、東京という魔界に入る前に、臣下となる魔獣を召喚して護衛にしよう、そんな風に考えた記憶がある。さすが、血の繋がった姉妹だよね。殿下は、20年後に同じ事をしてる。
電車に乗ってる間は、無害そうな大人の側に居て親子に見えるように擬態した。車掌が来たら寝たフリなどでやり過ごした。幸運と言って良いのか、俺は途中で補導も保護もされる事なく、川崎まで辿り着き、師匠に出会った。
師匠は俺と違って、すぐに母親に連絡を入れた。師匠もコミュ障だけど、喋り過ぎる方のコミュ障だった。どういうやり取りをしたのか、師匠は母親の許可を取り付けて、俺を合法的に連れ回してくれた。その時は、1週間程、師匠の元に居た。最後は、家まで送り届けてくれて、母親とすっかり意気投合していた。
母親公認となった師匠の元へ、その後も長期休暇の度に押しかけて入り浸った。
俺がリアルチュウニになった時、師匠は「お前にも、俺と同じ衝撃を与えてやろう」と言って師匠がリアルチュウニだった時に発布された大教典を聴かせてくれた。和訳すると「ぼんやりしてる」とか、そんな意味のタイトルだったが、そのサウンドは爆裂魔法だった。
18で家を出て、というか帰る実家がいきなり消失したのだが。20歳の成人になるまで、今度は地元の工場で寮に入って働いた俺は、わずかばかりの金と、明日のパンツを握りしめて、川崎にやって来た。師匠の家ではなく、自分で部屋を借りて。それからは、ずっと川崎に居る。
「姉さんとの血の繋がりを強く感じてしまうエピソードね」
そうだね。俺の妹である殿下が、ヒッチハイクをしたのは、見た目だけ幼女の成人後だったけどね。
「ほな、飲もか。金曜の夜に女4人も揃って飲まへんのは違法やで? 古い縁は温めなあかん」
何処の国の法律なのか知らんが、師匠がそんな事を言い出して、みんな同意したので、飲む事にした。
「この店も酒飲むとこやん。ここで飲もう」
ジャズ喫茶クロスロードの店内で、飲む事になった。ここは、今や殿下と俺の住まいである。ここをテナントとして貸した方が、マンションの一室よりもずっと高い家賃が入るんだけどね。
このビルはいつまで維持出来るか分からない。このタイミングで新規にテナントを入れると、畳む時に立ち退き交渉で揉めるかも知れない。目先の収入を取るか、将来予想されるトラブルを回避しておくべきか、悩み処だったけど、自分達で住むことにしたのだ。防音だから、ギターの練習をしたり、音楽を聴くのに都合がいいからね。風呂が無いのが難点だけど。
ビールなら店の冷蔵庫に、ひとケース分冷やしてあるのだけど。他の酒は無いし、食材も無い。あったところで、酒のつまみを作れる者が誰も居ない。だって、全員酔っぱらっちゃうからね。
川崎地下ダンジョンのアゼリアを巡って、総菜を買い集めて、ウイスキーなんかも買い込んで、店内で酒盛りを始めた。
「ここのオーディオいつのやねん? 時間止まってんなあ、ここ」
「結構良いものみたいだけど、フルでアナログなんだよね。ビニールレコードも残ってればいいのに、1枚も残ってない」
「フォノプレイヤーしか無いんかい。何も聴けへんやん」
「バイナルは、今ブームだから。売って現金にしたって言ってたわ」
バイナルだとかフォノプレイヤーだとか言ってるけど。一般的には、アナログレコードとレコードプレイヤーと呼称するし、それで通じる。しかし、「CDもMP3も、なんならDVDもブルーレイも記録の一種なんやから全部レコードやろ?」という、頑固な信条のせいで、わざわざ面倒な言い回しをする。4人共、現役の中二回路保持者である上に、そういう所までそっくりなので、まったく揉める事は無い。
「今ならアレやな。サブスクでええんちゃう? CDを買い集めるのも乙なもんか知らんけどな。もう入手出来へんものが多過ぎやろ」
「最近は、リリース直後に見逃すと手に入らないからな。配信だと聴けるのも多いけどね」
「アンプはまだしも、スピーカーはまだ使えるやろ。今時は、こんな容量のでかいスピーカー無いしな。案外、貴重ちゃうかコレ? アレだけ買えば? デジタルのアレ」
師匠は最近の事情に関する話題だと、何かとアレと言う。新しい物の名称が頭に入っていないのだろうか。結構、詳しそうだけども。
「アレって何が良いの? 無駄に高いんだけど。サブスクを再生出来るオーディオ機器って。CDを何万枚も買えちゃう金額出して、サブスク聴くって本末転倒じゃない?」
「それな。でもそれは、お高い機器を買って、お高い棚に飾って眺める趣味やねん。アンも、壊れたままのフライングV飾っとるやんけ」
「ちょっと違う気もするけど。まあ分かるよ。俺のVは安い中古だけどな」
壊れたままなのは、どこが悪いのか未だに分からないからだ。ピックアップセレクターが調子悪いので交換したら、音が出なくなってしまった。システムエンジニアは、アナログ回路には詳しくない。
「PCでいいんじゃないの? Windowsのミキサーは音を劣化させるそうだけど、それが分かる程、あなた達耳が良いの? 脳にも問題ありそうだけど」
殿下は、初対面である俺の師匠に対しても、毒を隠そうとしない。しかし、見た目幼女の、罵倒にも近いいじりなど、俺の相手で鍛えた師匠である。まったく気にしない。
「それがなあ、アンプとスピーカーがそこそこ良くて、音量がでかいと分かってまうものやねん。ブラインドでも分かるんちゃう? 少なくとも、並べて比較したら分かるで」
「あんたもアンも、ボリュームのつまみは右に回す程いいと思ってるじゃないの。どうでもいいんじゃないの? 無駄遣い出来るお金持ってんの?」
王妃も、娘程に口は悪くないが言い方がストレートだ。
ところで、王妃呼びはどうかなって気がしてきた。こいつ、見た目幼女だからなあ。響子ちゃんでいいか。この場に居る4人全員、読みを変えるか、真名を出せば、キョウコちゃんだけど。爆裂戦隊クアッドキョウコだ。凶暴そうな戦隊だな。掲げる正義が、すごく偏ってそう。
「それはギターアンプの話やんけ。でも最近は、クリーントーンに目覚めてんで。クリーントーンにも音色が200色あんねんで」
「あ、俺も。ギターが違っても音圧くらいしか違わないと思ってたら、全然そんな事無かったわ。シングルコイルの魅力がやっと理解出来たよ。センターとフロントのピックアップの価値も分かった」
「やっぱり、耳と脳に問題があるじゃないの。もしくは見た目通り、発育不全なのね」
VOXの10W出力のアンプを使ってみて、初めて気付いたよ。軽ーく歪ませた時の音が特にそうだけど、ギター毎に全く違う響きがあるって事に。20年間も、俺は何をやってたんだろうね?
