トンネル
天城レクト
通ったはずのトンネルがない
これは俺が実際に体験した話だ。
信じるか信じないかは任せるけど、あまり夜の山道を走るのはオススメしない。いや、本当に。
俺は運送会社で働いている。主に西日本のエリアを担当していて、夜間配送なんて日常茶飯事だ。深夜2時に出発して、山間部を抜けて倉庫に納品、朝には戻ってくる。ルートも道順も、慣れたものだ。
その夜も、いつもと変わらない仕事のはずだった。
出発地点は岡山県内。そこから兵庫との県境にある山を越え、兵庫県北部の倉庫へ荷物を届ける。いつも使う国道を通れば、深夜なら2時間かからない。霧が出ることはあるけど、それも含めて「あるある」だった。
最初に違和感を覚えたのは、峠の中腹あたり。
ナビが突然おかしな挙動を始めたんだ。
「次の交差点を、左方向です」って音声案内が流れた。
けれど、そこには交差点なんて存在しなかった。ただ、左にカーブする細道が一本。舗装はされてるけど、普段は通らない林道のような道。まさかとは思ったが、ナビが正しいと信じてハンドルを切った。
そこから、俺の記憶に残っている“道”とはまったく違う世界が始まった。
しばらく進むと、前方にトンネルが現れた。
名前も書かれていない。標識もない。街灯も当然ない。
コンクリートの表面は薄く苔が生えているように見えて、でもなぜか真新しくも感じられた。
“あれ? こんなトンネル、あったか……?”
胸の奥で何かがざわついたけれど、俺はそのまま進んでしまった。
トンネルの中は、異常だった。
まず、静かすぎる。自分のトラックのエンジン音と、わずかに反響する走行音だけが耳に届く。ラジオはノイズ混じりで、携帯は圏外。窓の外には、スプレーで何かが描かれているのが見えたが、文字なのか模様なのか判別がつかなかった。
それでも、引き返すことはできなかった。
道幅が狭く、Uターンする余地なんてない。
3分ほど走っただろうか。出口が見えた。
その瞬間、安心する気持ちと、どうしようもない不安が胸に広がった。
トンネルを抜けた先の景色は──まるで異世界のようだった。
舗装はされているけど、ひび割れて草が生えかけている。
道の両脇には誰もいない田畑のような空き地が広がっていて、あたりには家も、人影もない。
そして、空気が違う。湿気を含んで重たい。何よりも、音がない。虫の声すら聞こえない。
さらにおかしいのは、ナビの画面が真っ白になっていたこと。
地図が読み込めず、現在地が表示されない。
GPSが完全にバグっていた。
俺は慌ててトラックを停めた。深呼吸をし、地図アプリを何度も更新してみたが、「位置取得できません」とだけ表示される。
「おかしい、戻ろう」
そう思って、バックギアに入れて戻ろうとした。
けれど──そこには、トンネルがなかった。
いや、正確には、“あったはずの場所”に戻ってみたのに、そこにはただの山肌とガードレールしかなかったんだ。
舗装もしていない。土がむき出しで、ところどころ草が生い茂っている。
俺のタイヤの跡もない。
「……冗談、だろ……?」
冷や汗が背中を伝った。
慌てて下車して確認したけれど、どこにも入り口らしきものは見当たらない。地面を踏んでも、感触はただの土。
夢でも見ているのかと思った。幻覚か、と思った。
でも──燃料は確かに減っていた。
トラックの走行メーターも、ちゃんと距離を稼いでいる。
俺は、確かに“あのトンネル”を通った。
その事実だけが、唯一の証拠だった。
──思い出したことがある。
数ヶ月前、配送センターで同僚の田中さんが言っていた。
「お前、山越えルート使ってるんだよな? あそこ、変な噂あるぞ。昔、トンネルに入ってそのまま行方不明になったやつがいるって」
「なんだそれ、都市伝説かよ」
「いや、戻ってきたやつもいるんだけどな。そいつ、“道がなかった”って言ってたらしい」
その時は笑い飛ばした。
けれど、今になって思う。
あれは笑い話じゃなかったんじゃないか、と。
俺は何とか脇道を見つけて、迂回ルートで工業団地に辿り着いた。
納品には遅れなかったが、終始どこか現実味がなかった。
その後、改めてその地域の地図を確認した。
地元の役場にも問い合わせてみた。
だが──
「該当するトンネルは存在しません」
そう返された。
SNSや掲示板でも、それらしい情報はほとんど見つからない。
だが、“あの道”は、確かに存在していたんだ。
少なくとも、あの夜、俺が走った記憶の中には。
だからこうして、ここに書き残しておく。
誰か、似たような経験をした人がいたら、教えてほしい。
通ったはずのトンネルが、今はない。
でも、あの時、俺は確かに──そこを走った。
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