「脳の問題はどうでもええやん。金ならあるで。麻生区に一戸建てが買えるくらいには。さっき貰った通帳に、そんくらいの残高が載っとる」
「麻生区って限定しなきゃダメなのね。麻生区に謝りなさい」
「師匠には、金があるかも知れんが。俺には無いな」
このビルのテナントからも家賃収入があるから、結構な額が毎月入っては来るよ。でも、テナントの敷金って10か月も預かっているのだ。一軒でも出て行くとなったら、今の神聖カワサキ帝国のキャッシュでは賄えない。これが、立ち退きなんて事態になったら、帝国は破産する。
その事態を回避するために、今このビルで空いた部屋は、一切募集をかけない事にした。でも、こんなボロなのに1階のこの喫茶店以外は、満室なんだよなあ。屋上の鳩小屋も空いてはいるけど、誰が借りるんだ、あんなの。というか貸したら法に触れそうである。安全管理基準とかに違反してそう。消防法とか、そういうの。
「え? 屋上の鳩小屋もあかんの? 住みたいのに。ほいで、ここに毎日来てアンと遊ぶ」
「俺は師匠と違って、まだ隠居しているわけじゃないよ。何もしてないけどね?」
「この騎士は私のものだから、毎日は困るのだけど」
主従ではあるが、俺は殿下の所有物ではないぞ? 主従ってのも、あくまでもごっこでしょ?
「ほー? 主君やっちゅうなら、ちゃんと養ったらなあかんよ。おっちゃんが手伝ったろか?」
「おっちゃん? 麻生幸子は、さっちゃんじゃないの?」
「あそおっちゃん、やねん。今、思い付いた」
「あ、そう」
麻生だけにね。あ、そう。あ、座布団を没収して座敷牢にしないで下さい。麻生区は、アサオだけどね、
「ハマの堕天使は何か策があるのかい?」
「殿下、ちゃうんやったな。響子ちゃんの疑いはもっともや。おっちゃん隠居老人やからな。セーラー服着てるけど。しかし、策はある」
「へえ? まさか屋上で探偵事務所やるとか言わないわよね?」
「チンピラが探偵業の届出を出しても、公安委員会が受理しないよ?」
「誰が、チンピラやねん。暴対法には違反してへんわ」
何になら違反しているのだろうか? ロリーヌ条約かな? それは俺だな。いや、合法ロリロリだった。
「じゃあ、何すんの? ガールズバンド組んで、ビッグサクセス狙うの? フェラーリに乗って、美女はべらしちゃう? プール付きの豪邸を麻生区に建てちゃう? ヨネッティ買収しちゃう?」
「あー、そういう時代とちゃうやろ? バンドやっても金にはならん。どうせ売れへんし。あ、買収するなら、ラゾーナかチネチッタ界隈が良くない?」
幼女とJKのガールズバンド。特殊な性癖にならウケルかも知れないが。そんなの別に嬉しくないな?
「ここで喫茶店やったら? 経費を使い込んで、節税対策や! アンプもサブスクなオーディオ機器も買えるで?」
「発想が小者ね。経費を使い込むには、まず利益が無いと無理なのよ? 経費は魔法じゃないの」
「利益ならあるやろ? 領地の家賃が」
「なるほど? 喫茶店単体で考える必要はないと? どうなの母さん?」
「プロの税理士がタダで答えるわけないだろ」
「ぐっ。弁護士みたいな生意気な事を」
その答えは俺がAIに聞いて知っている。複数事業の経費は、合算して確定申告するから、マンションの利益をここで使い込んでも良いのだ。税理士になる方法だって、すらすらと殿下に教えていたけど、あれもAIに聞いた。便利だな、AI。事実かどうかは、提示された一次ソースもあたる必要があるけどな。たまにボケるから。
「分かったわ。母さんと、おっちゃんを我が帝国に迎え入れるわ! 私のために知識と労働を捧げなさい!」
「すげえ上から目線やで。むしろ萌えるし推せるな? アンはええの? このロリっ子殿下、なんか暴走しとるけど」
「え? ああ、犯罪じゃない限りは好きにさせるよ」
「適切な報酬さえくれるなら、私もいいよ。税理士を夢見る乙女な娘を鍛えなきゃならないし」
神聖カワサキ帝国に、新たな家臣が加わった。税理士と音楽家だ。爆裂戦隊クアッドキョウコが誕生した瞬間でもある。
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